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JGAP寄稿者短信:「40年前の日本人と一致した僕の願望~エジプトから南下」田中さん①.jpg


田中 隆彬
武蔵大学経済学部 4年次休学中@世界一周中


 暑い日差しが毎日僕を照らし続ける。一方通行が至る所で目に付く道路ではクルマのクラクションによる罵声にも似た音が飛び交っており、道行く人々は僕を物珍しそうにジロジロと見ながら歩み去っていく。そんな僕は現在エジプトに足を運んでおり、テレビやガイドブックでしか見たことがなかったピラミッドやスフィンクス、神殿といった歴史的建造物に直接触れている日々を過ごし早くも2週間が経過しようとしている。

 ここから先、スーダン以南は陸路で南下して南アフリカを目指していく。走行距離は推定約12,000kmでこれを最大3ヶ月かけて縦断していく。初めは縦断するつもりはなく空路で国々を跨ぐ予定だったが、トルコの宿でネットサーフィンをしていた時にある記事を偶然目にし、それが旅路を決める引き金となった。そして、僕がこの旅の中で最もソフトテニスを一緒にしたいと思う人がいるのはアフリカ大陸だと強く感じたのもこの時である。

 その記事の内容は今から1970年代に日本人がコンゴ民主主義共和国にソフトテニスを普及させたという内容であり、僕はこの記事を目にしたとき興奮を隠せずにはいられなかった。何故かと言うと、僕はこの旅の間に自転車やサッカーボール、美容師といった様々な分野を持った旅人と巡り会って来たが、ソフトテニスをしながら旅をしている人は僕以外に聞いたことがなかったからだ。それが約40年近くも前にアフリカの大地にソフトテニスを齎しただけでなく、国中に普及させることも成功したというではないか。正に僕が目指しているものが目の前にあるパソコンに映し出されていた。

 当時の日本人も現地人に日本の文化を理解してもらうために選んだものが僕と同じくソフトテニスで、最終的にメンバー数は2,000人を越えてクラブも80近く生まれたと記されている。しかし、内戦によりソフトテニス協会は休眠状態を今も続けているという。折角ここまで普及させたのにも関わらず、今も休止しているのは実に残念なことである。もし、内戦が勃発していなかったら今も活動を続けていたことだろう。だから、僕は当時の日本人からのバトンを受け継ぐためにも、1人でも多くの人にソフトテニスを知ってもらえる機会を設けために陸路で行くことを決心した。
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 実際にエジプトでは、到着初日に現地の硬式テニスコーチと出会い、彼と一緒に打つことが出来た。彼にソフトテニスについて聞いてみたがその存在さえも知らないでいた。僕は彼に説明すると目を輝かせながら同じクラブに通う人々にもソフトテニスの存在を認知してもらうためと、硬式テニスとは若干異なるフォームやボールの打ち方を懸命にメモやビデオに記録していたので僕は何時でも打てるようにとボールを幾つか渡した。

 だが、もしかしたら彼らが興味を示すのはほんのひと時で終わってしまうかもしれない。それでも、僕から発信していかない限り、彼らも知ることは皆無だと考えると僕はもっと積極的に伝えていくべきなのではないか。
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 今から40年前にコンゴ民主主義共和国で人気が出たように、僕はアフリカの大地にソフトテニス、"Japanese Tennis"ブームが再び巻き起こって欲しいと願っている。そして、日本の文化に触れてその楽しさを体感してもらうだけでなく、彼らの生涯スポーツとしても成り立って欲しいという願いも込めてラケットバッグを背中に担ぎ、これから僕は巡り会うであろう顔も名前も分からない人々に会いに行く。

(関連記事)
2014年9月2日付エッセイ集 フロンティア・フォーラム寄稿
No.182:「 過去の自分と断ち切るため、ソフトテニスで世界一周を!」(田中 隆彬さん)
http://japangap.jp/essay/2014/09/-4-3.html

プロフィール:
田中隆彬
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