ギャップイヤー・ジャパンからのニュース・お知らせ

JGAP寄稿者短信:「あれから4年」(川角健太、きっかけパスポート共同創設代表=法政大学在学中)川角さん写真.jpg

ふと思い浮かんだので、心にわいた言葉を書き綴ります。

あの日、僕はどうしようもできなかった。


テレビで、現実として受け止められない映像を観ていた。

インターネットで、生々しい情報を観ていた。

たくさんの情報があふれ、どれが本当かわからない。

でも、とにかく何か、少しでも力になれればと思った。

パソコンの前に張り付き、自分にできることを探す。

ボランティア。受け入れる側のことなんて考えられず、ただただ『早く行きたい』と思うばかり。

募金。お金がなく、小銭を入れる。

支援団体立ち上げ。そんなこと微塵も考えていなかった。

何もできない自分が悔しかった。

SNSをみていると友達や、同じ学生がたくさんの活動をしていた。

僕はその人たちを『すごい』と思って、ただみるしかできなかった。

自分自身の力のなさを感じて、5日ほどうつ状態になっていた。

震災から10日後、僕は車の免許合宿で島根県へ。

これがあることを言い訳に、何もできてない自分も腹立たしかった。

関西に行ってびっくりする。

東京ではコンビニの食品はなく、

公共施設の電気も節電でほとんど使われていない。

でも、関西に行くとコンビニにパンがずらーっと並んでいた。

電気もピカピカについていた。

10日前までは当たり前だったことが、奇跡に思えた。

同じ日本でも、こんなにも事態の把握は違うのかと実感した。

島根の大自然の中で、半月の免許合宿。

震災のことは忘れて、毎日を楽しく過ごした。

帰京。

またもや、西日本との違いに驚く。

半月前の状況に戻り、またもや当たり前が当たり前じゃなくなった。

何か自分もやりたい。

そう思っても、できることは限られていた。

情けなくて、悔しくて、またも自分を責めた。

力のなさしか実感できない毎日だった。

それからは少しだけボランティアに行ったり

旅をして観た一つの現実を発信したりしたけど

どれだけの力になったかわからない。

とにかく僕は、小さな小さな力だった。

人を助けるためにまずは自分自身が大きくならないとと思った。

月日は流れ、4年が経つ今。

あれからの自分は、何かが変わっただろうか。

人の力になりたい。

その心は変わっていない。

変わったとしたら、できることが多くなったこと。

この4年で日本一周も世界一周も、イベント制作も出版もしてきた。

急速に人の繋がりも増えた。

今の自分ならもし何かが起きても、

必ず何かを世の中に提供できる自信がある。

今なら自分にできることを見つけて行動できる。

そんな気がする。

少しは成長できてるのかな。

もちろん何も起こらないのが一番だけど、

もし何かが起こったときに行動できるように。

ただ、毎日を大切に自分を磨いていくだけ。

そして、4年前に当たり前が当たり前でなくなったことが、

今では再び当たり前になってきている。

でもそれは、本当は当たり前ではないはず。

今というこの瞬間が奇跡。

すべてのことへの感謝を忘れずに、

改めて日々を大切にいきようと思う。


(関連記事)
2013年3月31日付 エッセイ集 フロンティア・フォーラムNo.113:「一生のうちのたかが1年、されど1年!~僕はこんなギャップイヤーを送りました」 (川角健太さん、法政大学人間環境学部3年次休学中 ※当時): http://japangap.jp/essay/2013/03/-3.html

2014年9月7日付
JGAP寄稿者短信:「思考の整理:僕がイベントをやる理由」(川角健太さん、きっかけパスポート共同創設代表=法政大学在学
中) 日本ギャップイヤー推進機構協会(JGAP): http://japangap.jp/info/2014/09/post-154.html


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