代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

JGAP寄稿者短信"拡大版":「南米パラグアイに居る同志たち~ソフトテニスクラブが存在していた!」ソフトテニス4.JPG

田中隆彬
(武蔵大学4年次休学@世界一周中)


赤土が巻き上げられ地面は赤く染まるパラグアイ・イグアス
 3ヶ月に渡ったアフリカ大陸も縦断し終わり、遂に南米までやって来た。最初に降り立った場所はアルゼンチンで、アフリカと変わらず毎日暑い日が続いていた。ブエノスアイリスに暫くいると、とある旅人が「パラグアイに行く!」という話をしていた。

 彼は以前にパラグアイに住んでいたことがあるらしく、日本からの移民について詳しく説明してくれた。パラグアイだけでなく、南米には第2次大戦によって日本人が集団で移住し、現在でも移住地と呼ばれる地域に住んでおり彼は再びそこに行くという話を聞きつけ、僕も日本からの移住民に会って彼らとソフトテニスをしてみたいという単純にその動機だけで、行く予定のなかったパラグアイのイグアス移住地に辿り着いた。

 宿に荷物を置き、早速イグアス移住地を散策することにした。パラグアイはアルゼンチン同様、強い陽射しが降り注いでいて、さらに行き交う車によって赤土が巻き上げられ地面は赤く染まっていた。街を歩けば四方八方に目にする母国の文字、買い物をすれば聞き慣れている言葉、それはまるで海外にいる感じが殆どしなかった。そう、まさしくここは日本の反対側にある日本だったのだ。この光景を見て、僕はここで日本発祥のソフトテニスをしたいという思念がより強くなった。 
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なんと日本発祥のソフトテニスクラブが存在していた!
 僕は早速、宿泊している宿のオーナーにソフトテニスについて話をしてみることにした。そしたら何と驚くべき答えが返ってきた。何と、ここイグアス移住地では週に一度、ソフトテニスクラブが開かれていると言うではないか。言い方に語弊があるかもしれないが、ソフトテニスの用具を日本国外で手にしようとしたら安易ではないのにも関わらず、まさかここパラグアイでソフトテニスクラブが行われているなんて思いもしなかった。

 だが、このクラブについて尋ねたところ納得がいく答えが返ってきた。クラブ設立当初は個人で持ち合わせていたラケットやボールで行っていたらしいが、昨年までには日本からコーチを呼んでクラブが開かれていたという。その時にラケットやボールを些かではあるが寄与され、人数分は困らない用具を手にしたとお聞きした。

 しかし、現在はコーチがいないため、クラブは自主的に形成されているという。クラブは週に一度体育館内で行われているらしいが、この日は僕のためにわざわざメンバーを呼んで頂き特別に屋外を利用して打たせてもらった。メンバーには小学生から年配の方と幅広い年齢層によって成り立っていた。僕は特に年齢が近い高校生の青年と打っていた。彼は数年前からずっとソフトテニスをしているらしく、毎週クラブに通っているとのことだ。
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旅人から聞いた話からの出会い~南米のソフトテニス普及を目指したい!
 ただ、彼には1つ気がかりなことがあるという。それはパラグアイにはここイグアス移住地にしかソフトテニスクラブはないらしい。なので、大会を開いてもいつものクラブメンバーだけで行われているのでマンネリ化しているという話を聞いた。そして、彼らはパラグアイだけでなく、南米にソフトテニスを普及させたいとも考えていた。僕は偶然にも、旅人から聞いた話でここに来た訳だが、ここパラグアイで同志に出会えるとは思いもしなかったので感無量だった。

 何か協力が出来ないかと、少しばかりではあるが、今まで旅を共にしてきたラケットとボールを彼らに寄贈させて頂いた。僕に出来ることはこれくらいしかないが、日本に帰国したら用具はいくらでも手に入れることは可能だし、彼らも久しぶりにラケットとボールを手に入れることが出来てとても喜んでくれたので南米にソフトテニス普及を目指して少しでも携われたのではないかと思っている。

 僕はここ南米でも打つことができ、特に第2次大戦で移民されて来た移住民の方とこのようにソフトテニスができたことに、今まで以上の感動を覚えた。ここでテニスを共に出来たことをとても感謝しているし、なにより日本の反対側であっても、南米でソフトテニスを広めていきたいという同志と共に時間を共有できたことが何よりも嬉しかった。
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旅はクライマックスへ
 そんな僕の旅も残り僅かとなった。今までの軌跡を振り返ってみた。これまで世界中に暮らす様々な人々にソフトテニスの楽しさや面白さを体感してもらったが、どれくらい人々に熱意が伝わったかなんて僕には分からないけど、これだけは確実に言えることがある。それは、僕はソフトテニスを通して各々の笑顔を見てきた、ということだ。今、僕の手中にはもうラケットもボールも殆ど残されていない。だけど、それはこの旅でソフトテニスの楽しさを世界中の人々に託してきたという証拠だ。世界中の人々と共にソフトテニスをしてきた瞬間の、あの満面に微笑む彼らの笑顔を、僕は一生忘れない。 

(関連記事)
2014年9月2日付
No.182:「 過去の自分と断ち切るため、ソフトテニスで世界一周を!」(田中 隆彬さん、武蔵大学経済学部 4年次休学中@世界一周中-エッセイ集 フロンティア・フォーラム :http://japangap.jp/essay/2014/09/-4-3.html

2014年10月7日付
JGAP寄稿者短信:「40年前の日本人と一致した僕の願望~エジプトから南下」(田中 隆彬さん、武蔵大学経済学部 4年次休学中@世界一周中):http://japangap.jp/info/2014/10/40-4.html

2014年12月3日付
JGAP寄稿者短信:「彼の手へ届けた僕の旅~ケニア・マサイ族の青年とのテニス」(田中隆彬さん、武蔵大学4年次休学中@世界一周中): http://japangap.jp/info/2014/12/4-2.html

プロフィール:
田中隆彬
Twitter : takakuro79
Facebook : Takaaki Tanaka
Blog : http://monkeytakaaki.dreamlog.jp

JGAP寄稿者短信"拡大版":「若者と社会について」

白井耕平
武蔵大学人文学部4年
 

 「同時代の若者について、気になること」
これが今日のテーマだ。2011年に僕が大学へ入学してからよく目にした言葉を今の若者に関係するキーワードとして挙げておきたい。

「社会を変える」
インターネットでこの言葉を検索すると159万件のページが表示され、「若者 社会を変える」で検索しても114万件はひっかかる。該当したウェブサイトのタイトルだけでもパラパラ見ていくと、このテーマに関する書籍や論文、もしくは活動団体のHPやイベント告知、そしてネット記事などが出てくる。

関連するキーワードの欄を見てみると「日本を変える若者」「世界を変える若者」「若者 社会参加」「若者 社会問題 貢献」などが表示されている。

ふと自分自身の周りを思い返してみても、そのようなことを言っている人は少なくない数でいたような気がするし、僕自身もその言葉を声に出した記憶がハッキリとある。ただしそれは全ての若者に当てはまるような心情ではないだろう。それでも何かそうした雰囲気に、もしくは「社会を変える」という言葉に影響を受けている若者は一定数いるだろうと思うのである。

そこで今回は、このキーワードを観点に若者や学生の周辺を切り取ってみようと思う。あくまで僕が見聞きしてきた経験と、薄っぺらな知識を使ってだが、それでも何か書けるだろうか。書いてみよう。


JGAP寄稿者短信"拡大版":「パブでビールでも飲みながら、半年のギャップイヤーを振り返る」(川本 和、英国・サウサンプトン大学)


 今、イギリスにいます。

 旅行ではなく、大学進学。これから僕はサウサンプトン大学生として、5年を目途に勉強します。しかしその前に、今年3月に高校を卒業してからの半年間のギャップイヤーについて振り返ってみます。イギリスらしく、パブでビールでも飲みながら。(イギリスでは18歳から飲酒オッケーで、サウサンプトン大学の寮にもパブのようなものがあります。)
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 ギャップイヤーを振り返ってまず気になったのは、高校卒業時に思い描いていた半年と、実際に過ごした半年は、大きく違ったこと。バイトでお金を貯めながら、大学に備えて勉強しよう。それが当初の考えでした。

JGAP寄稿者短信"拡大版":「休学とこの時代」(白井耕平、武蔵大学4年)

・はじめに
 「世界が慌ただしい」
そう感じるようになったのは、僕自身が少しばかりモノを知るようになったからかもしれない。どの時代も様々な変化があり、年がら年中"激動の時代"と言われてきたのだろう。しかしそれにしても、この時代は今日の大学生にとってかなり変化の大きい時期なのではないか。そんな素朴な思いがあってこれを書こうと思った。

 例えば世界の世界化がその姿を全面化させつつあり、さらにはダイナミック産業としてのITが経済活動全般にとって無くてはならない覇権を握り、学校社会の内部に生きる若者たちに強い影響を及ぼしている。そんな状況の中で、ある種特異な選択肢として存在していた「休学」の意味も変貌を遂げつつある。そこから見る日本社会とはどのようなものだろうか。

 以下に始まる文章は決して客観的な妥当性を有するとは言えないが、とにかく休学という現象が世間一般にある程度の固定された共通理解を得る前に、休学についての現状分析と、今後の予測をして先駆的に問題提起を企むものである。もちろんあくまで学部生の立場から考えうる範囲の話題を取り扱う事となり、しかしそれこそが重要なのだと信じる。

 概観としては、大学生を取り巻く時代、大学生が所属する大学機関、社会現象としての休学、そしてそれら三つを踏まえた自論を述べる。


JGAP寄稿者短信:「蜜蜂の為なら何でもする。25歳の養蜂家、齊藤雄紀さんが"ビー・コンシェルジュ"になった理由」

どうも、風呂上がりにちゃんとストレッチしてます、おうち菜園の江里です。

突然ですが、みなさんには「これになら人生を捧げてもいい」と思えるものはありますか?その対象は、仕事や家族、趣味であったりするかもしれません。

この質問に、胸を張って「ミツバチです」と答える男性がいます。そう答えるのは、「おうち菜園な人」4人目、千葉県君津市で養蜂家として活動している齊藤雄紀さん。

齊藤さんがユニークなのは、異業種からの転身ではなく大学時代からずっと養蜂に関わってきている点。25歳の若さですでに養蜂をはじめて7年目を迎え、平均年齢が60歳を超えている養蜂業界では異例の人材であることがわかります。

今回は、実際に現地で養蜂作業も見学させていただきながら、「蜂のためならなんでもします」とまで語る齊藤さんの想いをうかがいました。25歳の"ミツバチへの想い"を、皆さんも持っている(はずの)"○○への想い"と照らし合わせながら、ぜひ読んでみてください。

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ビーコンシェルジュ齊藤さん→


「ミツバチ研究会」との出会い

江里 今日はお忙しいなかありがとうございます。

齊藤雄紀さん(以下、齊藤) いえいえ、こちらこそわざわざ遠くからありがとうございます。

江里 齊藤さんは1988年生まれですよね。ぼくは87年なので年が近いのですが、すでに養蜂歴7年というのがすごい。一体どんなきっかけで始められたんですか?

齊藤 大学時代に出会った「ミツバチ研究会」がきっかけです。

江里 大学に養蜂サークルなんて面白いですね!世間的には「攻撃的でこわい」というイメージがミツバチにはありますが、当時はそんな感情はなかったのでしょうか?

齊藤 確かに少しはありました。ただ当時は「面白そうな活動」という感情の方が強くて。それで参加しました。

江里 そこから齊藤さんの養蜂キャリアが始まるんですね。

齊藤 はい。もう授業そっちのけでやっていることも多かったくらいです。

江里 確か出身学部は「応用生物学部」でしたよね。これも何か繋がりがあるんでしょうか?

齊藤 化学の側面が強かったので、直接的な繋がりはなかったです。ただ、昔から生き物が大好きでした。

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作業前は、ミツバチを落ち着かせるために燻煙器を使って煙を巣にかけます→

江里 大学卒業後は、どうされたんですか?

齊藤 たまたま求人があった養蜂の会社に受かり、1年程働いていました。

江里 なるほど。大学卒業後も仕事として養蜂に関わっておられたんですね。

齊藤 はい、ここで1年ほど働いて経験を積み、養蜂家として独立しました。

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江里 ちなみに、ミツバチとの出会いは大学時代だと話されていましたが、「養蜂家として生きていく!」と決意するきっかけとなった場面を具体的に覚えていたりしますか?

齊藤 大学時代にミツバチがどんどん増えていく様子を見ていたときですね。当時はサークルで日本ミツバチも飼っていて、それが2群、3群と元気に増えていき、「この子たちと一緒にやっていきたい」と強く感じるようになりました。

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齊藤さんが飼っている西洋ミツバチ。巣が光っているのは、蜜がたまっている証拠→


日本ミツバチと西洋ミツバチ
日本の野山に昔から生息しているのが日本ミツバチ、元々ヨーロッパやアフリカに生息していたのが西洋ミツバチ。小柄な日本ミツバチは病気には強いですが、現在はより管理しやすく多くの蜜を集める西洋ミツバチでの養蜂が主流となっています。

現在は30群、将来的には50群に

江里 君津市に移り住んでもうどれくらいですか?

齊藤 2年半です。たまたま倉庫付きの貸家を見つけたのと、ここは藤の木や椎の木などの蜜源が豊富なのもあって引っ越しました。ただ今年はハズレなのか、あまり花が咲いていなくてハチミツが採れていないですね。

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養蜂場近くのバス停から降りたときに見えた風景→

江里 現在はどれくらいの数のミツバチを飼育されているんですか?

齊藤 全部で3ヶ所ある養蜂場をあわせると30群ですね。これをまずは40群、将来的には50群にまで増やしたいです。

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齊藤さん特製の手作り巣箱→


養蜂の単位:群と枚
ひとつの巣箱には板(これを"巣脾枠"と呼びます)が約10枚収納可能で、1枚につく蜂の数は約2000匹。つまり10枚箱ひとつが蜂でいっぱいになると約2万匹となります。養蜂家は蜂が増えるにつれて巣箱を2段3段と重ねていき、最大で3段6万匹のグループをつくります。このグループひとつを"群"と呼びます。群は蜂の数にかかわらず女王1匹に率いられてるグループのことです。

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巣箱に板が7枚入っている様子→

江里 ちなみに、ひとりだとどれくらいの数(群)を飼育できるものなんでしょうか?

齊藤 採蜜を目的とした場合は、50群が限界だと思います。これ以上になるとテキパキ作業をしなくてはいけなくなり、その結果として扱いが雑になり蜂の気性が荒くなってしまいます。

江里 なるほど。確かに齊藤さんの蜂はびっくりするくらいに大人しい。巣箱に近づいても刺されることがないくらい。通常の養蜂作業では安全面で手袋をはめる場合が多いですが、齊藤さんは素手で行っていますよね。

齊藤 そうですね、基本的には素手で行っています。蜂を驚かせないように、ゆっくり作業するようにしています。


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素手でミツバチを触る齊藤さん→

山の蜜源をもっと増やしていきたい

江里 さきほど「今年はあまりハチミツが採れていない」と話されていましたが、それはやはり周囲の自然の影響ですか?

齊藤 はい、特に藤の木の調子が悪いです。年初の雪の影響もあったのか、木が垂れ下がってしまって元気がなく、花も咲いていないですね。

江里 周囲の自然の状態が、ダイレクトに養蜂に影響するんですね。

齊藤 山を見ればわかります。杉ばかりではなく、ここにもっと蜜源が増えればいいのにと思います。最近では、自宅の庭にユリの木を植えています。蜜が採れるのは10年後ですが、ミツバチたちが生きていけるような環境が広がって欲しいです。


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自宅で育っているユリの苗→

ぼくは、ミツバチの内蔵

江里 齊藤さんにとってミツバチとはどのような存在なのでしょうか?

齊藤 ぼくはよく、「自分はミツバチの内蔵だ」と言い聞かせるようにしているんです。

江里 というのは?

齊藤 ぼくが飼っている西洋ミツバチは、人間のサポートなくして生きてはいけません。飼育者とミツバチが気持ちで通じ合い一体となることで、初めて養蜂は成立する。僕はそう思っています。

江里 なるほど。そういう意味での「ミツバチの内蔵」なのですね。

齊藤 蜂はぼくの一部。そんな意識を持って毎日作業しています。

江里 だから「蜂のコンシェルジュ」なのですね。

齊藤 そうです。蜂に関する"こと"だけではなく、蜂の"ため"ならなんでもする。そうした想いがあって「ビー・コンシェルジュ」という事業名にしました。ハチミツも好きですが、それ以上にミツバチ自体が好きなんです。

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江里 これからはどのように活動していく予定ですか?

齊藤 まずは会社の経営が成り立つようにしないといけないですね。現在は、知り合いの養蜂業者にハチミツを卸したり、あとは直売所とウェブサイト上で販売をしています。今年はハチミツの収穫量が少ないので、もっと蜜源が多い場所への移動も考えているところです。

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販売中のハチミツ→

江里 今日は色々と教えていただき、ありがとうございました。おうち菜園としても、これから養蜂をやる予定なのでとても勉強になりました。またお邪魔させてください。

齊藤 いえいえ、こちらこそありがとうございました。

インタビューを終えて

齊藤さんがすごいのは、大学時代に「これだ!」と感じたものに向かって6年間ずっと走ってきたこと。「ミツバチ研究会」との出会いから全く軸がぶれていないことに、その熱意の深さを感じました。

おうち菜園ではまさにこれから養蜂を実践していく予定なので、そのノウハウを惜しみなく教えてくれる齊藤さんの姿勢も素晴らしかった。事業としての収益性も大事ですが、それ以上にミツバチへの想いがあふれていました。

皆さんは、齊藤さんの熱意から何か感じ取れるものはありましたか?5分でも10分でも、「自分が本当に好きなものはなんだろう?」という問いをぶつける時間をつくってみると、それからの日々がより濃いものになるかもしれません。

齊藤さんのウェブサイト▼
http://beeconcierge.biz/
(インタビュー日:2014年5月12日)

エッセイ集 フロンティア・フォーラム2012年10月28日付 No.90:「日本ではリスクが高い"ギャップイヤー"について思うこと」 (江里 祥和 @イスラエル、世界一周中) 
http://japangap.jp/essay/2012/10/post-33.html

ブログ「おうち菜園」:http://ouchisaien.com/bee-concierge/

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