私のGAP YEAR時代

今、第一線で活躍されている方々に、「青春時代の麦踏期間」にあたる「GAP YEAR時代」を振り返っていただきます。
そこには、先達たちの人生の現在の自己形成に重要な影響を与えた価値観創りや生きる術(すべ)など
個々の人生にとっての大きなターニング・ポイントが隠されているはずです。

第11回 大学受験が嫌で高校を中退し、米国へ。大学卒業後、帰国して起業。3年後にHBS入学。在学中に結婚・出産。現在は米国グーグル本部で働く石角友愛さん

米国グーグル本部で働く石角友愛さん石角友愛(いしずみ ともえ)。お茶の水女子大学附属小学校から、16歳で同高校1年で中退、渡米した。シアトル郊外の全寮制の女子校アニーライトに入学、卒業。その後、オバマ大統領も入学したリベラルアーツカレッジであるオキシデンタル・カレッジを卒業(心理学士)。在学中に思いついた起業アイデアを実行すべく、帰国して東京・丸の内で起業家を支援するインキュベーションビジネスを立ち上げ、3年間運営する。2008年、再びアメリカに渡り、ハーバード・ビジネススクールに入学。戦略コンサルティング会社やベンチャーキャピタルで経験を積みながら、2010年に長女出産と同時にMBA(経営学修士)取得。11年から子育てをしながらシリコンバレーのグーグル本社で働く。
Blog: http://tomoehbs.exblog.jp/ 著書は「私が"白熱教室"学んだこと(阪急コミュニケーションズ) 」。

(聞き手:砂田 薫 JGAP代表理事)


高校辞めて「思い立ったら吉日」ですぐアメリカへ

Q:お茶の水女子大学附属高校を退学して、アメリカのボーディングスクールに通っていらっしゃるわけですが、石角さんは日本ではどんな高校生だったのですか?
 結構、「穿(うが)った人」だったと思います。中学校の時から人と同じことをするのが好きではなかったですね。お茶の水女子大学附属は、中学校までは共学で高校から女子校になるんですが、高校入った瞬間にすごくつまらなくなってしまったんです。学校内に男の子がいなくなったっていうのもあるし、なんだか急にみんな受験に対して準備し始めちゃったりして、「もっと根本的に楽しいことがあるのに・・・」って思ったり。あとは、高校生になると色気づいて、みんな放課後に男子校の子と遊んだりするんですけど、遊びながらも楽しくないなぁーって思う自分がいた。男子校の文化祭に遊びに行って、何のためにこんなことしてるんだろうって思ったりとか。

Q:醒めてたということですかね?
 そうですね。ランチタイムにお弁当をみんなで机を移動させて食べたりとか、ああいうのも嫌いだったんですよ(笑)。つるむのが嫌で、決まり事のようになんでみんな一緒に食べてるんだろう、みたいな・・・。そういう高校生でした。

Q:高校をやめようと思ったきっかけは何ですか?
 きっかけは、その「穿った自分」が爆発したことです。もうこれはやってられない!と。私は「思い立ったら吉日」人間なので、高校1年の夏休みに、現状を変えたいって閃いてすぐ、行動に移しました。高校2年になるまで待ったら遅いって思ったんですね。高2になると授業が大学受験用になってきてしまうので、そこまで待ったら何か行動に移すのは難しいだろうと思って。  人生の重要な節目って、あたかも昔からそう決まっていたかのようにすっと決断を下せることってないですか?誰かに言われた言葉がきっかけではなくて、昔から考えていたことがただ顕在化したという感じでした。  まずは退学じゃなく休学という形をとって、シアトルにいた両親の友達を頼ってとにかく今すぐ行こうと。彼らが推薦してくれた、シアトルの郊外の学校に行くことに決めました。  高1の夏に決めて、高1の3月に高校をやめてアメリカに渡りました。英語も勉強できなかったので、決めてからベルリッツに毎週通って。あんまり役に立たなかったかもしれないですけど(笑)、準備に明け暮れました。


晴れてボーディングスクールに入学

Q:高1の3月に日本の高校を退学して、その年の秋からアメリカの学校に通ったのですか?
 違うんです。アメリカは9月入学なんですが、4月から6月まで最終学期なので、3月にアメリカに渡ってすぐ、最終学期に「お試し期間」として入ったんです。この3か月で英語を徹底的に鍛え、パブリックスピーキングなどの授業も受けました。この3か月は、ホームシック・カルチャーショック・英語ゼロ、という状態。それまでの私は、アジア人を見たらみんな日本人だと思ってしまうくらい国際経験がなかったんです。  その後、6月から8月までの夏休みはボストン大学のESL(English as a Second Language、第二言語としての英語)のクラスで徹底的に勉強しました。まずは英語力をどうにかしないと、学校の成績うんぬんという話にならないですし、アメリカのボーディングスクールって、学校の成績が悪いと退学になりますから。

Q:なぜ他の国ではなく、アメリカだったのですか?
 なんとなくですね。親も大学院の時アメリカに行っていたということと、旅行やホームステイで行ったことがあり、身近に感じたというのはあるかもしれません。


親以外の大人と接することで見えてきたもの

Q:ボーディングスクールでは先生も一緒に住んでいるという形なんですか?
 そうですね、大体先生の6~7割が、寮の中に一緒に住んでいます。「クッキー焼いたからおいでー」なんて呼ばれて、先生のうちに遊びに行ったり、先生の家で特別に勉強を教えてもらったり。  若いうちに親以外の大人と接することってとても重要だと思います。それにはふたつの理由があります。ひとつは親に対する感謝の気持ちが芽生えるということ。ふたつめは将来の選択肢が増えるということ。親以外の大人を知らなかったら、親の背中しか見れないから、結局親と同じような人生選択しかないのかなって思っちゃうじゃないですか。  人生で一番損することって、情報を知らないことだと思うんです。いろいろな選択肢を知ることで、「こういう行動をとればこういう結果が出る」と学べる。若いうちに多くの価値ある情報に大人がふれさせてあげることが大切だと思っています。

Q:アメリカで見事にボーディングスクールを卒業されました。卒業後に日本に戻ることは考えなかったのですか?
 一切考えませんでした。日本人でボーディングスクールに留学している生徒の半分くらいは、日本に帰国して日本の大学に通うんです。やはり資金的な理由もあったり、弁護士や医者になりたかったら日本で国家資格を取らなくてはいけないので。私は「この仕事につきたい」というのが明確にはありませんでしたし、そもそも日本の大学受験が嫌でこっちに来たというのもあったから、ここで日本に戻っても意味がないなと思いました。


徹底的な分析とアドバイスでリベラルアーツカレッジへ

Q:アメリカ国内でいろいろな進学の選択肢はありますが、ボーディングスクール卒業後の進路として、リベラルアーツカレッジへの進学を選んだのはなぜですか?
米国グーグル本部で働く石角友愛さん アメリカの大学は大きくユニバーシティーとリベラルアーツカレッジに分かれます。ユニバーシティーは一般総合大学といって、大学院がある、大きな研究機関としての大学です。一方、リベラルアーツカレッジは大学院のない小さな大学です。全校生徒数も2000人規模で、ものすごい少人数。教授と学生の比率が1:10くらいで、私塾みたいなイメージです。  カウンセラーと高校の進学アドバイザーに相談して、私はボーディングスクールが肌に合っていたので、その延長線上のようなリベラルアーツカレッジのほうが伸びるだろうというアドバイスをいただいたんです。あとは、心理テストも受けさせられるんですよ。200個くらい項目があって、いろんなデータをベースに私はこういう規模の、こういうジャンルの大学があうだろうと。日本のように偏差値で学校を決めるのではなく、個人個人の性格や将来したいことをカウンセラーやアドバイザーが理解したうえで、学力と、SATという日本でいうセンター試験のようなものの点数も加味して、受験する学校のリストを作るんです。


実社会での経験を評価するアメリカの受験システム

Q:アメリカの入試では社会貢献が評価の対象になるということですが、何かそういった活動はされていましたか?
 していました。アメリカの入試では、「いかに主体性をもって人生を作っているか」「どうしてうちの学校にきたいのか」ということを、インタビューやエッセイで伝えることが重要です。自分の課外活動について、なぜそれをしていたのか、その活動が入りたい学校にどうつながるのか、ということをうまく話して伝えるんです。ボーディングスクールでは毎日3時に授業が終わったあと2時間、課外活動の時間がありました。私の場合コミュニティーサービスといって、社会奉仕、たとえば汚れた道を掃除したりとか、近所のおじいちゃんの家に行って手伝いをしたり。あとは、心理学に興味があったので、夏休みに日本に帰った時、精神科の作業所でボランティアをしたりもしました。とにかく実社会での経験を少しでも積んでいる、ということが重要なんでしょうね。

Q:素晴らしいのは、その経験をちゃんと評価するシステムができていることですね。
 そうなんです。日本の大学だと、試験の点数だけで受かった・落ちたというのが決まってしまいますよね。アメリカの大学でも、ある程度は点数や出身の高校のランキングで振り分けているかもしれないですけど、でもその後に絶対インタビューがあるんですよ。インタビューがものすごく重要で、そこで「この子はうちの大学に合うかどうか」を見るんですね。逆に生徒側も「この大学は私にあうかどうか」を見る。インタビューであんまり感じがよくない面接官に会ったりすると「ここは私合わないわ」って。こっちから選んでやる、っていう感じなんですよね。きわめて対等です。  アメリカは大学だけではなくて大学院でも、企業も、いかに学校以外でユニークな経験をしてきているのかということを重視するんです。「人間としてどんな風に面白いか」ということが大切なんです。


インターン経験を生かし、就職せずに起業

Q:リベラルアーツカレッジの卒業後、日本で起業をされますね。
 大学4年の時にビジネスアイデアを思いついて、立ち上げました。一言で言うとインキュベーションビジネス、起業家支援です。「インキュベート」って日本語で「卵を孵化させる」っていう意味なんですけど、文字通り起業家の卵を育てる、ということで、レンタルオフィスを作ったり、起業家が必要としているコネを紹介したり。ジェトロでインターンをしていた経験から、外国人起業家が日本で起業する時の支援をパッケージプランとして提供したりもしていました。

Q:ジェトロでインターンをされていたとのことですが、それはいつごろですか?
 大学3~4年にかけてです。2年くらい、ジェトロのロサンゼルス支社でインターンをしていました。
 大学の授業を月・水・金の朝8時から夜8時くらいまでまとめてとって、火・木はジェトロのインターン、というスケジュールを自分で組んでやっていました。アメリカでは社会のシステムとして、とてもインターンシップが盛んなんです。

Q:ジェトロに就職されることは考えなかったんですか?
 全然考えなかったですね。当時は起業をしたかったんですよ。やっぱり、みんなが就職活動しているなか、同じことをやりたくないっていう思いがあって。あんまり社会のことを知らなかったのかもしれないですけど、興味のある会社が思い浮かばなかったんですね。

Q:日本だと圧倒的に官公庁や大手企業に行くのが「勝ち組」のように思われがちで、あまり起業というイメージはないと思うんですが、アメリカの場合は起業に対する意識というのは高いんでしょうか?
 今でこそ高くなってはいますけど、当時の、しかもリベラルアーツカレッジの学生で、起業する人はあまりいませんでした。ビジネススクールに進学する場合は就業経験があったほうがいいといわれるんですけど、リベラルアーツカレッジの場合は働かないで直接大学院に進学する人がものすごく多いです。


世界へ羽ばたく経験を求めてハーバードへ

Q:起業の経験後、なぜハーバードビジネススクール(HBS)に進学されたんですか?
 3年間事業をしていて、すごく楽しかったんですけど、とても視野が狭くなってしまうことに気がつきました。ひとつの商品を決まったターゲットのお客さんにいかに売るか、いかに持続させるか、っていうことが商売じゃないですか。それをずっとやっていて、じゃあ5年後、10年後に私はインキュベーションのプロになりたいのか?って。ある不動産会社から「大阪に支店を出さないか」と声をかけてもらったこともありました。その時に、私はこの分野のエキスパートになりたいのかって自問して、違うな・・・ってどこかで思ったというのもあって。  あとは、まだ20代なので、もっと視野を広くして、世界に羽ばたくような経験をする必要があると思った。ビジネスの知識が自分にはものすごく足りないとわかっていたんですよ。リベラルアーツカレッジの時の友達がみんな大学院に行っていたし、私自身も大学院に行くことは当たり前だという意識があって。機が熟したというのと、チャンスがあったので、それでHBSを受けました。

 

自分をひとつのパッケージとして戦略をたてる

Q:HBSに入るための受験勉強について、日本人へアドバイスをいただけますか?
 アドミッションオフィスの人に「面接に呼んでみたい」「どんなやつか会ってみたい」って思わせるパッケージをどうやって作るかっていう全体的な視点で、戦略を作って受験をしたほうがいいと思います。自分の願書をひとつの売り物として、いかに魅力的な人間像を見せられるか。

Q:今おっしゃったことって、受験だけでなくグーグルが欲しい人材ともかぶっていますよね。
 そうなんです。同じなんですよね(笑)。グーグルに限らず、誰もが欲しがるような人材なんですよ、そういう視点がある人って。主体的に全てのことに疑問を持ってとりかかる視点を持っている人、現状を打破するチャレンジ精神のある人は、どこでも通用すると思いますね。アメリカに限らず、どこの国にいてもそういう視点を持ってみんながんばってほしいです。


人生はタイミング~できることはすべて実行して、さらなる飛躍を

Q:HBS在学中に結婚・出産されたのは驚きですが・・・。
 私は、人生はタイミング重視だと思っています。やりたいって思った時が一番のタイミングだと思って生きているんですね。将来仕事がすごく楽しくなって子どもはいらないって思うかもしれないし、親が病気になって自分の子供のことは考えられない日が来るかもしれない。だから、できるうちにすべて実現させて親を喜ばせてあげたいし、自分もやったことないことをやることで、さらなる飛躍をしたいって思っているんですね。成長って経験でしかできないので、すべて実行することに意味があると思っています。HBSの時も、自費で、ものすごい高い金利で1千万円の借金もして・・・。

Q:スチューデント・ローン(借金)は利用されたんですか?
 そうなんです。お金がなかったので。誰かにお金を支援してもらうと、やりたいことができなくて嫌じゃないですか。同級生には親から借金している子も結構いましたけど、私にとって、借金してでも自分の意思でHBSに通うというのはすごく重要でした。


インターンは企業がやりたいことをさせてくれるチャンス

Q:HBS在学中もボランティアやインターンをされたんですか?
 1年目はサマーインターンをやりました。HBSは2年間なので、その間の夏の3カ月に何をするかが卒業後のキャリアに大きく関係するんです。今まで経験したことない業界で働いてみたいと思ったときに、サマーインターンでどこかで働いている経歴があると、MBA卒業後のキャリアがつきやすくなったりします。私は日本で戦略コンサルとベンチャーキャピタルでインターンをして、戦略コンサルからは就職のオファーももらいました。このインターンはほんとに今でも大きな経験になっていて、感謝しています。この時は卒業後、オファーを受けて日本に帰る予定だったんですよ。  サマーインターンについては、ギャップイヤーとちょっと似ているかなと思いますね。興味あることを自分がトライできる、企業がさせてくれるチャンスなんです。海のものとも山のものともわからない人を正社員として雇うリスクってすごい高いけど、MBAインターン生として3カ月だけ雇うリスクって、あまりないんです。だから、とりあえずはインターンとしてやらせてみようって。その姿勢が社会や企業にある。  私はコンサルの経験はまったくないのに、「なんだか面白そうだからやらせてみよう」って思ってくれて。それはインターンならではですね。


生まれたばかりの子どもを抱いてHBSを卒業

Q:HBS卒業後はどんな活動を?
 日本に帰る予定だったプランを変えて、シリコンバレーに乗り込みました。コネもあてもないなか、乳飲み子を抱えて(笑)。

Q:お子さんは卒業の時に生まれたんですか?
 卒業と同時に産んだ、という感じです。子どもを産んで5日後に試験を受けて卒業したので。大変でした。臨月がちょうど期末試験期間だったんです(笑)。あれは精神的にも結構ピリピリしましたね。腰もやられるし、クラスに行くのも一苦労でした。HBSってとにかく予習が大変なんです。毎日3つ授業があって、その予習に6時間くらいかかるんですが、それをやりながら、同時に卒業論文を4つ書かないといけなくて。だからもう本当に、遊ぶ暇はゼロです。

Q:HBS在学中に妊娠・出産する学生って、いましたか?
米国グーグル本部で働く石角友愛さん 全然いないです(笑)。一学年に学生が1000人いる中、そのうちの3~4割が女性、そのうちの2割が既婚者だとして、2年間で妊娠した子は3人くらいでした。私の場合、結婚した相手も同じHBSの学生でしたので、更にレアケースです。入学当初から、結婚相手をここで見つけようと考えていました。


「とりあえず1カ月」から始まったシリコンバレーでの挑戦

Q:卒業されて、すぐグーグルに入社だったのですか?
 違います。1年くらい、間があきました。2010年の5月に卒業して、2カ月後にシリコンバレーに行きました。夫と一緒に、なんのあてもない中、部屋を借りて「とりあえず1カ月やってみよう」と。でも、とりあえず1カ月といっても、「ここにもうちょっといて頑張ってみよう」ということになったので、私はまだ小さい子どもの面倒をみて、夫がまず就職活動をしました。夫が12月末に企業からオファーをもらい、仕事を始めることができたので、その収入で子どもを保育園に預けて、そこから私も本格的に就職活動です。グーグルには2011年の5月に入社しました。結果的に、ちょうど1年間のマタニティー・リーブ(育児休暇)となっていました。

Q:グーグルでは、今どんな仕事をされているんですか?日本に転勤もありうるのですか?
 今は日本と関係のある仕事はしていません。私が日本人であるというバックグラウンドは強みですが、転勤の事は未定ですね。


アメリカと日本の教育を両方経験したユニークな立場を生かして

Q:これからのキャリアをどういうふうに考えておられますか?日米の環境の差を実感される中で、教育に興味をお持ちだとうかがいました。
 グーグルで働くのはすごく楽しいですし、まだまだ学ぶことがあるので、将来どういう形で何をしたいか、という具体的な案はまだ詰めていません。苦労してアメリカのシリコンバレーの本社で働くチャンスを手に入れたので、これを最大限に生かしながら、学べるところを学びきって貢献したいと思います。ただ、これで成功しただとか、企業のブランドに頼って生きていくことはありません。そもそもそういう主体性のない人はあまりシリコンバレーにはいないと思いますが、やはり常に自分個人として今、どういう成果を出したいか、何をしたいかを考えています。  そしてやはり教育に興味はあります。自分の娘が将来大人になったときに、どういうものが必要かって考えたときに、どうしても教育が重要になってくるんですよ。アメリカと日本の教育を両方見ているというユニークな立場にいるので、これは本当に私にとってこれからも人生のテーマになってくると思います。今回本を書いた(「私が『白熱教室』で学んだこと ボーディングスクールからハーバード・ビジネススクールまで」阪急コミュニケーションズ刊)ことも、私の中でひとつの貢献の意味もありました。就活しながらずっと原稿を書いていたんです。子どもが寝た後に作業をしたり、娘を授乳しながらiPadで原稿確認したりとか(笑)。出版直前ってものすごい忙しいんですね。時差もあったし。でもこれも、私の中のひとつの教育事業への思い入れの表れかなって思います。

Q:アメリカでご自身が受けられた教育についてご著書に詳しく書かれていますが、どんな人に読んでほしいですか?
 留学を考えている10、20代の若い人のほか、ボーディングスクールは親の紹介で行く人も結構いるので、親御さんにも読んでほしいです。あとは教育関係者ですね。教室の作りを変えたり、机の配置を変えるなど、ちょっとしたできるところから変えてみたり、ディスカッションを授業で取り組んでみるとか・・・。そういう、日本の教育をちょっとでも変えられる立場にある人にも、ぜひ読んでいただきたいと思います。


人と違うことをして違う結果を生む

Q:日本の若者はどんどん画一化していっているように感じます。特に就活生の服装なんかを見ていると、同調圧力の中で息苦しく生きている人たちがたくさんいると思います。若い人たちに何かアドバイスできることはありますか?
 私は大学を出てすぐ起業したから、それをネガティブにとる人もいました。社会経験がないとか、企業での経験がないから君はわかってない、と言われたことも。人と違うことをすることについてポジティブな意見を言わない人もいるけど、人と同じことしていたら絶対に人と違う結果を生めないですよね。  ロバート・フロストというアメリカの詩人がいます。「目の前に道がふたつある。みんなが歩んだ道と誰も歩んでない道。私は"Less Taken" (誰も歩んでなくて草ぼうぼうな方)の道を選ぶ、それで今の自分がいる」という詩が私は大好きなんです。本当に重要なことだと思います。
建設的批判ではない、ただの個人批判のような意地悪を言う人、若い女性を見下す人もいるかもしれないけど、それは無視ですね。嫌みを言われた時にいつも自分に言い聞かすのは、「この人の言うことをそのまま信じてやっていても、この人みたいにしかならない」っていうこと。その人みたいになりたいなら従ってもいいけど、そうじゃないなら無視です。生意気なんですけどね、でもそれくらいの強気さがないと、殻は破れないのかなと思っています。そして大抵、私が尊敬する人は個人批判のような意見を言わないものです。


不安に対して"バックアップシステム"を持つことが大事

Q:先が見えないことに対する不安を恐れている若者も多いと思います。石角さんはこれまで不安とどのように戦っていたのですか?
 シリコンバレーに行って仕事が見つかるまでは、私も日々泣いていました。そんな先のない不安に立ち向かうときは、まずバックアップシステムをひとつ持つことと、心の支えをもつこと。  特に私は子どももいるので、「プランB」を持っておくことが絶対でした。私にとってのバックアップは、コンサルからオファーをもらっていたことでした。シリコンバレーでの就職活動は1年までと決めてやっていました。それでだめだったら仕方ないと考えて実行していたので、そういう大きなリスクを避ける戦略と、何かあったときには別の道があるって思える気楽さというのはすごい重要だと思います。  あとはやっぱり家族がいると、「まあ死ぬわけじゃないし」って思える。そういう気持ちって大事だと思いますね。真剣であることは大切だけれど、深刻になっちゃだめなんですよ。いい意味の逃げ道をどこかに作りながら挑戦すること。そうすればまったく先の見えない真っ暗闇に挑んでいても、光は見出せると思います。


【インタビュー後記】

"ありきたり"に対する"拒否反応"をバネに、大きく飛躍できる人  

 石角友愛さんのギャップイヤーは、まずはレールに乗ったありきたりな大学受験が嫌で、高校中退した時から始まる。それは米国の全寮制の高校に正式入学する期間までの半年であろう。当時TOEFL400点以下という英語力であったというから、すごい集中力を発揮された。それはその後見事に名門リベラルアーツカレッジ入学で開花する。二度目のギャップイヤーは、実は大学卒業後、帰国して東京・丸の内で起業家を支援するインキュベーションビジネスを立ち上げ、3年間マネージメントに携わった期間ではないかと思う。そして2008年に再び渡米し、経営に関するエッセイが評価され、難関のハーバード・ビジネススクールに入学する。そこでもありきたりな学生生活を送ることはなく、なんと在学中に結婚・出産までしてしまう。こういうリスキーで勇気あるチャレンジ精神に富む人材を放っておかないのが、米国の企業社会なのではと思ってしまう。現在は、人もうらやむグーグル本部で活躍する。教育に関心があるという。近い将来、 "ありきたりな"日本の教育にカツを入れて、イノベーティブに社会をリードしてくれる日が待ち遠しい。(砂)

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