海外ギャップイヤー事情 南ア編:「ギャップイヤーする友人を見て、"みっちり大学で勉強しただけでよかったのか"という女子大生のふり返り」の巻
NEWS24という南アフリカのニュースサイトで、ケープタウン在住の黒人女性コラムリストが、「ギャップイヤーは誰でも行けるわけではない」という刺激的、あるいは反語的な見出しで、南アで大学を卒業したばかりの典型的な優秀な黒人女性を紹介している。南アフリカでもギャップイヤーは大学生のキャリア選択肢であり、彼女を通じて、南アの大学生のおかれている状況がわかり、興味深い。
彼女は、高校時代も学業に専念し、大学に合格、成績優秀で大学を卒業した。現在は1日8時間労働の定職に就くこともできている。従順で、両親も成績やこれまでの行いに対して、今のところ人並みに満足してくれているという。
彼女は、周囲の人に認めてもらうために良い成績を収めなければならないという強迫観念がいつもあった。特に同人種間でその意識は強かったという。
学費のねん出や、大学に行くことでその期間自分が働かなくなることなど、今まで犠牲を払って育ててきてくれた両親に対する恩返しの意味で、よい成績を収なければならないプレッシャーがあった。さらに、意識的であれ無意識的であれ、猛勉強して、大学卒業後は短期間で雇用にありつけるよう、努力した。ギャップイヤーを取得して、遠く離れた地で英語を教えるなんて時間の浪費をできるはずはない。大学を卒業したらすぐ働く。このレールから外れてはならないと考える。
彼女は20人以上の友人と話をして、気付いたことがある。野心とは大まかに、経済的余裕と自立、この二つだ。もう一つあるとすれば幸せをつかむこと。ここで言う自立とは自分だけでなく、他者も同時に養える能力を指す。真の成功とはどれだけ自分の得た報酬を他者と共有できるかによって計られ、そして価値化される。この国では、葬式以外で話すこともない親戚の叔父や"関係の薄い"いとこや、調子よくお金をせがむ叔母なども面倒できるかどうかということになる。
彼女は、両親のような苦しい生活ではなく、もちろん快適な生活を目指す。このゴールにたどり着くために、安全で安定した道を選ばざるを得ない。失敗する、放蕩するといった選択肢はない。大学にいたころ、失敗できる余裕がある友人を数多く出会ってきた。彼らは留年を繰り返すことができ、やり直すことができる人たちだ。これは金銭に余裕があるからできるので、授業から離れることができない多くの貧困層に選択肢はない。
親の負担をなくすために、3年4年という与えられた大学の時間の中で、計画を立てて学位を取得する。するとそこには、立ち止まって、自分が人生を賭けてしたいことを精査する時間などない。いったい何人の若者が「自分の好きなことをしている」と堂々と言い切れるだろうかと彼女は思っていた。
もちろん、彼女と同じような境遇でも、違う選択をした学生もいる。彼らは大学を卒業をした後、すぐ旅に出るギャップイヤーを決めた人たちだ。そして彼らは、その後、異口同音に"奇妙な仕事をして、どうなるかとにかくやってみよう!"という。
ギャップイヤーに出ると、ルーティーンが世界を観ることになる。友人たちのこんな生き方から、自分を感じることもありかなと思うようになった。恐ろしいことが起これば、出たとこ勝負で対応すればよいし、無計画という計画でやっているという話だ。
人生はこうあるべきとか、こうしなきゃいけないとかいう思考の青写真を燃やしてしまうのには計り知れないほどの勇気がいる。旅の道中に空腹で倒れそうになるかもしれないし、友達の家を訪ねてソファーで寝かしてもらうことになるかもしれない、もっと言えば、他人の家で過ごして終わってしまうかもしれない。しかしそれでも、自己発見に身を投じる見返りは、初任給を受け取ることよりはるかに素晴らしいものかもしれない。彼女は、今そう思うようになった。
出崎義明

