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"内定式"の日に「内定式全廃」を考える


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 倫理憲章で定められた解禁日である本日10月1日は、「内定式」を行う企業が未だ多い。

 「学生から『内定式なので明日の◯◯の講義はお休みさせて頂きます』的なメールが到着していて、平日に内定式をやる企業さんって学業重視ではないんだなとか思ってしまう大学教員の端くれです。」

 昨夜この投稿者のさりげない気持ちをつぶやいたツィートが、思いのほか反響を呼び、次々にリツィートされ、夜明けには驚異の600RTを記録した。それは、午前10時前には業務に差し支えるほど激しいので、ご本人がツィートを削除するほどだった。

 なぜこんなに反響を呼んだかを分析すると、そもそも「内定式」なるものの意義や有効性、大学生の修学軽視といったところへの"理詰め"な疑問と、組織の形式主義や窮屈さを感じる"感性的"な引っ掛かりや反発心に分けられると思う。

 「内定通知」を正式に手渡す「内定式」という式典を知らない方も多いと思われるので、典型的なものを挙げてみよう。
会社規模や予算規模(半日・1日・1泊2日等)、そして会社ごとの考え方にもよるが、お決まりは日帰りの場合、「10月1日朝集合、交通費精算、スケジュール説明→今年の激戦の"我が社"就職戦線の総括・解説(人事担当取締役)→会社のトピックスや内定者のプロフィール紹介、簡易グループワーク・おしゃべりタイム等→ランチ→簡単な内定式リハーサル→内定式(採用内定証書授与と承諾書提出、社長謝辞、内定者代表挨拶、内定者紹介読み上げ)→記念撮影→Eラーニング説明→内定者の社内報掲載用原稿作成・提出→入社までの連絡・タスク確認→懇親会場へ移動→懇親会(1時間半程度)→解散」 というパターンだ。

 内定式の是非は「新卒一括採用」との関係も大きいという見方もあるが、それを置いても形式的な「内定証書」授与と承諾書提出が主な目的なら、本人に渡す証明をしてくれる郵便局の"簡易書留"で十分ではないか。学生の他社との「二重内定」防止のためだけの設営なら、社長や関係取締役もこの日のために準備と当日の拘束があり、ホテル予約などもあり、そのコストに見合うほど重要なものか。

 はたして社長に挨拶させて、入社して新人研修が終わった頃には、社長が交代していて、新社長は独自性を出すため違っていることを言っていることもある。これはまだよい方で、内定者は入社する頃には半年前の"お偉いお歴々"の話なんて大半はメモしたことすら忘れているのが正直なところだろう。会社の前例踏襲主義のカルチャーや、人事部の点数稼ぎや社内アピールだけの場になっていないか、内部監査組織のある会社なら、「業務改善」を提言しても全くおかしくないし、現に見直しを指示する会社もあると聞く。だから、学生にも企業にもあまりエネルギーを割くほどのものでもないので、廃止を前提に考える時期なのではないか。

 そもそも、世界の企業で「内定式」なんてあるわけがない(はずだ)。日本の「大量生産・大量消費・大量採用」な時代の"ガラパゴスな20世紀の遺物"に過ぎない。来年入社の外国在住の外国人学生や、現在私費留学している日本人学生も呼び出して出社させたりしている企業もある。グローバル・ビジネスを標榜する企業の社長が思い切りドメスティックな内定式で、全員黒の画一的なリクルートスーツに決め込む学生の面前で「皆さんはグローバルな社会に生きていて、多様性を涵養し、主体的に、そしてメイク・ア・デファレンスを・・・」と訓示をしたら、これこそ「ブラック・ユーモア」以外の何物でもない。

 最後に、1997年新卒で同期だった人事コンサルタントの常見陽平さん(リクルート入社)は内定式を欠席し、城 繁幸さん(富士通入社)は「途中で早退した」らしい。それでもお二人とも15年経って大活躍だ。体調を崩して「出たい内定式」に出られなかった皆さんも、「内定式がない企業」に入社される学生も、他学生の「内定式」をしり目に現在も汗ふきふき「就活」されている現4年生や既卒の皆さんも、「内定式」の有無で人生が変わることはまずないので、どうかご安心下さい。これだけは、言っておきたかった。

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