代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「ギャップイヤーや海外で暮らすことは特別なことではない」ONISHI.jpg


大西駿貴
(学習院大学文学部心理学科4年休学中、NPO法人CATiCカンボジア駐在)

自己紹介と活動経緯
 私は今、大学を休学して、カンボジアの子どもたちに映画を届けるという活動をしています。
 この活動を始めるまでは、国際協力やボランティアには全く興味がありませんでした。では、なぜこのような活動をしているのかと問われると、正直はっきりと答えることは出来ないような気がします。しかし、この活動に関わり始めたきっかけは、2年半前にこの団体の代表に出会ったということです。

 とはいっても、この人がめちゃくちゃエネルギーがあったり、人に喝を入れるような、人を突き動かす力があるような人であったわけではなく、そのときは、ただただ普通の日常会話をしただけなのですが、なんとなくその人にカリスマ性のようなものを感じ、その空間になんだか不思議な感覚のようなものを感じて、その感覚に従うべきなのではないかとそのときに感じました。という経緯から、途上国の子どもたちに映画を届けるWorld Theater Project(ワールドシアタープロジェクト)を推進するNPO法人CATiCの活動に参加することになりました。

 ただ、こんな風に、なんとなくの感覚で参加することになったいきさつと、当時この団体の活動があまり活発でなかったこともあって、果たして日本で何をしているのか、映画を届けているというのは、いつどのようなプロセスで行われているのかなど、把握できていませんでした。なので、とりあえず、主要なイベントとかミーティングに出席したり、その団体のメンバーの方々に会ったりしていました。そこでは、「なんでこの活動をやっているの?」とよく聞かれました。「んー」と思いながらも映画が好きで、とか言っていたかと思います。

 関わり始めて1か月か2か月くらい経ったころ、私と同学年の大学生が大学を休学してカンボジアに駐在し、この活動を本格的にカンボジアで広げることになりました。彼は、自分の熱い想いをはっきりと持っていて、その結果、カンボジアに行くという決断をしました。そうして自分の想いとか考えとかをもって行動に移しているのはすごいなと思っていました。それと同時に日本では、そのカンボジアでの活動資金を集めるための映画関連のイベントを定期的に開催する動きが出てきました。私は、その企画や運営をしていました。その間は、カンボジアからの成果が定期的に報告され、すごいなと思っていました。そうしてしばらく経って、駐在員の後任を探していたが、見つからないということになって、代表から「大西、カンボジアに行ってみない?」という打診が来ました。そして、私は大学を休学してカンボジアに行くことにしました。


心が動いたこと
 私は、心が動くことはあまりなく、はっきりとは言えないのですが、おそらく大抵のことは「そういうもんなんだな」と自分の中で納得してしまうのではないかと思っています。そのため、今回カンボジアに到着してもそんなに驚くことはなかったように思います。カンボジアに到着して、現地スタッフたちと挨拶して、この人たちとこれから一緒に仕事をするんだな、どうやって関係を作っていこうかなと思って、英語で会話が出来なくて、勉強しないとやばいなと思って......と、こうやって書き連ねてみると、心が動くことがないというより、小さく動くことはあるけど、大きく動くことはないのかもしれないです。

 なので、心が動いたという実感がなく、日頃「大変だったことはなんですか?」とか「感動したことはなんですか?」と聞かれても、そんなに大したことだと思っていなかったりするんだと思います。でも、強いて言えば、一番心を動かすことになったのは、この団体のことについて、じっくり考えたことだと思います。はたしてこの活動は本当に正しいことなのか、意味があることなのか、あるいは、目的を果たすために他にいい方法があるのではないかなどです。特に映画である必要はあるのか、そもそもそれを現地の人は受け入れているのか、映画を見せて本当に効果があるのか、などをよく考えました。

 その結果、今まで"ふわふわ"していた自分のことを改めて知ることができたような気がします。自分はどんな考えをもっているのか、すべての考え方の中に共通する考え方は何なのかや、何を思ってこれまで生きているのか、何に価値があると思って暮らしてきたかなどを、前よりも明確にすることが出来たのかなと思います。

 そもそも、私が大学で心理学を専攻したのは、単におもしろそうという理由もあったのですが、自分の心を知りたい思いがありました。だから大学に入った目的というものに関しては、学問とは違う形のカンボジア駐在で、ある程度達成してしまったことになります。とはいっても、今まで一生懸命ではないものの、多少勉強をしてきたものが土台としてあり、このような経験を経たことで、達成されたのかもしれないとも思います。こうやって書いてみると、よく言う"自分探しの旅"に関して、「そんなの見つかるわけねーよ」とかこれまで思っていたわけですが、考える時間は大量にあり、色んな環境に身をおける、"自分探しの旅"は、たしかに自分を見つけることができそうな気もします。
これからどうしていきたいのか

 現実的な話をすれば、この活動をするまでは、映画が好きだったことから、映画に関連した職に就こうとか思っていました。ところが、今はそうでなくてもいいかなと思うようになりました。おそらくこれまで、「好き=楽しい」という価値観だったからだと思います。今はそうではなくなりました。楽しく生きたい、やりたいことは全部やりたいというのは昔から変わっていないので、多分、「楽しい=何か」に変わったのだと思います。その何かはまだわからないです。
 これからどうしていきたいかというと、というよりどうするつもりなのかというと、この活動を続けていくつもりです。今のところ、この活動が楽しいと思っているようで、続けたいと自分は思っているようです。

 来年度カンボジアから帰国したら復学し、就活、卒論と色々ありますが、それもやるつもりです。あとは、1年遅れになるので、一つ下の学科の友達を作らないといけません。それとバイトもしないといけません。やらないといけないと思っていることはたくさんあります。

 卒業後にどのように生きていきたいかというのは、この経験があって出来上がったものではありませんが、少なくともそれを形成する一つになっています。「楽しく楽(らく)して」、でも退屈ではない人生を送りたいと思っています。退屈ではないというのが、私にとっては一番優先順位が高いものです。

 この文は、留学に迷っている人や興味がある方に向けて書いてみています。行動するのには理由が必要なように思いますが、そうではなくて、行動してやっとそれに至った理由があったとわかるのかなと思います。至った理由というより、その行動のすべての要因の総和が正だったとわかるのではないかなと思います。

なので、何か大それたと、大きいと、思われる行動をするようなときは、外から何かしらの理由を求められたり、熱を測られたりして、もしそれがはっきりしていなかったり、熱が足りないと思われることがあるかもしれないですが、そんな時は、自分は、赤い炎のようにメラメラとごうごうと熱そうに燃えてはいるようには見えないけれども、それは、自分が青い炎を持っているからなのだと、青い炎は赤い炎のように激しく燃えることはないけれども、熱さは赤い炎よりも熱いのだと、自分を納得させておけばいいのではないかと思います。


まとめ
 たしかに、この駐在によって色々な経験をさせてもらっていますが、特にそれが"自分を成す"大きなものになったわけではないとも思っています。小さい頃から、お母さんとお父さんに育てられ、小学校では友達と過ごして、中学では部活の先生とコーチに出会って、高校では部活の先輩たちにお世話になって、受験のために勉強し、大学では友達と遊んで彼女ができて別れて、毎日バイトして、店長と遊んで、この団体の代表と出会って、色んな人にお世話になって、カンボジアに行くことになって、異国の人と過ごすようになって、まあそんな感じで進んでいってしまうものなんじゃないかなと思っています。

 それで、こうやって過ごして来た中で、たぶん人に出会って何か感じただけでなくて、映画とか漫画とかアニメとかテレビとか音楽とか本とか、そういうものに触れてきたから、その時その時の行動をとってきたのかもしれないなと思います。

『メジャー』を見て吾郎かっこいいと思い、グローブをはめながら『メジャー』を見て、『ライヤーゲーム』を見て、「秋山さん、かっけー!」と思って心理学を専攻しようと思ったり、『福本伸行名言集』を読んで、「よし、こうやって生きよう!」と思ったり、『ティファニーで朝食を』を観て、作中では指輪だけれど、私の彼女にはティファニーのネックレスをあげようと思ったり、そんな感じで自分たちが届けている映画も、なんらかの影響を与えてくれたらと個人的には思っていて、かつそれが、効果的で効率的であると思っています。イメージとしては、映画とかアニメでいう、過去にタイムスリップしたときに、過去を少しでも変えてしまうと未来がものすごく変わってしまうみたいなものです。この活動でよく言われる批判は、「映画を上映して何が変わるの?」、「人ってそんな簡単に変わらないよね?」というものがありますが、結局のところ、そうではないような気がしています。

 何が言いたいかというと、仮に2時間の映画を上映することで、その中のわずか数人、もしくはひとりに影響を与えたとするならば、わずか2時間で十分な効果があったと言えるかもしれなくて、そして、もし、人はそんな簡単には変わらないとするならば、そもそもいくらどんな労力と時間をかけたとしても、ほとんど人は変わらないんじゃないかとも思います。つまり、そうであるならば、その労力と時間を多くの人々に接触するために使った方が効率的ではないかと思います。そう思って私はこの活動を続けていきます。代表は、本気で世界を変えようとしているので、それについていこうと思います。そう最初に決めてしまったので、そうするしかないと思っています。

 読み返してみると、ほんとに何が言いたいのか、何を言っているのかわけのわからない文章になっている気がしますが、ここまで読んでいただき幸いです。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


プロフィール:
大西駿貴
(学習院大学文学部心理学科4年休学中、NPO法人CATiCカンボジア駐在)
FB:https://www.facebook.com/toshiki.ohnishi.5
(参考)途上国の子どもたちに映画を届けるWorld Theater Project(ワールドシアタープロジェクト)を推進するNPO法人CATiC :https://worldtheater-pj.net/

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2016年2月1日付
No.232:「映画を通して未来のカンボジアを創る!~だから今、休学して1年のギャップイヤー」山下龍彦さん(大学生、NPO法人CATiC副代表)-エッセイ集 フロンティア・フォーラム: http://japangap.jp/essay/2016/02/npocatic.html

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