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JGAP寄稿者短信:「彼の手へ届けた僕の旅~ケニア・マサイ族の青年とのテニス」田中さん1.jpg

田中隆彬
武蔵大学4年次休学中@世界一周中


 アフリカ大陸にいながらも、標高が高く肌寒かったエチオピア、ケニア。そこから一気に気温が上がり蒸し暑い日々が続いていたタンザニア、マラウイを抜けてザンビアまで南下して来た。日中は水分補給を徹底しないと日射病にやられてしまうので、今まで以上に多く摂取するようにしている。
 

エチオピアの国内唯一のテニスクラブ
 そんな中でも、エジプトに続きエチオピアやケニアでもソフトテニスを現地人と一緒にしてきた。エチオピアでは国内唯一のテニスクラブに足を運び、偶然その場に居合わせたテニスコーチにコンタクトを取って僕がどういう意図で旅をして世界を周っているのかを伝えると、彼は他のコーチや子供達にソフトテニスをする時間を2日間設けてくれた。

 彼らは普段からラケットを握っているだけあって、硬式テニスと比べると若干打ち方がことなるのにも関わらず"あっ"という間に自分のものにしており、気がつくと皆で打ち合いをし始めた。硬式ボールと違い、いくらか力を込めて打たないと飛ばないソフトボールだが、そのインパクトを楽しめるものも1つの醍醐味であって、彼らは思いっきり打てるソフトテニスをエキサイティングだと歓喜してくれた。
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 そして彼らは僕が去ったあとでも続けたいというのでボールをいくらか提供し、他のメンバーにも伝えてあげることを約束して僕はエチオピアを後にした。

12年越しの夢は、ケニア・マサイ族とのテニス
 一方、ケニアではマサイ族に会いに行くためマサイ村に訪問してきたのだが、僕がここを訪れる1つの重要な理由があった。それは僕が小学4年生まで遡(さかのぼ)る。合唱祭でスワヒリ語で歌われているマサイ族の歌があったのだが、僕は槍を地面に叩い音を鳴らす役割に分担されていた。これがなかなか難しく、リズムを取るのに大変な苦労をしたのを覚えている。当時、既にテニスを習っていたのでラケット代わりに槍を振ったりしていた。そこで僕は僕が知らない言語を話す世界の何処かにいる彼らといつかテニスをしてみたいと思っていた。それが12年越しに叶えることが出来たのだった。
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 マサイ村ではまず最初に彼らの歓迎の歌からマサイジャンプを見せてくれたり、普段の私生活や火の熾し方などを教えてもらった。その後、地面のうねりや牛の糞が多すぎてテニスができる状態ではなかった。そこで、平地がある小学校の校庭に移動して、その手にラケットを握ってもらってみた。最初、彼らは物珍しそうにラケットをじっと眺めてどう使うのか聞かれたので簡単な打ち方やボールの突き方を教えてみた。

 何人かはそれだけで終わってしまったが、その中にいた一人のマサイ族の青年が興味を示してくれて、僕の話をじっくりと聞いてくれた。彼の話も聞いてみると、彼の将来の夢は裁判所で勤めることらしく、今度大学にも入学する予定だと話していた。と同時に、好きなスポーツの1つとしてテニスだったらしいが、打てる環境がないマサイ村ではまだその夢が叶えられていなかったので、今回初めてテニスが出来たことにとても喜んでくれたのだった。

 このように僕は多少ながらアフリカの各国でソフトテニスの面白さ、ボールに触れる楽しさを伝えいる。だが、今後彼らがソフトテニスのことをいつまでも覚えているとは正直難しいかもしれない。それでも今回、僕は"テニスを初めてすることが出来た"、というマサイ族の一人の希望に応えることが出来たはずだ。それはもはやソフトテニスを世界に普及させる云々ではなく、彼の手に夢を握らせることが実現できたことで、僕が旅をしていることの意味が、僕のやりたかったことができたのだと感じている。
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こうして僕はエジプトのカイロから陸路でザンビアまで南下して来た。これからはジンバブエ、ボツワナ、ナビミア、そして大晦日に南アフリカのケープタウンにある喜望峰に辿り着くことを目指している。これからも僕がラケットを持って来た意味が果たせることを目標に、ひたすら進んで行く。


2014年9月2日付No.182:「 過去の自分と断ち切るため、ソフトテニスで世界一周を!」(田中 隆彬さん、武蔵大学経済学部 4年次休学中@世界一周中-エッセイ集 フロンティア・フォーラム
http://japangap.jp/essay/2014/09/-4-3.html


プロフィール
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