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JGAP寄稿者短信:「旅が"非日常"から"日常"に変わる瞬間 」

稲村 航平
法政大学文学部地理学科3年


いつの日から非日常から日常へと変わった、その瞬間はいつだったのか。そして日常に変わった今とは。

◆はじめに
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「旅は非日常である」。いつの日からこのような言葉が自分の頭の中にあった。

普段生活している瞬間から、非日常の世界へ。今までのバックパッキングスタイルでの旅行は「非日常」を楽しんでいた。

しかし、いつの日からか僕が旅をすることは"当たり前"になってきていた。「日常」へと変わっていったのだ。


◆「非日常」から「日常」へ
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最近の旅は日常化している。数年前に味わっていた感覚とは全く違うもの。

大学1年生や2年生の頃に自分がしていた旅とは変化している。あの頃は海外をバックパッカーをするだけで一つの大きな出来事であった。

準備をしっかりと行い、ワクワクした気持ちで空港へ。現地の慣習に驚いたり、何事も好奇心を持って覗いたり、色々なことを体験したり。

だけど、世界一周でヨーロッパに入った辺りから、僕の中で「非日常」と「日常」が混ざってきた。日常であったり、時には非日常であったり。僕の中で二面が混在していた。

そして帰国。次の夏休みに中東と東南アジアへ旅をした。その時はどちらも1週間ほどであったのだが、僕の中では「非日常」という概念がなくなっていた。あくまでも「日常」の中のひと時。決して前に感じていたモノはなくなっていた。

このような変化は日本との繋がりが大きいだろう。高校3年生や大学1年の頃はLINEがなかったので、連絡を取るにもFBやTwitterが主流であった。常に見ているわけではなかったので、そのため日本の日常に触れるということがなかったし、世界一周中もスマホ盗難でLINE機能がPCだったので、殆ど使えていなかった。だからこそ「非日常」を感じ得たのかもしれない。

今となっては海外に行くことは「ちょっとそこまで」の感覚だ。抵抗など全くない、韓国や台湾などは隣町に行くような感じ。スマホもあるので日本との連絡も付きやすい。これも情報社会故のことだろう。

基本、僕は都会に行くので過ごし方は東京と殆ど変わらないのだ。

僕にとって、海外旅行は決して特別なことではなくなっている。


◆「非日常」である必要はない
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はじめで述べたように、「旅は非日常」であると言われるけど、僕は別に非日常である必要はないと感じている。

日常になってしまうと"つまらない"や"面白味がない"と答える人がいるかもしれない。確かに平凡化しているかもしれないけど、日常になったからこそ知りえることや新たな発見があったりする。

最初から旅は日常にはならない、何度か経験すると段々と変化してくる。特に長期旅行を一度経験すると、より日常化に近づいてくる。

日常になることに始めは抵抗を覚えてしまったけども、一つ線を超えるとそれを楽しむようになっていた。

決して日常になることは悪いことではないと僕は考える。

旅なんていうのは自己満足だ。自分が良いと思う選択をすればよい。


◆新たな旅のスタイル
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海外に行くことは当たり前となってしまった今、海外に行くという実感が薄れてきている。「明日から海外行って」と言われたら、何も抵抗することなく「はい」と答えるだろう。電車に乗って大学行く感覚と同じ、飛行機乗ってどっか行くみたいな。

都会好きな僕は、海外でも都会を目指すことが多い。それは落ち着くからだ。わざわざ辛い思いをしてまで田舎に行くメリットは自分の中にはない。

都会に行くとやることは東京にいる時とさほど変わらない。

観光は殆どしなくなっている。見どころを抑えることもあるけど、それが目的ではない。

観光ではなく、現地の美味しい物を食べたり、雰囲気が良い食堂を探したり、単純に街中を散歩したり、マーケットを覗いてお店を冷やかしたり、ショッピングセンターに行って現地の人の生活を垣間見たり、地下鉄や路線バスなどの現地の公共交通機関を使ったり。

段々と東京での生活と境目がなくなってきている。現地人と同じレベルになりつつあるのだ。僕は一人の旅行者であるし、欧米ではマイノリティに属するので、現地人には一生成れないけど、「現地人になりきる」という当初の目標(?)に近づいてきている。

その現地人になりきる中で、旅先での「非日常」が新たに出てくるのだ。それはビーチや国立公園など自然に触れ合うことである。

都会に目指す僕は普段から排気ガスやビルに囲まれた生活をしている、日本でも海外でも。なので週末や日帰りなどで自然を体験すると、「たまにはいいな」と感じるのだ。

それが「非日常」。"日本に出ることが非日常"から"海外生活での非日常"になってきている。つまりは、現地人が感じる非日常なのだ。

以前のような旅のスタイルから変化している。昔は観光地をただ単に歩き回っており、勉強など全くしていなかった。というか、そういう余裕は持てなかった。

まずは行く、ということが大切であり勉学は2番手以降の扱いであったぐらい。

しかし、今は違う。余裕が出てくると、次の段階へ。今は現地の事を積極的に学ぶようにしている。背景などを知ることで、そこでの滞在も濃厚なものとなるからだ。

「現地」に溶け込んでいく。昔から自分の中でなり切ろうとしていたことだ。

数々の国を訪れて大学3年を終えようとしている今、新たな旅のスタイルになってきている。


◆おわりに
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今回は旅における「非日常」と「日常」について述べた。

これは人それぞれ事例が違う、なのでここまで書いてきた事はあくまでも「僕自身」のこと。全員に当てはまることではない、もしかしたら一緒の人がいるかもしれないけど。

一人旅が主流であるので、誰かと旅行をしたり、現地で買い物をしているのが新鮮で逆に戸惑ってしまう。それは「非日常」となるのだ。

僕の中の生活の一部ではなくなっている。

「人生は旅」という言葉があるけど、それは間違っていたにだろう。僕の人生の中で海外はかなり身近な存在。生活していく上で欠かせないことだ。

皆さんは海外を旅している時「非日常」になっているだろうか、はたまた「日常」だろうか。


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