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 いやはや、こっちにきて一ヶ月はとうにすぎました。とんでもなく、えげつないくらい、もう信じられないんじゃないか!?、と思うくらい、めちゃくちゃな早さでアメリカでの日々が進んでます。その理由は「毎日楽しい☆」と言いたいところですが、わりとそんなことはなく、この早さはどこからきているのかただただ疑問です。逆に、いろいろ模索しながら辛さを感じるのが楽しい的部分はある。いや・・・ない。まあまあ、それなりに楽しく日々を過ごしております。

 今日のテーマ「言葉の壁」。これは英語、日本語と言う話ではありません。前回のブログで「教師が意見を述べる事を強要してくるのがアメリカ」みたいなことを書いてましたが、そこである記事を思い出しました。結構前のクーリエで「ハイコンテクスト対ローコンテクスト」という記事。

 ひとくくりにしたら失礼ですが、アメリカ的な映画はしっかりと道筋通りに進んでいきます。つまり、だれでもわかる映画。バタフライエフェクトとかマトリックスとかそういうのは除いて。逆に日本的な映画は想像力みたいなのを掻き立てる。「風鈴がなるのは、おじいさんが死んだというメタファー」みたいな詩的なものが多い。

 みたいなことがその記事で書かれていて、「たしかに〜」とか思っていたことをふと思い出しました。

 アメリカにきて、グリーティング文化みたいなことに困らされてます。簡単な例で言えば"How are you?""What's up?",朝起きて、そんなこと聞かれたら、99%のひとが「眠い」って答えるに決まってんだろ。とか思いながら「better than terrible」と毎朝答えています。

 これには多分前述の「ローコンテクストとハイコンテクスト」みたいなのが関係してて、ハイコンテクストは聞き手に責任が生じる文化。単一民族によく起こる現象で、似たような文化資本を持っているから、文化的な定義やすっとばして会話をする。聞き手の能力にもよるけど曖昧な表現とか論理的な飛躍が許されるのがハイコンテクスト。(日本)

 逆にローコンテクスト文化は話し手に責任が生じる。多民族国家によくある文化で、文化的背景の違う人たちが集まって国家を形成しているから、背景もバラバラ。だからこそ、わかりやすい直接表現が好まれるやつ。まあなんでも言葉にしてわかるように説明しましょうみたいな文化ですね。(アメリカ)電子レンジの説明書に「猫を入れないでください」とかよくある話だよね笑

 あいさつもそうで、きっと僕たちが「元気?」って聞かないのは、言葉にしなくても雰囲気でなんとなくわかるからだと思いました。日本人が想像力豊かとかそういんじゃなくてね。

 ただ「郷に入っては郷に従え」ということで、ハイコンテクストな「空気を読む」という日本人特有の能力は授業などでは評価されないということを理解した一ヶ月でしたので、それなりにアメリカナイズされようと思いました。


熊谷祐介
ミドルテネシー州立大学留学中

2012年8月5日付 フロンティア・フォーラム No.79:「カラフルな世の中へ~その意味とは?!」熊谷祐介さん(埼玉大学2年教養学部=休学中。現在世界一周中): http://japangap.jp/essay/2012/08/2-1.html

9月3日付JGAP寄稿者短信:「アメリカでの備忘録」(熊谷祐介さん、ミドルテネシー州立大学留学中) http://japangap.jp/info/2014/09/yoshidasuri.html

ブログ「熊谷祐介の備忘録」:http://kumagai112.wordpress.com/