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トルコ発「邦人たちの死が僕に伝えたコト 」

 度々、重めのタイトルでごめんなさい。
旅の楽しさを伝えたりってのは他の人もブログで書いてるし
俺は動画でそーゆーのアップしてると思うのでこれは読みたい人だけ読んでください。

タビロックの件、シリアの件、ルーマニアの件と
「死」を、身近に感じます。

生きるとは、死ぬとは。その意味を問いかけられる気がする。他人事ではない、何度も言うようだけど。

実際にトルコでも昨日か一昨日爆破事件で人が数名死んでる。そういった事件が起きる国や地域に俺は居る。たとえイスタンブールと言う観光地であっても可能性はゼロじゃない。むしろ、可能性は高くなるかもしれない。

そんな状況に自分は置かれてるという危機感を持つ自分が観光者で溢れかえるイスタンブールでは場違いかのように感じてしまう。

日本でバイトに明け暮れて、旅という"出口"に向かって突っ走ってた時に友達から「海外で死ぬなよ」と言われて、吐き捨てた言葉は「日本でも死ぬ奴は死ぬし、海外でも死なない奴は死なない」

今、海外に出てみてどうだろうか。
大学不登校の時に書いた日記は「生きてる実感が欲しい」

その言葉に対して邦人の死をネットではあるけど垣間見た今、返す言葉は
死にたくないです。

真っ暗な死の隣で、僕は生きてます。
としか言えない。

たまたま、シリアで亡くなった山本さんの御遺体や顔が映ってる動画を昨日ネットで拾った。
生前の姿も、ネットではあるけど見ている僕にとってこれほどショッキングなモノはなかった。
恐怖した。

ただ「死にたくない」と切実に想った。

きっと日本に居て、テレビから流れる報道を晩飯を食いながら眺めてるだけだったら
「あー、かわいそうだね」って、そんなに気も留めず、風呂はいって、ふつーに寝てたと思う。

日本に居た時と、心の距離が違う。物理的な距離も違うけど。トルコの南側、シリアの北部では死ぬか生きるかをやってる。

バスで10時間も行けば、そこは戦場。という事実。
バスで10時間なんて、一晩あれば着くんだよ。

別に、「海外出てサバイブしてるぜ」みたいなことを言いたいわけじゃない。
生きてるとは、「恐怖を感じてる今」

死ぬとは、「生の隣にいつも居座るモノ」
それしか、今はわからない。でもそれだけは分かる。

「死ぬ覚悟」なんて、今の自分には出来ない。

でも、これから自分は西アフリカを中心にアフリカを旅する。
ネットで「途上国に行く奴の気がしれない」「アフリカ行くとかただの自殺願望」といった書き込みを見た。

解らなくていい。

もし、俺が死んだら存分に叩いてもらって構わない。
その匿名掲示板とかいう生温くて狭い世界で。

俺に死ぬ覚悟は出来ない。

でも何があっても、生きる覚悟だけは決めてる。

なぜアフリカなんて危険なところに行くのか?
理由なんて説明できない。行きたいから行く。それだけ。

なんで1年という長期で世界を旅しているのか?
好きだから、楽しいから。それ以上の理由なんて俺には要らない。


死の隣で、生にしがみついて
それでも旅がしたい。

多分、一年前の俺が求めてた感覚はきっとこんな感じだったんだろう。
現在夜の2時半、動画で見た山本さんの顔が、いまだに脳裏に焼き付いてる。

ひたすらリアルに死を伝えた。少なくても俺には伝わった。
生きる。生きて、南アフリカの喜望峰に立ってみせる。

その覚悟が決まった。

※文はブログから転載→http://ameblo.jp/rararai47/entry-11335537921.html

白井耕平
(武蔵大学人文学部=2年次休学中、世界一周中)
No.69:「『生き方』を変えていく旅~3月11日生まれの僕」 JGAPエッセイ集 フロンティア・フォーラム欄 http://japangap.jp/essay/2012/06/311.html