代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集


「ファインディング・ニモの世界~ギャップイヤーの私的考察」写真.jpgのサムネール画像

三澤 拳人
(日本でファームステイタウンを実現する男、グローバル人材育成NPO法人エレフィ所属))


人生の中で、もっとも縛りがなく自由な時間ってどれだけあるでしょう?
学校に行けば基本は授業、会社やバイト先に行けば仕事。
赤ん坊の頃は右も左も分からず、されるがまま。
家族を持てば、子育てで頭がいっぱい。
定年過ぎれば、自由だけども身体や気持ちがついていかない。

私たちには、いつも自由な時間がありません。

大きな話になりますが、
人類は効率化を極め、100時間かかる仕事が1分でできるコンピューターを開発しました。
では残りの99時間は自由時間になりましたか?
いいえ、もっと効率よくなるように働いて働いて時間がなくなります。
なぜでしょう?
そんな不思議な時間のカラクリ世界の中で、
ギャップイヤーは、人間が人間らしくいられる数少ない時間。
私はギャップイヤーをそう捉えています。

「さて、今日は何をしよう?」

21歳、オーストラリアに渡った私の毎朝はこの言葉からスタートします。
私に与えられたルールはただ1つ。

「あなたはこの1年間、何をしてもいいですよ、自由です。」

忙しい大学生活を過ごしていた自分にとっては天国のような時間でした。
だけど天国も甘くはありませんでした。
毎日が自分との闘いでした。


この1年間は、想像を絶するほど沢山のドラマがありましたが最も強く感じたことは、

「自分ってこういう人なんだ。」

ということです。
自分のことをわかったようで実は何も知らなかったことを思い知らされました。
言語も概念も全く違う環境に渡って、何をしてもいい。
、、、正直、何をしていいか全くわかりません。
広大な環境で大冒険をして想像もつかず、生死の狭間も感じるような波乱万丈の日々。
まるでファインディング・ニモの世界にいるようでした。

やりたいことを叶えに渡航した人たちも中にはいたし、
行く前にそれを渡航した先輩たちにオススメされました。
ただ、自分にとってはただただ自由な時間が欲しかったのです。
英語が聞き取れないし話せないし伝わらない自分の無力さ。
日本にいたら、想像のつく場所にいって想像通りのことができるかもしれないけど、
そこには想像していた場所とは違う景色があって想像通りのことすらできません。
辛くなって日本人グループに入って安心しにいったり、
やりたいことを叶えて留学がうまくいってる人と比べて落ち込む日々でした。

時間が経つにつれ、あることをだんだん思うようになりました。

「この1年間は、無駄になるんじゃないか。」

その悔しさがまた自分を何かやらなきゃと焦らせて負のスパイラルに落とし込めました。
だけど自分の弱い部分も強い部分もはっきり分かるようになって、
何をやりたいかというより、どんな人になりたいかへシフトしました。
そして自分だけではなく、なりたい自分を想像するためにヒントとして周りを見ました。
どんな人たちがいてどんな風に考えて生きているのか。
仕事仲間や友達などの身近な人から、世界で活躍する人たちや、歴史上の人物など。
全てが自分にとってのヒントになりました。

日本に帰ってきて
就職活動のための自己分析に頭を悩ませる学生たちの多さに納得しました。

・あなたの長所はなんですか?
・あなたの短所はなんですか?
・あなたは学生時代に何をしましたか?

そりゃ分からないよね、、、。
というか酷だよね、、、。
みんなと同じ道を進んで、同じ環境にいなさいって教育をしながら、
他の人との違いを教えてください。

私はそのとき、みんなギャップイヤーを取ったらいんじゃないか?と思いました。

就職活動で答えるためにというわけではないですが、
長所も短所もわからず自分らしくやりたいことも分からない中で、
マッチしてるかどうかも分からない環境で人間関係で揉めてストレスだけが溜まっていく。
それなら一旦縛りから開放されて自由な時間を取って自分を見つめたらいい。
ギャップイヤーは究極の自己分析期間だと思います。

英語には「Think out of the box」という言葉がありますが、
個人的には「Go out of the box」の方がしっくりきます。
別にギャップイヤーで海外に出なくたっていい、
ただ自分らしく自由にいられる人生の貴重な時間が
当たり前のようにとれるギャップイヤーが日本にもできたら、
日本自体が日本を見つめ直して新しい日本になっていくんじゃないかなと思っています。


インスタグラム:@misawa_kent

「ギャップイヤーや海外で暮らすことは特別なことではない」ONISHI.jpg


大西駿貴
(学習院大学文学部心理学科4年休学中、NPO法人CATiCカンボジア駐在)

自己紹介と活動経緯
 私は今、大学を休学して、カンボジアの子どもたちに映画を届けるという活動をしています。
 この活動を始めるまでは、国際協力やボランティアには全く興味がありませんでした。では、なぜこのような活動をしているのかと問われると、正直はっきりと答えることは出来ないような気がします。しかし、この活動に関わり始めたきっかけは、2年半前にこの団体の代表に出会ったということです。

 とはいっても、この人がめちゃくちゃエネルギーがあったり、人に喝を入れるような、人を突き動かす力があるような人であったわけではなく、そのときは、ただただ普通の日常会話をしただけなのですが、なんとなくその人にカリスマ性のようなものを感じ、その空間になんだか不思議な感覚のようなものを感じて、その感覚に従うべきなのではないかとそのときに感じました。という経緯から、途上国の子どもたちに映画を届けるWorld Theater Project(ワールドシアタープロジェクト)を推進するNPO法人CATiCの活動に参加することになりました。

 ただ、こんな風に、なんとなくの感覚で参加することになったいきさつと、当時この団体の活動があまり活発でなかったこともあって、果たして日本で何をしているのか、映画を届けているというのは、いつどのようなプロセスで行われているのかなど、把握できていませんでした。なので、とりあえず、主要なイベントとかミーティングに出席したり、その団体のメンバーの方々に会ったりしていました。そこでは、「なんでこの活動をやっているの?」とよく聞かれました。「んー」と思いながらも映画が好きで、とか言っていたかと思います。

 関わり始めて1か月か2か月くらい経ったころ、私と同学年の大学生が大学を休学してカンボジアに駐在し、この活動を本格的にカンボジアで広げることになりました。彼は、自分の熱い想いをはっきりと持っていて、その結果、カンボジアに行くという決断をしました。そうして自分の想いとか考えとかをもって行動に移しているのはすごいなと思っていました。それと同時に日本では、そのカンボジアでの活動資金を集めるための映画関連のイベントを定期的に開催する動きが出てきました。私は、その企画や運営をしていました。その間は、カンボジアからの成果が定期的に報告され、すごいなと思っていました。そうしてしばらく経って、駐在員の後任を探していたが、見つからないということになって、代表から「大西、カンボジアに行ってみない?」という打診が来ました。そして、私は大学を休学してカンボジアに行くことにしました。


心が動いたこと
 私は、心が動くことはあまりなく、はっきりとは言えないのですが、おそらく大抵のことは「そういうもんなんだな」と自分の中で納得してしまうのではないかと思っています。そのため、今回カンボジアに到着してもそんなに驚くことはなかったように思います。カンボジアに到着して、現地スタッフたちと挨拶して、この人たちとこれから一緒に仕事をするんだな、どうやって関係を作っていこうかなと思って、英語で会話が出来なくて、勉強しないとやばいなと思って......と、こうやって書き連ねてみると、心が動くことがないというより、小さく動くことはあるけど、大きく動くことはないのかもしれないです。

 なので、心が動いたという実感がなく、日頃「大変だったことはなんですか?」とか「感動したことはなんですか?」と聞かれても、そんなに大したことだと思っていなかったりするんだと思います。でも、強いて言えば、一番心を動かすことになったのは、この団体のことについて、じっくり考えたことだと思います。はたしてこの活動は本当に正しいことなのか、意味があることなのか、あるいは、目的を果たすために他にいい方法があるのではないかなどです。特に映画である必要はあるのか、そもそもそれを現地の人は受け入れているのか、映画を見せて本当に効果があるのか、などをよく考えました。

 その結果、今まで"ふわふわ"していた自分のことを改めて知ることができたような気がします。自分はどんな考えをもっているのか、すべての考え方の中に共通する考え方は何なのかや、何を思ってこれまで生きているのか、何に価値があると思って暮らしてきたかなどを、前よりも明確にすることが出来たのかなと思います。

 そもそも、私が大学で心理学を専攻したのは、単におもしろそうという理由もあったのですが、自分の心を知りたい思いがありました。だから大学に入った目的というものに関しては、学問とは違う形のカンボジア駐在で、ある程度達成してしまったことになります。とはいっても、今まで一生懸命ではないものの、多少勉強をしてきたものが土台としてあり、このような経験を経たことで、達成されたのかもしれないとも思います。こうやって書いてみると、よく言う"自分探しの旅"に関して、「そんなの見つかるわけねーよ」とかこれまで思っていたわけですが、考える時間は大量にあり、色んな環境に身をおける、"自分探しの旅"は、たしかに自分を見つけることができそうな気もします。
これからどうしていきたいのか

 現実的な話をすれば、この活動をするまでは、映画が好きだったことから、映画に関連した職に就こうとか思っていました。ところが、今はそうでなくてもいいかなと思うようになりました。おそらくこれまで、「好き=楽しい」という価値観だったからだと思います。今はそうではなくなりました。楽しく生きたい、やりたいことは全部やりたいというのは昔から変わっていないので、多分、「楽しい=何か」に変わったのだと思います。その何かはまだわからないです。
 これからどうしていきたいかというと、というよりどうするつもりなのかというと、この活動を続けていくつもりです。今のところ、この活動が楽しいと思っているようで、続けたいと自分は思っているようです。

 来年度カンボジアから帰国したら復学し、就活、卒論と色々ありますが、それもやるつもりです。あとは、1年遅れになるので、一つ下の学科の友達を作らないといけません。それとバイトもしないといけません。やらないといけないと思っていることはたくさんあります。

 卒業後にどのように生きていきたいかというのは、この経験があって出来上がったものではありませんが、少なくともそれを形成する一つになっています。「楽しく楽(らく)して」、でも退屈ではない人生を送りたいと思っています。退屈ではないというのが、私にとっては一番優先順位が高いものです。

 この文は、留学に迷っている人や興味がある方に向けて書いてみています。行動するのには理由が必要なように思いますが、そうではなくて、行動してやっとそれに至った理由があったとわかるのかなと思います。至った理由というより、その行動のすべての要因の総和が正だったとわかるのではないかなと思います。

なので、何か大それたと、大きいと、思われる行動をするようなときは、外から何かしらの理由を求められたり、熱を測られたりして、もしそれがはっきりしていなかったり、熱が足りないと思われることがあるかもしれないですが、そんな時は、自分は、赤い炎のようにメラメラとごうごうと熱そうに燃えてはいるようには見えないけれども、それは、自分が青い炎を持っているからなのだと、青い炎は赤い炎のように激しく燃えることはないけれども、熱さは赤い炎よりも熱いのだと、自分を納得させておけばいいのではないかと思います。


まとめ
 たしかに、この駐在によって色々な経験をさせてもらっていますが、特にそれが"自分を成す"大きなものになったわけではないとも思っています。小さい頃から、お母さんとお父さんに育てられ、小学校では友達と過ごして、中学では部活の先生とコーチに出会って、高校では部活の先輩たちにお世話になって、受験のために勉強し、大学では友達と遊んで彼女ができて別れて、毎日バイトして、店長と遊んで、この団体の代表と出会って、色んな人にお世話になって、カンボジアに行くことになって、異国の人と過ごすようになって、まあそんな感じで進んでいってしまうものなんじゃないかなと思っています。

 それで、こうやって過ごして来た中で、たぶん人に出会って何か感じただけでなくて、映画とか漫画とかアニメとかテレビとか音楽とか本とか、そういうものに触れてきたから、その時その時の行動をとってきたのかもしれないなと思います。

『メジャー』を見て吾郎かっこいいと思い、グローブをはめながら『メジャー』を見て、『ライヤーゲーム』を見て、「秋山さん、かっけー!」と思って心理学を専攻しようと思ったり、『福本伸行名言集』を読んで、「よし、こうやって生きよう!」と思ったり、『ティファニーで朝食を』を観て、作中では指輪だけれど、私の彼女にはティファニーのネックレスをあげようと思ったり、そんな感じで自分たちが届けている映画も、なんらかの影響を与えてくれたらと個人的には思っていて、かつそれが、効果的で効率的であると思っています。イメージとしては、映画とかアニメでいう、過去にタイムスリップしたときに、過去を少しでも変えてしまうと未来がものすごく変わってしまうみたいなものです。この活動でよく言われる批判は、「映画を上映して何が変わるの?」、「人ってそんな簡単に変わらないよね?」というものがありますが、結局のところ、そうではないような気がしています。

 何が言いたいかというと、仮に2時間の映画を上映することで、その中のわずか数人、もしくはひとりに影響を与えたとするならば、わずか2時間で十分な効果があったと言えるかもしれなくて、そして、もし、人はそんな簡単には変わらないとするならば、そもそもいくらどんな労力と時間をかけたとしても、ほとんど人は変わらないんじゃないかとも思います。つまり、そうであるならば、その労力と時間を多くの人々に接触するために使った方が効率的ではないかと思います。そう思って私はこの活動を続けていきます。代表は、本気で世界を変えようとしているので、それについていこうと思います。そう最初に決めてしまったので、そうするしかないと思っています。

 読み返してみると、ほんとに何が言いたいのか、何を言っているのかわけのわからない文章になっている気がしますが、ここまで読んでいただき幸いです。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


プロフィール:
大西駿貴
(学習院大学文学部心理学科4年休学中、NPO法人CATiCカンボジア駐在)
FB:https://www.facebook.com/toshiki.ohnishi.5
(参考)途上国の子どもたちに映画を届けるWorld Theater Project(ワールドシアタープロジェクト)を推進するNPO法人CATiC :https://worldtheater-pj.net/

(関連記事)
2016年2月1日付
No.232:「映画を通して未来のカンボジアを創る!~だから今、休学して1年のギャップイヤー」山下龍彦さん(大学生、NPO法人CATiC副代表)-エッセイ集 フロンティア・フォーラム: http://japangap.jp/essay/2016/02/npocatic.html

「世界一幸福な国、デンマークで『自分だけの軸』を創る」banrisan.jpg


林 万理(はやし ばんり)
命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部4年生、ペンハーゲン大学経済学科に交換留学中


あなたは何をしている人ですか?
 初めて出会うデンマーク人に必ずと言って良いほど聞かれる質問だ。その次の質問で、『なぜそれをするの?』と聞かれるのである。留学を開始した昨年の夏には、この2つの問いに自信を持って答えることができない私がいた。なぜならば、自分が勉強していることについて、自信をもって語ることができなかったからである。


コペンハーゲンという都市で育む幸福感と自分だけの軸
 2015年の8月下旬より、私はコペンハーゲン大学の経済学部で交換留学している。コペンハーゲンはデンマークの首都であるが、人口は74万人と東京の5%程である。小さいながらも、街には音楽や芸術、様々な国から来た人々で溢れている。キャンパスで、デンマーク人のみならず、様々な国から留学に来ている友人との交流から、知的好奇心を掻き立てられ、彼らの多様なライフスタイルに触れることができる。それを観察することで、改めて自分自身のライフスタイルを様々な角度から見つめ直すようになった。

 日本にいた時、「非日常的で大きな出来事」で幸せを感じようとしていた。しかしながら、今は「日々の生活」の中で、小さなピースのように散りばめられた幸福を感じている。例えば、私はカメラを持ち写真を撮りに街に出ることや、ジムで汗を流すこと、素敵なカフェでコーヒーを飲んでいる時に、自分の感性が研ぎ澄まされ、たくさんの小さな幸せを感じるのである。このように、コペンハーゲンという都市で、心身共にリラックスし、自分のライフスタイルだけではなく、専門分野や将来のキャリアについての「自分だけの軸」を見つめ直すための環境をデザインすることができるようになった。


北欧研究所でのインターン
 コペンハーゲン大学以外に、デンマークでの私の活動拠点はもう1つある。それは、北欧研究所(Japanordic)である。コペンハーゲンに拠点を置き、北欧諸国に関する研究・コンサルティング機関で、私は昨年の9月から現在にかけて、ここで学生インターンをしている。

 北欧研究所の主な業務内容として、クライアントである日本企業から頂いた委託調査、視察支援、通訳・翻訳、レポート執筆、個人的な調査活動等であるが、そこでのインターン活動の一つの個人調査として、私はデンマーク人の幸福観について研究している。例えば、 デンマーク人の幸福観について、インタビュー活動を行い、記事を執筆した。インタビューという「対話」を通して、彼らの幸福観やキャリアについて考え方について話せたことは、それらに関する私の価値観に見つめ直す良い機会となった。


デンマーク人のギャップイヤー
 デンマークでは、高校卒業と大学進学の間に1~2年間のギャップイヤーを取ることが一般的である。例えば、彼らは、その期間、国内でアルバイトをした後、旅行や海外ボランティア等をする。私のデンマーク人の友人の中には、日本でワーキングホリデーをした者もいれば、語学学校で日本語を学んだ者もいた。

 デンマーク人は、特に明確な目標を持って、ギャップイヤーを取るわけではない。リラックスして、その期間の旅行やインターンシップを通して、自分が本当に学びたい学問や進みたいキャリアを見つけていく。そして、その中で彼らは、自身の思考や言動の源となる「自分だけの軸」を創り上げていくのである。


デンマーク人から学んだこと
 冒頭の質問に戻ろう。 『本当に勉強したいことは何?』、『なぜ、それを勉強するの?』、留学を開始してから、これら2つの質問を自問自答するプロセスにおいて、私は、いかに「自分だけの軸」を持つことが重要であるかに気づいた。

 それは、他者との無意味な比較から生まれるものではなく、自身の好きな物事に対する内発的・実存的動機によって生まれるものである。例えば、私の場合、幸福に関する自分なりの新たなアイデアを生み出した時に最も自分が生き生きとしている瞬間だと感じる。

 そして、自分が調査していることが自分の幸福観だけではなく、私の北欧研究所で執筆する記事を読んだ周囲の人々の幸福観にプラスの影響を及ぼすことに大きな喜びを感じる。自分と他人を比較し、劣等感や虚無感で暗い気分になるのではない。他者を気にせず、自分が本当に没頭できることを通して、人は大きな喜びやエネルギー生み出すことができるのである。だからこそ、「自分だけの軸を創る」、それが「幸福」へのステップだと、デンマーク人は私に教えてくれた。


プロフィール:
林 万理(はやし ばんり)
1993年生まれ。山口県出身。立命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部4年生。2015年8月下旬より、コペンハーゲン大学経済学科に交換留学中。興味のある分野は、デンマーク人の幸福観、デンマークの社会福祉モデル。趣味は、フィットネスとカフェ巡り。
個人ブログHP(L!FE IS CRAZY): http://banrihayashi.com/
Twitter:@banrihayashi
北欧研究所HP:http://www.japanordic.com/

「新卒でアフリカ、ルワンダへ。全ての人にチャンスがある舞台を創る。」yabe.jpg


矢部寿明
慶應義塾大学商学部4年


 2016年4月27日。大学生5年目、卒業まで10か月。私は内定をもらっていた企業に断りの電話を入れた。別にどこか他会社から声が掛かったからでもなく、かといって自暴自棄に陥ったわけでもない。ただ夢を追うのに、それが最善ではないと判断しただけだった。


<国際開発の舞台へ>
 大学1年生の時、ユニセフの講演を聴いて途上国開発を知った。どうすればいいかわからず、悩み悩んで「この舞台で活躍するには最低限英語が必要」という真っ当な結論に辿り着いた。英語はできなかった。親戚家族に海外に関わりのある人間などもいなかったので、死に物狂いで1日10時間、1年勉強を続けてニューヨークの大学に編入合格した。学費が払えないと言われ交換留学に落ち着いたのだが、、

 アメリカでは国際開発の第一線にいる様々な人に話をきき、自分の進むべき道を見定めていった。特に、ユニセフの畠山さん。23歳から世界銀行、ユニセフでキャリアを積んできたこの人の話を聞いたときに、素直にかっこいいと思った。"国際開発に携わる上での夢は仕事がなくなること"。この時、どのアクターかわからないが国際開発の舞台で一生踊り狂っていきたいと強く感じたのだった。


〈アフリカでの決意 ~若年層の失業問題解決~〉
 留学から帰り、就活や欧米の大学院受験準備を進めつつ、アフリカでの金融包摂プロジェクトを実施しているアライアンスフォーラム財団でインターンを始めた。

 今年の2月から3月にかけて、そのプロジェクトで初めてアフリカを訪れ、兼ねてから強い関心のあったルワンダに赴いた。キガリを散策中、ある若い女性が偶然にも私に声をかけた。

「I WANT JOB、 NOT MONEY」

 衝撃的だった。お金じゃない。仕事がほしい。色々な国や場所で物乞われたことはあるが、仕事を乞われたのは生まれて初めての経験だった。調べてみるとアフリカやルワンダにおける若年層の雇用問題は根深く大きな障害だと理解できた。

 4月に入り、私は決心した。就職するのでもなく、欧米の大学院で学ぶわけでもない。二者択一に凝り固まっていた思考を少し自由にして、新たな選択をすることを。働く意欲があるにも関わらず仕事がない、大学までの教育を受けたにも関わらずまともな職につけない、そんな状況を変え彼/彼女らが輝くためのステージを創る。起業だ。


〈目指すべき世界〉
 高校から慶應で8年間過ごす中で、世界に対するある理想が芽生えていた。

誰にでも選択の機会が等しくある世界

 周りの友人に比べて我が家はなぜ、と狂言を吐くことも多々あったが、世の中的にみれば私はとても恵まれているのだ。翻ってアフリカ、途上国を見れば、選択の機会を得ていない人は五万といる。私よりも国際開発の舞台を目指すに相応しい人もたくさんいるだろう。ルワンダで物乞いをしてきた女性もその一人だ。ならば、そのような人々を支え、舞台へ飛び上がる手助けをできないだろうか。これからルワンダで創めるのは、そんなとてつもなく大きな理想への第一歩である。

 私にできるのか。そんなことを問うこと自体に意味はないように思う。大事なのは誰がではなく、何が成されるのかである。それが真に必要であるなら、私ではなく、これに流れができる。そのため私ができることはいくらでもあるはずだ。友人には見切り発車と言われ、親には呆れられてしまったが、決して独りでできるなどと自惚れてはいない。声が小さいだけで、同じ問題意識を持っている同志はたくさんいる。彼/彼女らと力を合わせていけばいい。私なんかよりも輝く人は星の数ほどいる。そういった人たちのために、私は舞台を創っていきたい。


 詳細な計画やルワンダ、アフリカに関心があるひと、一緒に考えてくれるひと、ご連絡いただければ嬉しい。

プロフィール:
矢部寿明
慶應義塾大学商学部4年。1993年生まれ、慶應義塾高等学校出身、大学3年時にアメリカのThe University of North Carolina at Chapel Hilへ交換留学。2017年3月の大学卒業後、ルワンダで起業するために準備をしている。

Twitter: @yabeeeee1207
Facebook; Toshiaki Yabe (https://www.facebook.com/toshiaki.yabe.77)
Blog: http://yabe.hatenablog.com/
CAMPFIRE: https://camp-fire.jp/projects/view/6519

「リスクを取るということ~私が大学院休学して青年海外協力隊員になった理由」miyazakisan.jpg


宮崎充正(青年海外協力隊@マラウイ共和国)


 私は現在大学院に所属し、国際開発学という学問を修めている。同時に休学を利用し、青年海外協力隊員(理科教育)としてアフリカ南東部のマラウイ共和国に滞在している。高校・大学の同期らが続々と社会人としての生活をスタートする中、私がこういった人生の選択をするきっかけとなった経験についてお話ししたいと思う。


■自分が本当にやりたいこととは?
 私は大学時代、日本で教員となることを目指していた。その半ば、大学3年生の夏に訪れたベトナムとカンボジアでの体験が自分の人生に大きな影響を与えた。そこで見たのはゴミ山で暮らす人々、エイズ患者、物乞いの人々など、日本とはかけ離れた生活をする人々であった。中でも教育学部生であった私に大きな衝撃であったのが、学校へ行かずに路上で生活をする子どもたちだった。帰国後もその子どもたちのことでずっともやもやした気持ちが残り、いつしか「私が力になりたいのは日本の子どもたちなのだろうか」と考えるようになっていた。

 しかしながら2週間のベトナム・カンボジアの滞在だけではまだまだわからないことが多かったのも事実で、私は時間のあるうちにもっと途上国のことについて知りたいと考えた。そう思ってからは早いもので、その後フィリピンにて熱き思いを持つ仲間と学生団体を設立し活動したり、エジプトから南アフリカ共和国までのアフリカ大陸縦断を敢行したりもした。その中で発展途上国の抱える諸問題を目の当たりにした私は帰国後、確信を得ていた。

 今はっきりと述べることができるのは、世界には一国のみならず多くの国々が協力し合って解決を目指さなくてはならない課題が存在するということ、その解決のために断続的な挑戦が必要であること、そしてその挑戦を「自分がやりたい」と思っているということである。現在は青年海外協力隊員であるとは言え、学生という身分でもありできることはそう多くはない。しかし私は協力隊の任期終了後、大学院修了後も国際開発の世界に身を置き、自分がやりたいと思ったことをやり抜きたいと考えている。


■リスクを取る必要性
 人生の選択において、自分が本当にやりたいと思うことを選びにくくする『しがらみ』というものがいくつも存在する。世間体、恥じらい、プライド、将来の不安定性など人によって様々であるが、少なくとも幾分かのリスクが生じる可能性は高いと言える。私の場合日本で教員、つまり公務員として働くことをやめたことによる将来の不確定性、これだけのことを述べておきながら途中で挫折した際のプライドの失墜等、ある程度のリスクを負って現在アフリカの地にいることになる。
 
 けれども私はこの場をお借りして、その『しがらみ』と戦い、リスクを取る人たちを後押ししたいと思う。壁はどのようなキャリアの選択をしようと、万人に訪れるものだと思っている。時にその壁はとてつもなく大きなものとなって目の前に現れる。その時、「自分はこれをやりたい」と思っていることから生まれる高いモチベーションや、「自分はこれを為し得たい」と望む使命感は、いつか自分自身を手助けしてくれる。そして壁を乗り越えた後で、それは行く道をさえぎるための壁ではなく、次へ進むための扉だったのだと気付かせてくれる。また何かにひたむきに取り組む際、躊躇いや周囲からの目線はいつしか自然と消えてなくなるようにも思う。

 本当に人生をかけて向き合いたいことがあるのであれば、是非立ち向かっていってほしいと思う。それと同時に自分もそのような人物でありたいと願っている。その際、大多数は選ばない道を辿り、普通とは違う、ギャップのある道を進むこともよいのではないかと考えている。


プロフィール:
宮崎充正(みやざき あつまさ)
青年海外協力隊 平成27年度3次隊 マラウイ共和国派遣

詳しいプロフィールと青年海外協力隊に関する活動は下記にて
・個人ブログ:Hello, One World!(http://atsumasa-miyazaki.com/
・Facebook :Atsumasa Miyazaki(https://www.facebook.com/atsumasa.miyazaki

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