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JGAP寄稿者短信:「銀行を辞めることにした日」


堀米 顕久(大分大学医学部医学科・12年度 BADO! 世界を旅するチェンジメーカー奨学生)

「貴殿は合格しました。入学の意志がある場合は、1時間以内にFAXをお願いします」

2011年8月4日(木)夕刻、福岡の職場でデスクワーク中に、携帯に受電。

「これは絶対に受かってるだろう」
と思ってた自分もいれば、
「仕事のスキマ時間に勉強を始めて半年足らずだし、まさかまだ受からないだろう」
と思ってた自分もいて少し混乱しつつ、
とりあえずセオリー通り「イエス」と返事をして、最寄りのコンビニからFAXを送信。


「出張明けの月曜に個別に話す時間を下さい」

と、ちょうど出張中だった直属上司にメールを送って、「さてどうしようか」と週末にかけてもんもんとしつつ、何人かにメールしたり電話したりして相談させてもらって。

「大分の医学部受かったんだけど、これで決めて行っちゃうべきかなー、北海道目指しても少し頑張るべきかなー、もんもん」
「まぁ、思うようにしたらいいよね。えいやぁってさ。これまでもそうやって生きてきたんでしょ」

なんて投げやりなアドバイスを多数もらって、「あぁその通りだなー人生勢いだしなーよし行くか!」と腹を括って、週明けの月曜朝イチで上司と個室で面談して、

「急ですいません、来月いっぱいで退職させて下さい」

と単刀直入に一言。
そんなそぶりは全く見せずに、本当に急な話だったから、上司もちょっと混乱しながら、

「えぇ?なんで?ひょっとして親御さんに何かあったとか?辞めない方法もきっとあるよ?」

なんて心配してもらってしまって。

「いえ家族は健在なんですが、実はかくかくしかじかで...」

と説明したら、「いつの間に?」とか、何度か驚いたりしながらも大体飲み込めた様子。
あまりに急な話だったし、理由はどうあれ育ててくれた会社を裏切ることになってしまったのだから、怒鳴られたり、何を言われても仕方ないと覚悟していったのだけれど。
一言、

「そういうことだったら、もっと早くに言ってほしかったな」

と言ったあと、

「他の会社に転職するとかなら引き留めるものだけど。その道に想いがあって、もう受かってるのなら、引き留めるわけにもいかないよね」

って、自分に言い聞かせるように言って、そして

「おめでとう」

って。
これから取引先の引継ぎ関係や人事関係でバタバタと面倒が待ってるのをたぶん全部想像したうえで、それでもそう言って、

「小児科かー、医者になる頃には、うちの子はもう世話になれない年になってるかなー?」

なんて気の早い話をしてくれる、心やさしい上司でした。

その後すぐに副支店長を呼んできて、3人で改めて話をして、
副支店長も最初はびっくりしながら、でもすぐに笑顔で「おめでとう」って。
それから9月末までに仕上げておく仕事の話とか、後任の人事の話とかをテキパキと進めていって。

少しずつ、福岡支店の人には退職の話が広まっていって、
9月中旬に少し休みをもらって、鹿児島や札幌や東京の職場にも挨拶に回って。

札幌で新社会人を迎えた自分をイチから育ててくれた上司や先輩とか、
就活時に面接を担当して自分を採用してくれた人たちとか、
鹿児島や福岡でお世話になった人たちとか、
あるいは全国に散る同期や後輩たちとか。

「辞めてもこっち来たら支店には立ち寄りなよ!」
「今夜は飲むよ!逃がさないよ!」

皆少し驚きながら、でも「おめでとう!」って言ってそんな風に誘ってくれる、温かい職場でした。


一人、自分の採用面接をしてくれた先輩で、どうしても挨拶回りで会えなかった人がいたのですが、去年(2013年2月)沖縄を訪れていたときに、偶然その先輩も出張で沖縄に来ていて、那覇支店の同期からの連絡で、急遽一緒に飲むことになったりして。

経歴的に銀行員向きじゃない自分がこの組織に入って働くことができたのは、たぶんその先輩が上にも掛け合って猛プッシュしてくれたからなのだと思っていて、
だから、まさか沖縄でそんな奇跡みたいな再会ができたのは純粋に嬉しくて、
さらに彼が、ある意味彼を裏切ってキャリアチェンジをした自分を非難するわけでもなく、

「お前が退職してから、おれも行政書士を取って、今度司法書士も取るんだよね。だって、お前がもっと先を目指して勉強してると思ったら、自分も何もしないまま再会したくなかったから」

って。
辞めて1年以上が経過してもなお、そんな風に話してくれる人でした。

本当に、温かい組織でした。
温かい上司や先輩や同僚に恵まれました。

もうこの道に自分のキャリアはないとしても、社会人としての原点がこの組織で、こんな素敵な人たちと共に働いた日々にあるということは、これからも変わることのない、自分とって一生の宝です。

素晴らしい日々を、ありがとうございました。

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プロフィール
2007年北海道大学農学部卒。有機農業2年・大手銀行勤務5年(札幌・鹿児島・福岡)を経て、現在は大分大学医学部医学科に在籍。銀行員時代の2008年、難病の子どもを対象とした子ども野外キャンプ(そらぷちキッズキャンプ)に参加しキャンプリーダーを務める。以降、同キャンプの参加を続ける中で医学の道を志し、2011年10月に銀行を退職し大分大学医学部に編入学。2012年4月から1年間休学し、日本中・世界中にある病気の子ども向け野外体験施設・医療施設・福祉施設等の視察・ボランティアの旅に出る。また旅に際して、BADO株式会社から「世界を旅するチェンジメーカー奨学生」として支援を受ける。将来は小児科医として働くとともに、病気の子どもを対象とした野外キャンプの実施や、子どもたちの居場所づくりについて模索中。

■「フロンティア・フォーラム」欄No.80:「子ども×自然×医療:銀行員は医師を目指して"旅人"になる」寄稿
http://japangap.jp/essay/2012/08/-2012-bado.html
■JGAP寄稿者短信:「病気の子どもと家族のための"滞在型アミューズメント施設"Give・Kids・The・World・Villageでの活動報告」
http://japangap.jp/info/2012/10/jgapgive-kids-the-world-village-where-happiness-inspires-hope-2012.html
■JGAP寄稿者短信:「世界で最初の小児ホスピス -英国ヘレン・ダグラス・ハウス- の視察報告」
http://japangap.jp/essay/2012/12/post-37.html
■JGAP寄稿者短信:「子どもたちのもうひとつの居場所 ~NPO法人フリーキッズ・ヴィレッジのこと~」
http://japangap.jp/essay/2012/12/post-38.html
■JGAP寄稿者短信:「ソーシャル・イノベーションの街で社会起業を学んだ1ヵ月 ~米国シアトルのNPO法人iLEAPによるSIISプログラム~」
http://japangap.jp/essay/2013/01/-npo.html
■JGAP寄稿者短信:「あのとき、いま、これから ~東北被災地での活動報告~」
http://japangap.jp/essay/2013/04/-1npoileapsiis-1.html
■JGAP寄稿者短信:「日本縦断・世界一周の決算報告~ギャップイヤー総括」
http://japangap.jp/essay/2013/08/post-58.html

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