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日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

堀米さん写真Akihisa.jpg「子ども×自然×医療:銀行員は医師を目指して"旅人"になる」

堀米 顕久 Horigome Akihisa
(大分大学医学部医学科在籍。2012年度 BADO! 世界を旅するチェンジメーカー奨学生)

農学部から銀行?さらに銀行から医学部へ?
 元々は北海道で農学を学んでいたのに、就職は国内の大手銀行へ。北海道から九州まで全国を転々としながら5年弱働いて、ようやく銀行員として一人前になってきたと思ったところで辞めて医学部へ入学。さらに今度は医学部を休学して、日本縦断・世界一周の旅へ...。客観的に見ると、理解に苦しむ経歴かもしれません。でも、自分の中では、その時その時の自分の心の声に正直に、信念を持って生きているつもりなのです。


原体験は「子どもキャンプ」だった
 生まれは群馬県。幼少期から、毎年夏は地元の子どもキャンプに参加して、山野を駆け回りながらのびのびと育ってきました。キャンプで初めて会う子どもたちと寝食を共にしながら山登りや川遊びや洞窟探検をしたりして、気がついたら昔からずっと一緒にいた親友のようになっている、そんな感覚が楽しくて、高校生からは同キャンプのキャンプリーダーとして子どもたちの世話をする立場になっていました。

 将来はそんな子どもキャンプをつくる側になりたいなと漠然と思いながら、大学は北海道で農業や自然環境を勉強。また、まずは大学時代にしかできない経験をしようと可能な限り多様な活動に飛び込みながら、同時に部活で本格的に山登りをしたり、自分でも畑を借りて実際に有機農業をしてみたり、様々な子どもキャンプの野外キャンプリーダーをしたりして、「子ども×自然」をテーマにした将来の働き方を模索していました。


社会人経験を積むとともに、経営スキルを身につけるために銀行へ
 大学時代に飛び込んだ活動の中に、NPO法人NICE(日本国際ワークキャンプセンター)の提供している国際ワークキャンプがありました。モンゴルでの植林や孤児院プログラムから、山形県の山奥でのお祭りのお手伝いまで、とにかく日本中・世界中のローカル・ニーズに応じて、世界中からボランティアが集まって一緒に活動・生活するのですが、このうち韓国のワークキャンプで非常にインスパイアされました。そこには、世界中から次代のリーダーを担うハイレベルな若者たちが国費で派遣され、一緒に活動しながら国際交流・相互理解を深めようとしていたのですが、彼らのもつビジョン・行動力・リーダーシップ等に衝撃を受け、「自分もこのままではいけない!」と強く思いました。

 やりたいことはやりたいことで将来ちゃんとやるとして、でもその前に、自分がこの世界に一人放り出されても戦っていけるだけのスキルを身につける必要があると感じました。そこで、まずは民間企業に入って最低限のビジネススキルを身につけると共に、自分がこの社会で広く通用していくための専門性として、金融、特に銀行を選びました。銀行であれば色々な会社とお付き合いがあるので、広く世の中を知ることができます。また、法人融資を担当して財務に強くなれば、金融業界以外の企業でも働くことができる専門性が身につくし、それは将来自分が何をやるにせよ、必ず活かせる知識・スキルだと思ったからです。


病気の子ども向け野外キャンプとの出会い ~ "迷ったらGO!"の精神
 働けば働くほど面白くなっていく銀行の仕事をライフワークにしていくか。あるいは元々の志望通り、どこかのタイミングで「子ども×自然」をテーマに仕事をつくっていくか。そこに、まったく別の「医療」というテーマが降りてきたのは、偶然と言えば偶然でした。
 たまたま銀行の初任地が札幌で、大学時代からの友人がまだたくさんいて、そんな中の一人から「病気の子ども向け野外キャンプ」のボランティアを紹介されました。医療というこれまでまったく関わったことのない分野で最初は参加を迷いましたが、「迷ったらGO!」が人生のモットーですし、「子どもキャンプ」と言われるものは可能な限りたくさん経験を積みたいと思っていたので、早速参加。そこで、人生観が変わりました。

 「外で遊びたい!それが夢だという子どもたちがいる」そこで初めてその現実を目の当たりにして非常にショックを受けましたし、また彼らの夢を本気で叶えようとしているカッコいい大人たちと出会ってインスパイアされました。以来、ここで出会ったような、野外体験をしたくてもできない子どもたちにこそ、その機会を提供したいと考えるようになりました。ただ、毎年このキャンプに参加する中で、医療者ではない一般の野外キャンプリーダーでは、自分が彼らにできることに限界があることを痛感してきました。そこで、このようなキャンプを続けたいのなら自分にも「医療」というスキルが必要だな、と思うようになり、一定程度銀行員としてのスキルが身について、且つ資金面でも目処がついてきた時期を見計らって、医学の道へのキャリアチェンジとなりました。


そして今、旅に出ている理由
 医学部入学後、半年で休学しましたが、この理由は一言で言えば、将来の働き方を見定めるため、です。たまたま誘われて参加した「病気の子ども向けの野外キャンプ」から医学の道を志しましたが、そのようなキャンプを私は一つしか知りませんし、またいわゆる病院や診療所で働く医療者の姿も自分はほとんど知りません。日本中・世界中の、病気の子ども向けのキャンプ施設や、医療施設、福祉施設を回って、病気や障害を持った子どもたちを取り巻く状況や、そこで働く医療者たちの姿をこの目で見て、自分の将来の働き方を考えていきたいと思いました。

 4月から旅(休学)を始めての4ヵ月間で、国内の病気の子ども向けキャンプ施設や医療施設、福祉施設を見て回ってきました。また、医療関係に限らず、フリースクールや野外教育に取り組んでいるNPO等にもお邪魔させていただきました。8月からは、世界を回りながら、国内同様に世界中の医療施設や福祉施設、野外体験施設等の現場を訪問していく予定です。


終わりに ~ 今は"寄り道"でなく、未来の自分へ向かう道の途上
 今回、特に大学を休学して旅に出ているところからギャップイヤーに関するエッセイ寄稿のご依頼をいただいたと思うのですが、この休学は自分の中では将来の働き方に直結するもので、「寄り道をしている」という感覚は正直まったくありませんでした(笑)。最初の大学で農業や自然について学び、課外活動で子どもキャンプの経験を積み、銀行でビジネススキルを磨き、今は医学を学びながら世界中の現場を回って、その先の働き方を見定めようとしています。すべては「子ども」×「自然」×「医療」という今の人生のテーマに沿って、自分が必要と考えたことでした。むしろ今から振り返ってみれば、5年弱働いた銀行員としてのキャリアが、「人生のテーマに直接は関係ないけど必要だった」"寄り道"という意味で、ちょっと長めのギャップイヤーだったのかもしれません。


プロフィール
 2007年北海道大学農学部卒。有機農業2年・大手銀行勤務5年(札幌・鹿児島・福岡)を経て、現在は大分大学医学部医学科に在籍。銀行員時代の2008年、難病の子どもを対象とした子ども野外キャンプ(そらぷちキッズキャンプ)に参加しキャンプリーダーを務める。以降、同キャンプの参加を続ける中で医学の道を志し、2011年10月に銀行を退職し大分大学医学部に編入学。2012年4月から1年間休学し、日本中・世界中にある病気の子ども向け野外体験施設・医療施設・福祉施設等の視察・ボランティアの旅に出る。また旅に際して、BADO株式会社から「世界を旅するチェンジメーカー奨学生」として支援を受ける。将来は小児科医として働くとともに、病気の子どもを対象とした野外キャンプの実施や、子どもたちの居場所づくりについて模索中。


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