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「半年ギャップイヤー」制度には賞賛の立場
私は、これまで東大の「秋入学+半年ギャップイヤー」検討の合理性を高く評価してきたし、その効果に対する期待も述べてきた。何より、昨年2月23日に発表したJGAPの設立趣意書(全22ページ、14ページ)において「秋入学+半年ギャップイヤー」構想は公表してきたもので、東大の活発な活動とプロセスはシンクロのように感じて大変嬉しく思っていた。これからも「民」の立場で応援したいと思うが、ギャップタームという言葉だけはどうもいただけない。
定義では"半年でもギャップイヤー" ギャップタームは和製英語?
なぜなら、全く意味不明で、意図が分からない。ギャップイヤーは、04年に当時の英国・教育技能省(現:教育省)が定義しており、「親元離れた社会体験(ボランティア・正規外の国内外留学)と就業体験(インターン)」を主に指す。期間は3ヶ月から2年。調べてみると、英国紙ガーディアンも同様の見解だ。だから、半年でも立派にギャップイヤーなのである。当然ながら、公立国際教養大学(秋田)も期間は半年で先行しているといえるが、ギャップイヤーという言葉を使用している。
日本語なら、単純に「半年ギャップイヤー」でよいではないか。英語にこだわるなら、 half year gapやgap half yearという表現がある。あるいは、「日本版ギャップイヤー」という文脈で私たちが使用している「Jギャップ」という言葉を無償で提供しても構わない。問題はこんなところで聞きなれない言葉を使うと、かえってギャップイヤーのコンセプトが理解されにくく、導入に支障をきたすと考えるからだ。東大が説明している、「半年程度の期間であるので、ギャップタームと呼称」というのは明らかに理解不足であろう。これは枝葉末節の問題ではなく、本質的な話であることがおわかりいただけると思う。
海外で使うと意味不明、理解した上での「造語」と「和製英語」は違うのでは
このいわゆる「ギャップターム」の活用例として東大は、「国際非営利組織活動への参加」や「語学留学」「遺跡発掘などのフィールドワーク」など海外を意識した活動も挙げている。もし、現役18歳の当該学生が滞在する開発途上国で、知らずに「ギャップタームで来た」と言っても、辞書にはないはずで、おそらく最初から相手には意味不明で通じないだろう。
ちなみに、米国・プリンストン大の学内制度では、"洒落っ気"で「Bridge Yearプログラム」という名称をつけたGap Yearプログラムがある。Gap(隙間)より Bridge(架け橋)のほうが、語感としてポジティブだということだろう。入学許可された新入学生が指定の開発途上国で1年間、ミッションを持ったボランティアを経験する。大学側は渡航費や滞在費の面倒をみているが、それでも誤解を避けるため、告知サイトにはちゃんとGap Yearと併記している。これは、コンセプトを理解した上での「造語」だとわかる。
ギャップイヤーの概念で半年学生を動かすのだから、本年3月の最終段階では改めて欲しい
東大のケースは悪気はないだろうが、一方深く考えなかったとしたら、言語や文化を扱う最高学府としてはいかがなものかと言いたくなる。このあたりの言葉の選択は最終段階ではきっちり改めてほしい。"言葉じり"の問題ではない、計画では、ギャップイヤーというコンセプトを基に全学3千人のかけがいのない学生の半年をある意味預かる壮大なプロジェクトであり、それに見合う形で示してほしい。国際化をめざすためなのだから、ここでは忠実に使用してもらいたい。
言い換えれば、導入するからには覚悟を決めて、若者の価値観の多様性と創造性をもたらす「ギャップイヤー文化」を東大が先頭に立ってこの国に創るんだというくらいの気概を持ってほしいということだ。
最後になったが、目新しい言葉でひっかりもあるはずなのに、東大の出したペーパーを、何の疑いもなく掲載する各メディアの姿勢と理解力にも、少々疑問を禁じえない。今後のメディア側のチェック・アンド・バランスに期待する。

