代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

新着:「『いつかは、おそらく』ではなく、『いま、確実に』できることを~ぼくが大手企業を辞めて、ルワンダへ行く理由」竹田さん.jpg


竹田憲弘
青年海外協力隊・コミュニティ開発隊員(ルワンダ/2016〜2018年)


■「お菓子の家づくり教室」での苦い思い出
 大学卒業後、「世界の子どもたちに貢献する」というビジョンに共感して、大手菓子メーカーに就職しました。入社したのは東日本大震災の翌年だったので、復興の過程を自分の目で確かめたいと思い東北配属を希望しました。ありがたいことに希望通り仙台に配属してもらったので、地元のNPOに参加して、震災支援に携わることができました。

 営業としても、できる限り社会貢献の要素を業務に取り入れるようにしてきました。ある得意先と協力して、被災地の子どもたち向けに「お菓子の家づくり教室」を実施したときのことです。

 震災で精神的な傷を負っている子どもたちに、さぞかし喜んでもらえるだろうと思っていました。でも、結果は想像とは異なりました。ほとんどのお子さんが楽しんでくれた中で、「帰りたい」とふてくされている子どもがいたのです。

 これはショックでした。こんなの単なる善意の押し付けじゃないか、と。思えば企画の出発点は、「子どもたちは震災で精神的な傷を負っているだろう」「お菓子の家を作れば楽しい思い出になるだろう」という、単なる仮定とバイアスに過ぎませんでした。参加者の声を実際に聞くこともせずに喜んでもらえるわけなどない、そんなものが支援と呼べるはずはない。そう思いました。

 この時から、大企業のなかで社会貢献をやっていくことに迷いを感じるようになりました。「仮に社会貢献事業部に配属されたとして、本当にその人のためになる支援ができるのだろうか」、「被支援者とがっつり向き合った経験もない自分が、社会貢献を語っていいのだろうか」と。


■上司からの反対
 こういった出来事から、自分に不足しているのは「手触り感」だと気づきました。

 「被支援者と同じ方向を向いて、一緒に問題を解決していくような原体験。いまの自分には、これが必要だ。この手触り感を得られなければ、将来的に満足のいく活動はきっとできない」

そう感じ始めて、思い当たったのが「青年海外協力隊」という選択肢です。2年間途上国に住みながら、現地の人々と協力して課題を解決する。そしてその間の生活は保証されているという、自分にとってはまたとないチャンスでした。

 書類審査を通り、最終面接に入る前に相談した上司からの反発は、予想以上に強いものでした。「なぜいまでなければ駄目なのか?」、「得意先の課題解決など、中途半端なままでは何も残らないのではないか?」と。

 それも、ぼくの将来を思うからこその反対でした。重要な得意先を任せてもらったり、熱心に指導してもらったり、上からの期待は大きかったと思います。大きな会社ではあるものの、東北の事務所は家族的な雰囲気があり、先輩方は本当に父や母のような存在でした。

 目をかけて育ててくれた先輩方を裏切ることになるし、投資してくれた会社にはまだ何も返せていない。そこまでして行く価値はあるのだろうかと悩みました。それでも、いまできることが、明日もできるとは限りません。

 ちょうど1年ほど前、同い年の友人が突然脳梗塞にかかりました。幸い完治しましたが、若いからといって明日が保証されているわけではないと痛感しました。だから、行動するなら「いま」でなくては駄目だと思うようになりました。

 改めて決意が変わらないことを上司に伝えると、「一旦辞めると決めたんなら、退路を断って臨まなきゃな。それが会社に対して、筋を通すっていうことだろ。まあ何人受けて何人通るのかは知らないけど、お前ならたぶんそこに入れるよ」という言葉をかけてもらいました。こうして「受かっても落ちても、会社を辞める」ということを約束し、合格発表を待ちました。


■「いつかは」「おそらく」よりも、「いま」「確実に」できることを
 結果は上司の言ったとおりでした。無事に合格し、16年の1月からルワンダに派遣されることが決まりました。それを上司に報告したときの、嬉しいような困ったような表情はいまでも忘れられません。

 会社にいて努力を続けていれば、「いつかは」「おそらく」自分の望む事業にも携われるという自信はありました。でも、そのチャンスを待って20代の貴重な時間を過ごすよりも、「いま」「確実に」できることをやるべきだと思っています。

 これは「ギャップイヤー」についてのエッセイですが、ぼくは人生においてスキマの時間などないと考えています。漫然と過ごしてしまえば単なる「下積み」になってしまいますが、やりたいことに確実につながっているという確信や目的を持つことができれば、どんな瞬間も「本番」になります。

 ルワンダに2年間派遣された後は、自分でも自分がどんな風になっているかわかりません。わからないからこそ、ワクワクしています。2年後の自分が想像できてしまう程度の成長ではおもしろくありませんから。働き方についての考え方や、ルワンダでの生活の様子はブログやその他SNSにも投稿していくので、ぜひチェックしてみてください。


プロフィール:
竹田 憲弘
1989年生まれ。熊本県出身。早稲田大学国際教養学部在学中に、アイルランドに約1年間留学。タイの山岳民族支援NGOでの活動を通して、子どもの可能性を広げる活動に興味をもつ。
3年間大手菓子メーカーでの勤務を経て、青年海外協力隊へ。
現在は北軽井沢のアウトドアパークで、子どもや自然と触れ合いながら半年間の修行中。

ブログ:ちょうじょうなこつで。(http://blog.livedoor.jp/norehero/
twitter:@NoReHero
Facebook:Norihiro Takeda(https://www.facebook.com/norihiro.takeda.5)

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