代表ブログ Jギャップは社会変革のイニシャル!

【資料】PDF  1P:ギャップイヤーの4層構造、2P:「産官学民」のGYを取り巻く環境.pdf


 秋入学の前倒しで、ギャップイヤー制度導入を本格検討してもよいのではないか
 10月9日付の讀賣新聞紙上で、東大・濱田総長は興味深い話をさりげなくしている。
 「(ギャップイヤー=以下GY)は秋入学と同時に仕組みを作っていく。仮に秋入学の実現に時間がかかっても、学生を社会や世界で鍛える仕組みの一部は在学生にもすぐ生かせる。その実績は、秋入学実現のためのてこになる」つまり、秋入学より「GY制度」を先行させることを示唆しているのである。


 秋入学実施は5年後ではなく、総長の在任期間である2014年までに断行願いたい 
 その前段として、仮に「全学秋入学」が実現するとして、ロードマップ的にはコンセンサス作りのため「5年で実現目指す」と語り、かなり先の話になっているのは残念なことだ。国際競争力の低下(世界大学ランキング、留学機会の多寡等)、大学生の自殺増加(就職を苦に自殺が1年で倍増)等は待ったなしの社会問題であり、それほど悠長に時間が待ってくれるとも思えない。濱田総長の任期は09年から6年であるため、これから5年となるとご自身の任期を1年越えてしまう。後任に引き継ぐには、相当思い入れのある人物でない限り、これほどの一大改革には二の足を踏む可能性があるのではないか。国際競争力の低下(世界大学ランキング、日本人学生の留学機会の多寡等)、就活による修学への妨害、7人にひとりの中退率と大卒3年以内に3割辞める現状、大卒者の1割が職を得られない状況、大学生の自殺増加(就職を苦に自殺が1年で倍増)等は待ったなしの社会問題であり、GYが問題解決のブレークスルーになる可能性のあるものが多い。もちろん「産官学民」(上のPDF参照)のコンセンサスの上での話だが、任期中の今後4年以内での「秋入学とGY制度」を断行していただきたい。


 プリンストン大では、1年の議論で学内ギャップイヤー制度を実行 
例えば、前編で紹介したプリンストン大の「GY制度」導入は、08年春に比較文学の教授を議長に、学部、学生、大学スタッフで構成される学内検討委員会が設置され、わずか1年で導入を決定し予算化され、09年9月入学組から20名(100名規模の増員を計画中)で実施されている。プログラムは近い将来100名の参加を視野に入れている。このスピード感は是非見習って欲しい。少なくとも秋入学に先行して、現在学生に GYを希望者に味あわせてもらいたい。期間を半年にするのか1年なのか、前述の「GYの4層構造」図の第1層の「大学側提示プログラム」か第2層の「参加者自主提案」にするのか、はたまた両方試してみるか、休学を要するものか、単位化の検討、機会公平性の確保からGY奨学金のような援助をするかなどの論点是非議論して実行してほしい。何より、GYを導入することで、学内に戻ってきた学生の変化や実績を研究として積み重ねてほしい。それが、他大学への適用の大きな説得材料になる。


ギャップイヤー制度を導入したり推奨するようになると、大学機能の再定義をもたらす
 日本の大学がGYを制度として導入したり推奨すると、何が変わるのだろうか。それは、従来の教育・研究に社会・国際貢献をプラスした機能から、就業・社会体験機能を学部教育に編み込むことになり、大学機能の再定義をもたらすことになる。大学生の社会への「接続点」が脆弱と言われる中、いわば「おとなの"高等教育人"」育成機関のステージに踏み込めることになる。


 ギャップイヤーは、いわば「仮免」時点で路上である程度運転し、危険性を体感することに近い
 車の運転に例えると、自動車教習所(大学)でいくら一方的な座学や教習所敷地内でぐるぐる運転しても(例:はやりのPBL【注1】やサービスラーニング)、どうしても路上運転(社会)のリアリティには敵わない。普通免許をもらう前に、一定期間教習所を一旦離れ、「仮免」で非日常性に富んだリアリティある路上のダイナミズムや危険性を経験することに近いかもしれない。その本格的事前経験が、得てきた知識や情報、知見を血肉化し、これからの時代に不可欠なレジリエンス(弾力性)を涵養するものと考える。


 日本社会が混迷し社会問題がさらに複雑化する中、大学は多様な価値観を認めながら、多様な能力を育成することが期待されている。GYはそのための大きなツールになりうると考えている。筆が進んだため、ここまでを中篇とし、産官学民の各セクターのGY導入における課題や役割等の議論は次の後編に譲りたい。

【注1】PBLとは、「プロジェクト・ベースド・ラーニング」の意。従来の教室での座学中心の授業形態とは異なった実践型・参加型の学習機会を指す。

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