ギャップイヤー・ジャパンからのニュース・お知らせ

JGAP寄稿者短信:「仮説を持った者だけが結果を手に入れられる 」(広瀬 裕貴)


 最近「仮説」という単語が頭をよぎることが多い。今まで僕としては「自分自身の中で十分に考えられていない」という意味で「仮の考え(仮説)」という言葉を使うことが多かったが、どうやらこれは違うらしい。「仮説」の「仮」は「現実の根拠が無い」という点で「仮」であり、「十分に考えぬいた仮説」ってのが世の中にはあるってこと。

 世界百科事典では仮説を「事象や法則について説明するために仮に設定された説」という用に定義している。営業をしていると「お客様の本質的な課題は何か」について議論し「お客様の本質的な課題はAである」と結論付けることがあるけれど、これらはあくまで「仮説」なんだよね。「本質的」なんて言葉についつい騙されてしまうこともあるけれど、実際にはその課題を解決して結果が伴うか否かを見てみないと「本質的=課題を解決する本当の原因」かどうかは分からない。検証できていない限りは、例えお客様が合意したとしても仮説は仮説にすぎない。ここらへんは少しずつ頭の整理ができはじめた所。

 仮説は何かを説明するものであるから「AはB」であるという形で表現できる。そしてそこで初めて、「AはBである」のか「AはBではないのか」がわかる。ここで大切なことは「AはBである」の前提条件をきちんと明らかにしておくことである。前提条件が曖昧であると「彼は彼女が好きである」という仮説を立てたとしても「彼は彼女と結婚はしたくないが、付き合いたい」や「彼は、ショートカットの髪型の彼女は好きであるが、ロングヘアーの彼女は好きではない」といった際にその仮説を検証できなくなる。仮説をきちんと持つことで、その結論を手に入れることができるはずだ。

 やや話は飛躍するが、よく言う「主体的(前向き)に生きる」最初の一歩とは、「自分はこんなふうに生きれば良く生きられるはずだ(自分が良く生きる生き方はAである)」という風に自分の幸せについて仮説を持つことではないかと考えたりする。仮説は「AはBである」の形で表されるので、自分の幸せについて仮説を持つためには、「自分の幸せはAである」のAを自分で決める必要がある。自分の幸せを自分で決めるってある種とても怖いことだけれど、そこに対して自分なりの結論を持つ(責任をもつ)ことが、主体的に生きる第一歩なのかなって。

9月もあと少し頑張ろ。


2011年12月15日付
JGAPフロンティア・フォーラム欄No21:「『決断』について思う3つのこと」広瀬 裕貴さん(一橋大学経済学部2年※当時):
http://japangap.jp/essay/2011/12/post-7.html

ブログ「居場所のある社会を」:http://hiyokoluv.com/