ウォレン・スタニスロースさんのプロフィール:英国生まれ。高校卒業後、2006年9月に、英国の「大学延期制度」を利用して来日、半年愛知県でギャップイヤーを経験した。2007年9月、英国の大学を辞退し、東京の国際基督教大学(ICU)に入学。2011年にICUを卒業し、同年10月にオックスフォード大学大学院 現代日本研究 修士課程に入学。本年10月から修士2年生。2013年9月に日本の大手総合商社に入社する。
(聞き手:砂田 薫 JGAP代表理事)
日本のJポップに憧れて日本へ、そして愛知県西尾市でボランティア
Q:高校卒業後、何故日本でギャップイヤーを取ろうと思ったのですか?
最初大学でスペイン語を勉強しようと思っていました。高校でも4年間勉強したこともあって・・。ギャップイヤーの説明会があって、言語の上達のためにスペイン語を話す国を調べたら、あまり興味を持てなかったんです。言葉に興味があっただけだったんですね。地域としては、アジアに興味がありました。それで、まず中国を調べました。それから、いろいろ調べて日本に興味を持ちました。特に日本のポップカルチャーがいいなぁと思って日本に行きたいと思いました(笑)。日本でギャップイヤーするなら、スペイン語じゃなくて、日本語の勉強をしなければと思いました。英国のAレベル資格試験の1年生の時に決めました。17歳の時です。
Q:前のブリティッシュ・カウンシルの代表だったジェイスン・ジェームスさんがケンブリッジ大学に入学した80年代は、高校卒業後、翌年大学入学するまで16ヵ月あったと言っていました。それで、ほとんどギャップイヤーを取っていたと・・・。
今は、高校で試験が終わって、6月〜8月の間はAレベルの資格結果が出てないので、厳密にいうと"休み"じゃない。休みなんですけど、ちゅうぶらりんのペンディングの状態の期間ができて、皆悩んでいます。だから、その期間は旅行とかはしてないですよ(笑)。
Q:日本の受け入れ先はどうやって探したのですか?
ネット検索で'Japan''Gap Year'と入れて探しました(笑)。いろんな団体が出てきたのですが、そこで英国のギャップイヤー支援機関である非営利のラティチュード(Lattitude)が僕がやりたいことにあっていました。
Q:昨年来Lattitudeの代表とは情報交換をやっていました。日本だと日赤病院とか受け入れてくれますよね。
僕が応募したのは、子供の世話をするのに興味を持っていたので、保育園(愛知県西尾市)でした。
Q:西尾市にはどのくらいの期間いたのですか?
9月から2月までの半年です。保育園だけではなくて、週2回は、宿泊していた老人ホームで介護補助のボランティアをしていました。
Q:西尾市にいてよかった出来事は何ですか?
子供たちと一緒に勉強したこと、日本の四季や祭を経験できたことです。
Q:日本に「肌合いが合う」ということばがありますが、それはそんな感じでしょうか?
今でもたまにボランティアに行くほど、気に入ったのです。日本のポップカルチャーも素敵ですし・・。
Q:ポップカルチャーって、もう少し具体的にいうと?
ロック、ビジュアル系が好きでした。ラルクとか...。外国で日本を知ってる人の中で、知られています。17歳の時はかっこいいと思いました(笑)。
イギリスにいる時はサブカルチャーとかもCoolだと思っていましたが、日本に来てそうじゃないこともあることに気がつきましたが・・・(笑)。
Q:西尾市にいる時はホームステイですか?
僕は、老人ホームの2階の部屋にずっと泊まっていました。もう1人は保育園、あと2人は病院です。そして、彼らは病院でベッドメイキングや清掃などのボランティアをしていました。
Q:日本の何が気に入ったのですか?
一番気に入ったのは"人"です。やさしくてよかったです。しかも安全で住みやすかった。日本語を勉強するなら、このまま日本で勉強した方がいいとその時思いました。
Q:英語も教えていましたか?
スタッフとかには、定期的に教えていましたね。
「大学入学延期制度」があるから、安心してギャップイヤーが楽しめる
Q:英国の大学は決まっていましたよね(笑)?
デファード・エントリー(Deferred Entry、大学入学延期制度)をしていました。シェフィールド大学(The University of Sheffield)日本研究学科に決まっていました。
Q:西尾市で半年ギャップイヤーを堪能し、そのまま日本に、それともいったん英国に帰国されたのですか?
3月に帰国し、ICUに9月入学するまで自由な時間があったので、ロンドンにある日系旅行会社で、またまたギャップイヤーでインターンシップをしていました。父が家にいるとよくない、ニートになるといわれていましたから(笑)。
Q:2004年当時の英国技能省(現・教育省)がロンドン大学に「Gap Yearとは何か?」の研究委託をしていますが、ギャップイヤーは一見ニートと間違えられると報告書にも書いてあります。
そういう意味では、大学入学延期制度があったので、安心して自由にできたと思います。
Q:本来英国の大学が決まっていて、日系旅行会社でインターンをして、結局英国の決まっている大学に行かなかったのですか?
西尾市にいる頃に日本にもっといたいと思っていました。一緒にギャップイヤーをしている友達が、日本にも「国際」の大学がある。インターネットで「国際大学」で検索したら、'ICU'=国際キリスト教大学が出てきたんです(笑)。
Q:イギリスに帰った時には、ICUに入ろうと決めていたんですか?
ICUに入試試験を申し込んだのは2007年1月、つまり日本にいる時でした。母と相談してエントリーしました。実は僕は一人っ子で、最初は「寂しい」と言われ、当然反対されました。母にはICUを卒業したら、大学資格になるかは確認するよう釘を刺されました(笑)。学位がちゃんと取得できる大学だからと説得したら、その後は両親とも応援してくれました。イギリスに帰った1週間後に、ICUに合格したのがわかりました。
Q:ICUも4月入学からですよね。
外国人のためには、当時から9月入学がありました。
Q:イギリスの大学は入学をキャンセルされると学費も入らないし、困るのではないですか(笑)?
いいえ、Deferred Entry(入学延期制度)で僕を失ったけれども、他の優秀な人が入ったはず(笑)。
大学の卒論、大学院の修論ともテーマは明治維新関連
Q:ところで、ICUでの卒論も、現在の大学院同様日本研究ですよね?ちなみに論文のタイトルは?
今日オックスフォード大学大学院の修論を出したばかりで、だいたい同じようなテーマなんで、まだ頭の中にありますよ(笑)。大学ではチャールズ・ワーグマンという人についてです。日本の明治維新に、ロンドン生まれの新聞記者が横浜居留地で暮らしていました。当時、風刺画の雑誌を出した人です。彼の目から見た明治維新について論文を書きました。今の修論も同じようなテーマで、彼だけじゃなくて日本人の記者や、作家の視点も拡張させて、明治維新について書きました。
Q:ICUでは4年間三鷹の学寮に入り、2011年6月に卒業された。そして2011年10月オックスフォード大学に入学され、専攻も日本研究ですが、同じ学年に何人ぐらいいるんですか?入試問題はどのようなものでしたか?
15人くらいです。自分が研究したいテーマについてのエッセイ、今までの論文の抜粋2稿、そして履歴書でした。
日本の商社なら、自分の経験が、いろんな国や地域で生かせると思ったから
Q:日本の総合商社に内定しているんですね。就職活動はどんな感じだったのですか?
会社の説明会が今年5月に大学内であって、説明したのは偶然ICUの卒業生でした。縁を感じましたね。日本人ですが、彼のキャリアを聞いて、商社(SHOSYA)ならいろんな国や地域で働けるし、自分の経験を生かせると思っていいなと思いました。
Q:修士の1年生で決まるのは早いですね。
僕のコースであれば1年で就職準備はしますが、実は、最初は博士課程まで行きたいと思っていました。
Q:日本研究は1年と2年のコースがあるんですね。
そうです。
Q:まだ先ですが、キャリアチェンジは考えていますか?
5年10年は働いて、その後、博士課程まで行って、大学で教えるとか?大使館に行くか?まだ先はわかりませんが、学術研究をするにも、働く経験、ビジネス経験があったほうがいいと思います。
Q:イギリスの場合、学部内でギャップイヤーのために、休学する人はあまりいないですね?
ギャップイヤーは普通、大学入学前か卒業後のタイミングですね。「ショート・ギャップイヤー」という概念もあり、休学なしに長い夏休みのボランティア、インターンシップとかの短期間のギャップイヤーはあります。学部内で休学してギャップイヤーというのは、特殊な語学習得のため当該国へというケースなどは考えられますが・・・。
Q:先程のロンドン大学への委託研究でも、イギリス人のパーセプションは「3ヶ月〜2年」だそうです。インターンでも親元から離れるとか教員がいないというのはギャップイヤーですよね。日本は「大学入学延期制度」がないので、大学生になってからイギリスのギャップイヤーは魅力的と気づいて休学する。中国もそうです。大学に入ってからか、就職してから3年くらいしてからギャップイヤーを取る。日本でギャップイヤーのカルチャーを創るには「大学入学延期制度」というシステムを導入するのがよいと考えています。
僕もディファード・エントリーがなかったら、今の自分はないですね(笑)。
Q:8・9月と日本のブリティッシュ・カウンシルでインターンをされていましたが、どんな仕事をしていましたか?
広報、翻訳、イベントの運営、Webの更新、Exchange Programを増やすための奨学金企画などです。
Q:ギャップイヤーを取ると理数系の能力が落ちるという懸念を持つ人がいますが、どう思いますか?
結構困ったほうですね(笑)。今でも数学は勉強しています。日本語は上達しましたが、数学は・・。ある意味トレード・オフで、両立が難しいこともありますね。バランスを取るために、自分で意識して、特にアカウンティング、数学の勉強をしています。
ギャップイヤーで大事なのは、規律・計画性・意志の強さ
Q:最後に、ギャップイヤーをやってよかったこと、そして、概念を知らない生徒や学生たちに向けて、注意することも教えてください。
注意することは僕の友達にいるんですが、何もしない、ゲームばかりやってる人がいる。イギリスではタイとかに旅行してドラッグをやる人もいる。日本でも同様で、だから人によります。あまり自由だとよくない人もいます。ギャップイヤーを風刺した動画「Gap Yah(ギャップイヤーをする上流階級の子弟)」だってあるんです。いろんな国に行って、飲んだり吐いたりしているだけ、そんな懸念もあります。だから問われるのは、自分に対する規律で、計画性と意志の強さだと思います。
よかったことはやはり"壁に囲まれた教室"ではなく、生身の世界や外に出て経験できたこと。日本語を勉強したというよりも、日本そのものを経験できた。歴史を現地に行って勉強できました。修論で明治維新の横浜居留地の最初に日本に来た外国人たちのことを書いたのは、自分がICUにいた時に感じていたことが近いからだと思います。何故彼らが日本に来たかに興味を持ち、19世紀の外国人と同じような考え方、感じ方がわかりました。僕がイギリスで勉強していたら、こんなことはわからなかったことでしょう。日本に来たからこそ、出会いもあり、勉強も研究もできました。ほんとに、ギャップイヤーを通じて人生が変わりました。
【インタビュー後記】
ひとことで言うと、さわやかな好青年。日本を愛し、多様な価値観を理解し、自分の意見やモノの見方を正確な日本語で伝えることができるのだから、日本のグローバル企業が放っておくはずがないとまず思った。ギャップイヤーは万能薬ではないだろう。しかし、ウォレン・スタニスロースさんは自らの経験から目をキラキラさせて言った、「日本でのギャップイヤーで、人生が変わりました」。
日本にも半年なり1年なりの「大学入学延期制度」があれば、過酷な受験をした希望する高校卒業生が、大学入学前に安心して自分を見つめ直したり、大学で何を学ぶかを整理したり、将来のキャリア形成に役立つ期間ができる。ギャップイヤーは親元・教員から離れた非日常化での社会体験(ボランティア・課外の国内外留学等)・就業体験(インターン等)のことで、オトナへの大切な助走期間でもある。先進国のギャップイヤー経験者の中退率低下やバーンアウトの防止効果、大学入学後の修学能力・就業力の向上、リーダーシップ・社会課題克服能力などを考え合わせると、日本も早急に、人材育成の視座から、ギャップイヤーを取得できる環境整備を産官学民の各セクターは協力して構築するべきだとあらためて感じた。