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東大秋入学構想「最終報告書」(3月29日発行)から異論を読み解く~半年ギャップイヤー(ギャップターム)を考える


秋入学構想の東大学内「最終報告書」がまとまる
 「『よりグローバルに、よりタフに』学生を育てていくための教育改革への取組みは、1合目から2合目にさしかかることになる」

 東大・濱田純一総長は、秋入学に係る学内懇談会から「最終報告書」を29日に受け取って、こう言った。また移行時期に関しては、「実施するとすれば5年後」という目途を示した。

 濱田総長の談話にあるように、「秋季入学が自己目的ではなく、また"打ち出の小槌"でもない」。入学時期のテーマが広く関心を呼んでいる理由は、秋季入学が学事日程の変更による大学国際化への対応ということだけでなく、総合的な教育改革のシンボルという意味を持っていること、そして大学の改革と同時に社会の仕組みや意識の改革のメッセージを含んでいることにも異論はない。

 また、日本の社会的・経済的な力がかげりをみせ、同時に大学がグローバル化の動きに真摯に対応する中、若者の国際的な競争能力を高めるため、秋季入学も含めた高等教育改革は「これが最後のチャンス」であるという意識が、産官学そして「民」にも共有されていることも事実ではないだろうか。


400名弱の東大学内意見が"見えない"中、最終報告書から読み取る
 主要ステークホルダーである、東大の教職員や学生に問いかけた「学内意見募集」は「中間報告書」発表の後、1月20日から2月15日まで行なわれていて、387通が集まった。しかし、集計や賛否の分類などその結果の概要は別途総括して公表し、継続検討組織の参考に供することにしたという。しかし、それでは入学時期は総長権限で決定できる中、勇気を持って回答した人の声が現状よくわからないということになる。

 そうなると、その回答者の声が「最終報告書」に反映されていると善意に解釈して、「中間報告」と透かして見比べると、見えてくるものがあるのではというのが、本稿のねらいである。特に、批判や疑問が多い「半年ギャップイヤー(ギャップターム)」の異論について考察したい。


「最終報告」に見る秋入学のデメリット
 秋入学のデメリットのところで、主に以下3つの論点がある。最初は半年のギャップイヤー期間(東大はギャップタームと呼称)のコストへの検討と学力低下懸念、2点目は春から秋に移行するときの在校生への配慮、3点目は秋入学は学部レベルの検討であり、大学院は各研究科に任せるという確認である。この3点などは、学内の声が反映されていると推察できる。

 1点目の「ギャップターム」については、以下の記述が加わった。
「コストの影響を受けやすい層、社会的・経済的な支援を要する者への様々な配慮が求められる。高等学校卒業から大学入学までの空白の期間については、当事者の学力の低下を懸念する指摘が一部にある。こうした可能性については、それぞれの分野の特質、個々の入学者の意欲・能力、学力の捉え方、後述するギャップタームの在り方などによって異なるため、一律に判断しにくいが、留意すべき点であると考える」

 筆者は「空白」と捉えるのではなく、まず社会修行として「機会」と捉えることが重要だと考える。社会に出るとシームレスで順調なレールであることは少なく、「年功序列」や「終身雇用」もぐらつく「非連続」の連続であり、"予行演習"としても社会に出る直前で、「空白」に耐性をつけるべきだ。せかされるように、ストレートで卒業しても「3年で3割」辞める現状を見ると、じっくり非日常下で社会体験しながら、キャリアを考えることも必要な時代ではないだろうか。
 

「ギャップターム」という和製英語は「便宜上」と断り書き
 「最終報告書」の"秋入学デメリット"表の中では、「ギャップタームの取得が、海外と異なり任意でない事実上の強制」のところが、「事実上の強制」が消され、「全員一律の取得」と表現が変わった。「全員一律」に同じ社会体験なり就業体験をするわけではないし、表現としてふさわしくないのではないか。筆者は、「入学予定者に事前研修として、『必修』」とすればよかったと考えている。東大は、半年のギャップイヤーを「必修」としているので、「必修」をよしとしない受験生は他校を受験下さいと信念持って言えるかどうかが問われてくるだけだ。

 また、「入試時期の在り方(ギャップターム導入の可能性)」のところでは、ギャップイヤーの記述が「矢印→」のように変更された。
「ギャップイヤー(実際大学への秋季入学に先立つ期間の扱いについては、原則として対象者全員が半年程度の期間で長さで取得することになるなど、海外との重要な相違もあるので、以下では原則として便宜上「ギャップターム」と呼ぶ。)
 「ギャップターム」という東大の造語については、国際教養大学の中嶋嶺雄学長等も「和製英語で外国人には通じない」と苦言を呈していた。この表記を見ると「原則」から「便宜上」とトーンダウンしたとも解釈できるが、「ギャップイヤー」という国際標準の概念を敢えて言い換える必要性が見出せない。そもそも期間では、3ヶ月でも半年でも概念としてギャップイヤーであり、社会体験・就業体験等の本格的課外活動を指すので、「東大版ギャップイヤー」でよいはずだ。「ギャップターム」だと「期間」を示すだけで、これまでギャップイヤーの研究で明らかになってきた「就学力・就業力・職業観の向上」などのサイエンスとしての知見の集積が伝わらない(拙稿参照:→「留学交流3月号「人材育成機能としてのギャップイヤー」」←)。少なくても他大学やメディアは、ギャップイヤーの概念を理解して「ギャップターム」と併記にするなど注意して、言葉と概念の混乱を避けて欲しい。

 半年ギャップイヤーの実行に際しては、「教員が担うことになる教育課程内の活動と異なり、本学の教職員に限らず、職員、在学生や学生団体、さらには退職教職員、学生団体、卒業生、ポスドク等の力を生かしていく積極的に生かし、その企画・実施に重要な役割を担ってもらうことも望まれる」と、中間報告では「退職教職員」だけ挙げていたが、より多様に多くの関係者を巻き込んでいく方向性を示している。

 また、秋に入学までの学力低下懸念の中、「学問的な学びへの意欲・関心に応えるような配慮が必要であり、『知的な冒険・挑戦をする』、『大学での学びに向けた基礎をつくる』といった類型のプログラムについては、大学としての適切な関与が必要となろう」と大学の関与部分に言及してきている。

 「入学予定者」の身分についての論点は、「学生の身分を付与しない場合であっても、在学契約の成立に係る条件又は解除の事由として、一定の責務を課したり、指導したりすること等は可能である。また、学内措置として、例えば、学内規則上、科目等履修生に準ずる身分を与え、特別な科目の履修、オリエンテーション活動等への参加、本学の施設・設備の利用などを認めていくことも考えられる。ただし、対外的な面では、社会生活上、学生と同様の便益を享受できない懸念がある」としている。

 新たに以下のパラグラフを入れてきた。
 「ボランティア活動やインターンシップのような無償性を原則とした体験活動に止まらず、例えば地方自治体やNPO などで収入を得るような活動に参加・従事することも積極的に認められるべきと考える。本学における活動に従事・貢献して収入を得る機会を提供し、地方在住の入学予定者に宿舎等の便宜を与えることも検討されてよいだろう。この他、有意義な活動を行おうとする者に対し、奨学金を直接・間接に貸与する独自の仕組みを作ることなども検討の価値があろう」
 つまり、「有償インターン」でも構わないということになる。


半年ギャップイヤー(ギャップターム)の効用等と大学の関与
 「ギャップタームの意義・効用、実行可能性、大学の関与の在り方について多種多様な意見があることも事実である」と追記している。
 これは、3月30日付読売新聞朝刊社会面「秋入学 異論ジワリ」で紹介されているように、「半年は学習権を侵害」「勉強の機会を長期間放棄するのは、大学としてあるまじき姿」「入学までの中だるみの期間になり、学力低下を助長」「数千人規模の留学受入先が確保できるか疑問」「有効に時間を使える度胸・知力・財力を持った学生はわずか。圧倒的多数は、単なる時間の無駄」といった意見を指すのだろう。

 それで、以下のような記述が追加されたと観ている。
「学内意見募集の結果では、費用対効果等の観点から秋入学をめぐる課題を指摘する意見も目立っており、その点については、一つ一つ丁寧に吟味していくことが大切である。しかし、後述する『中間まとめ』への学外の反応が示すとおり、秋季入学への移行という問題は、単なる学事暦の技術的な調整に止まらず、グローバル化に対応する大学構成員や社会の人びとのメンタリティの転換、さらに社会システム全体の見直しにつながるインパクトを持つテーマであり、学内の検討においても、この点への理解を望みたい」

 また、外部協力者が「半年ギャップイヤー」を支援する見通しについては、以下の展望が示された。

 「既にギャップタームを視野に入れた体験活動の受け皿づくりに向け、自治体を含む公共部門からも協力の意向が示されており、様々な試行や実践研究のため、連携体制づくりを進めていくことが望まれる」

 東大は、全大学が「秋入学」に一本化すべきとは全く考えていない。それは、次の主張からも明らかだ。
 「今後、大学としての自主性・自律性を確保しつつ、いかにして政府との適切な関係をつくり、大学改革を進める環境を整えていくかが、今後の重要な検討課題となる。その際、政府に対しては、護送船団的な発想に立った一律的な制度改革ではなく、教育の機会均等の理念に立ちつつ、大学の主体的な改革の隘路を除き、支援するための柔軟な対応やバックアップを求めていくことが基本スタンスとなるべきであろう」


人材育成のモデルに、新たに「グローバル・リーダー」が加わった
 最後に、東大は「タフな東大生」(「行動シナリオ」)と「グローバル人材」を人材育成のモデルに掲げていたが、「最終報告書」では新たに「グローバル・リーダー」(地球規模の課題解決、真理の探究、社会の幸福の増進のため、リーダーシップを発揮し、奉仕する存在)が加わった。これは、単に「産」の求めにより、「グローバル人材」を育成するだけでなく、もう一つ上のステージである起業や国際機関の指導者になれるような人材の輩出をという想いが込められていると考えている。

 08年から「半年ギャップイヤー制度」を導入している国際教養大学(秋田市)の今年9月の入学予定者の一人が選んだテーマが興味深い。それは、「日本全国で基地や国境に接している村や町や島がたくさんある。そこに東京から自転車で回り、地元の人にインタビューし、論文にまとめる」という立派なものだった。

 秋入学と半年のギャップイヤーの導入を一つの契機に、明日の日本の将来を担う知力をもったたくましい学生が多く出現することを期待している。

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