代表ブログ Jギャップは社会変革のイニシャル!

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東大・京大とも高校生に「目的意識・夢・心の有り様」を求めている現状
 昨年8月末、東大と京大の副学長のパネルディスカッションが高校教員を対象に開催された(出所:代々木ゼミHP)。当初は、両大学の違いを明確にしたいという意図だったが、むしろ同じ危機感を共有していることが浮き彫りになったという。両大学が求めているのは、「基礎学力プラスアルファ」、基礎学力とは、高校の教科書レベルの内容をきちんと理解しているということで、プラスアルファは「目的意識や夢、そして心の有り様」とのこと。例えば、医学部の場合では学力に加えて、「倫理観や使命感」を求めたいという。


ギャップイヤーは、"目的意識や使命感醸成の期間"であり「装置」
 話はもっともだが、それではいつ高校生がそんなプラスアルファの目的意識や使命感が持てるのだろうか。当稿前編で言及したように、東大では既に「中高一貫校出身者」が5割を超えている。そんな育ちも家庭環境も似た寄ったりの頭でっかちの優等生が、自宅と高校と予備校に通って、一体どこで東大・京大が要求している資質を育むことができるのだろう。その環境づくりと装置が"ギャップイヤー"に他ならない。


研究も実務も盲点だった高校・大学間の人材育成の接続課題 
 高校までは自主性とは程遠い受験勉強を続けてきた状況から、入学が決まったタイミングで親元を離れた環境下を作り、正規の授業からも一旦離れて頭をリセットし、ボランテャアや課外活動として国内外に留学する社会体験を行なう。もしくは、将来の職業観やキャリア醸成のため半年や1年などの長期就業体験(インターンシップ)に赴くことは、座学では補えない人間の成長過程として自然な営みだろう。だからハーバード大やMITでもギャップイヤーを推奨する。このような議論が、高校と大学の接続点の課題であるが、日本では研究も実務も縦割りで盲点だったと言わざるを得ない。植物の竹のように、節目(ギャップイヤー)があるから、若者も強くしなやかになる。


ギャップイヤーは、日本人が忘れがちな「人づくり」の3つのことわざの統合概念でしかない
 ギャップイヤーというと、どうも借り物の概念でという批判があるかもしれない。忘れがちな古きよき日本のことわざを思い出してみたい。
・「かわいい子には旅をさせよ(手許からはなしてつらい経験をさせ、 世の中の辛苦をなめさせた方がよい)」は国内外留学
・「情けは人のためならず(情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来る)」はボランティア
・「他人の釜の飯を食う(他家に奉公するなどして、多くの人にもまれて実社会の経験を積む)」はインターン
 つまり3つの人材育成に係ることわざはギャップイヤーの3大要素であり、その統合した概念をひとことで表せる言葉であるともいえる。


ギャップイヤー導入に欠かせない「産官学民」の取り組みと歩み寄り
 次に、ギャップイヤー(以下GY)導入にあたり、日本の産官学がそれぞれどのようなことをすべきか を考察したい。
 「産」は、代表格の経団連がギャップイヤーの重要性を6月16日の「グローバル人材提言」で明記。「絵に描いた餅」に することなく、末端の各企業の人事責任者・採用担当者にいたるまで浸透させてほしい。また、他の収容経済団体も順守して、変化したポイントのフォローアップも必要だ。

 「官(政)」は、文科省を中心に制度としてのGY導入の「モデル大学の制定」や導入意向のある大学に研究費等の予算化(これまで09年度に英国しか調べていない。他の先進国である米・豪の調査等)。制度により、低所得者層の家庭にはGY給付型奨学金を大学と連携して用意する。

 「学」は、大学の修学機能にプラスして、親元離れた社会体験(ボランティア・国内外留学)・就労体験も機能に加えるという大学機能の再定義が必要だ。理事会と教授会が一体化となって、導入を前提に議論してほしい。昨年11月に明らかになった朝日・河合塾の学長560大学調査でも「新卒要件の緩和」「インターンシップの充実」「新卒一括採用の中止」が課題トップ3であり、三大テーマはいずれもGYに深く関わる。 また、「高等教育の失われた10年」にならないよう修学環境を確保すべく経済団体にもの申し、就活の短期化・晩期化(例:4年の夏以降)を実現させ、先進国の高等教育機関に追いつくのが使命と覚悟を決める。GYが取得しやすいよう、休学管理費の撤廃や減額も課題だ。さらに、11年度「労働経済白書(厚労省)」に、「職業観養成にGY導入が有効」とあるが、JGAPが支援し国立琉球大学で始まったが、大学のキャリア教育の現場で、「GYの概念と議論」を進展させることも必要だ。
 また、大学付属高校などで、秋に推薦が決まった後に大学入学前まで「高校GY」を取得できるよう学内整備を行なうこともあるだろう。

最後に 「民(学生・親御さん・一般市民)」は、GY導入に前向きになっている産官学3セクターへの賞賛表明・支援(昨年6月13日ギャップイヤー啓発シンポジウム、今年春実施予定)、監視(産官学が「絵に描いた餅」で終わってないかの検証)等が必要だ。70年代・80年代の高度成長期に要求された金太郎飴のような単線型の人材評価やキャリアの時代ではないという認識共有も必要だ。


「日本再生の基本戦略」に入ったギャップイヤー
 昨年年末12月22日のことだが、国家戦略室が出した30ページにわたる「日本再生の基本戦略~危機の克服とフロンティアへの挑戦~」が明らかになった。
 「失われた20 年」に加え、日本は東日本大震災、原発事故、円高、世界的な金融市場の動揺など、過去に経験したことがない多くの重大な困難に直面しており、正に「歴史的危機」のまっただ中にいるという認識の中、"元気に満ちた国"としての青写真の提示である。
 「希望と誇りある日本」を取り戻し、日本再生を図っていくためには、強い危機感を持って、しっかりとした優先順位に基づく思い切った政策を重点的に展開し、課題解決を図っていくことが不可欠とある。

 実は、その中にもGYの表記があった。
 それは、重点施策の中にある「 我が国経済社会を支える人材の育成」のところだった。これまでの「 グローバル人材の育成」の文脈ではなく、JGAPが主張していた「 企業の採用慣行改革の促進」の中であった。
 そこには「産学協働人財育成円卓会議の活用等を通じ産学の共通理解を醸成し、通年採用や卒業後3年以内の新卒扱い、GYの普及・促進、採用活動の早期化・長期化の是正等、企業の採用慣行の改革を促す」とある。

元気に満ちた明治・大正期に"半年ギャップイヤー"はあった!
 実は、大学はもともと「秋入学」だったため、1920年まで30年以上の間、3月に卒業した生徒は7月の大学入試に向け受験勉強し、9月に入学するまで「ギャップイヤー」期間があった。 そういう意味では、東大が現在検討している入試時期は変えないで入学は秋という半年間のギャップイヤー・モデルは歴史的にも突飛なことではない。秋入学自体も、国の「会計年度」に合わせた4月スタートより、高等教育の国際競争力や研究・教育分野での国際標準からして正当性を持つと考える。


 2012年は産官学民の連携で、日本における「ギャップイヤー元年」としたいものだ。

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