JGAP寄稿者短信:「僕が米国大学院に進学した理由」(加藤遥平、米国UC Davis)![]()
きっかけは高校生
発展途上国の貧困問題に興味を持ち始めたのは、高校生の時でした。
「生まれた場所が違うだけで機会や可能性が限られてしまうこと」に疑問を持ったのがきっかけでした。
その時から漠然と国連機関で働きたいと思っていました。
当時、国連機関で働く方法を調べると、
必ず「修士以上の学位が必要」と記されてたのを今でも、よく覚えています。
だからでしょうか、自分の中で「大学院に進学する」ことは、
小中学校に入学するかのごとく、当たり前に行くべき場所になっていました。
進学のタイミングは、3-4年就職して働いた後を考えていました。
専攻は開発学か経済学で、途上国で働く際に現場で活かせるものを学びたいと思っていました。
アメリカで出会った「貧困」が転機に
転機が訪れたのは、大学3年の冬でした。
当時、アメリカに留学していた僕は偶然か必然か、今と同じコミュニティ開発を専攻し、
授業やフィールドワークを通じて、アメリカの都市や地方が抱える課題について学んでいました。
ある日、郊外の公園で二人の少年に会いました。
年齢はおそらく高校生で、学校がある平日にも関わらず、公園でたむろしていました。
聞くと、最近、高校を辞めて仕事を探していると、話してくれました。
親が病気で働けず、家族を養っていくには彼らが働くしか方法がないそうです。
詳しい事はわかりませんが、クラスメイトによれば、彼らはメキシコから家族で移民してきたため、
国の社会的サービスの対象にはなっていないそうです。
そればかりか、州外民のため、高校の授業料が高くなっているのでした。
家族を養うために学校に行けない子ども達が目の前に居ました。
先進国アメリカでの貧困を目の当たりにし、
「貧困や格差は途上国だけの問題ではない」と気付かされました。
まさに視界が「パッ」と広がる体験で、
これが原体験となって、フィールドを絞ることを辞めました。
先進国、途上国問わず、どの国の課題にもアプローチできる学問を学び、
腕を磨いて世界中の課題に対処できる人間になりたいと思うようになりました。
探り続けた帰国後
それから約2年半、留学を終えた僕は、
ひたすら問題意識を深め、それに応えるアプローチを探り続けました。
バングラデシュに5回渡航し、インターンシップ、スラムの研究、ビジコンの開催に取り組みました。
大学院を選ぶため、バックパックで西欧の大学院を周りました。
日本では大学の周辺や大学内で、コミュニティ作りに取り組みました。
1年後、1つ目にわかったことは、自分が未熟であるということでした。
そのまま現場でもがきながら、成長することもできたと思いますが、
決定的に必要だったのは、豊富な経験を持つ専門家のアドバイスと経験を整理する機会でした。
これが、僕が大学院のプログラムに求めるもの達です。
2つ目は、コミュニティ開発が持つ可能性でした。
人と人をつないで、コミュニティを作ることで、
一人では思いつかないアイディアが生まれたり、一人では成し得ないことが達成できたりします。
そんな経験を日本やアメリカ、バングラデシュで身をもって実感しました。
「コミュニティ開発を学び、地域の人々が自らの力で地域の課題を解決するお手伝いをしたい」
これが僕が大学院に進学し、コミュニティ開発を学ぶ大きな理由です。
大学院での役割
昨年の冬に大学院を受験し、大学院への進学を決めた後、
studio-L で数ヶ月間インターン生として、コミュニティデザインを勉強していました。
そして今秋から、ここ UC Davis で大学院生活をスタートさせます。
クラスメイトは経験豊富な30代の実力者ばかりです。
教授陣は欧州、ラテンアメリカ、南アジア、日本、と世界中をフィールドに研究と実践に取り組む人々です。
こんな環境で2年間を過ごせるのは、この上のない贅沢ですが、
ただ、与えられるだけでなく、与えられる存在にならなければ、ここに居る意味はありません。
この半年間に学んだ日本のコミュニティデザインの実践と、
バングラデシュの若者達の取り組みを伝えて、
その価値を証明していくことが僕の大学院での使命なんだと思います。
最後に、
「何かを与えられた人は、何かを期待されているということを忘れないで」
とは、進学が決まった際に恩師からもらった言葉です。
与えられた機会と周囲の期待を超える活躍と成果を残せるよう、2年間しっかり頑張ります。
【JGAP寄稿者短信"拡大版"】 「私がバングラデシュで挑んだこと ~ この国の若者に"機会"を作る!」(加藤遥平さん、※当時 筑波大学 国際総合学類5年)-エッセイ集 フロンティア・フォーラム: http://japangap.jp/essay/2013/03/-1npoileapsiis.html

