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落語家・桂三枝さんのギャップイヤー

 10日付日経の「私の履歴書~見えない進路」は秀逸だ。「桂文枝」を襲名する桂三枝(68歳)さんの高校から大学入学に至るギャップイヤー期が語られている。

大阪で商業高校に入学するも馴染めず、成績はクラスで最下位。お笑いを志し、漫才を試みるも、天才的な若き日の横山やすしの漫才を目の当たりにして鼻っ柱を折られる。その頃のやすしは、レッツゴー三匹の正司とコンビを組んでいた。3年になると周りは就活一色で一層孤立を深める中、志望のないまま、クラスで唯一大学受験に臨む。

 受験勉強もろくすっぽしないため、当然浪人。母子家庭育ちの三枝さんは、昼間は郵便局で苦手な事務作業のアルバイト。夜は予備校に通う。

 平日の昼休みはいつも郵便局の屋上で、ひとりで弁当を食べていたという。近所の幼稚園から昼どきにオルゴールの調べによくある「アマリリス」のメロディが聞こえてくる。

 しかし、三枝さんにとっては、今でもあの愛らしい旋律を聞くと、胸がふさがるような想いがよみがえる。

  結局、予備校にも馴染めず、秋から自宅での「宅浪」が始まり、ライバルの様子が見えない中、不安を抱えたまま図書館通いになる。だが見事1963年の春、奇蹟的に関西大学商学部に合格する。のちにラジオ番組を持つが、この浪人時代の孤独感、境遇が大変役立ったと語る。

 ギャップイヤーは、本来正規から離れた非日常下での活動を指す概念で、浪人や休学の"時間"自体を指す言葉ではない。
だから、その時期の体験や活動、思慮、内省の中身が問われる。そうなると、三枝さんのギャップイヤーは、青年期のなんとも形容しがたい孤独や屈辱、不安や心のヒダを理解したことではなかったか。

 これまで何度も国会議員や大阪府知事の打診があっても、決して政治家の道を歩まなかった。この「見えない進路」は三枝さんの心意気と規律(ディシプリン)を垣間見れる逸話だ。

 遅まきながらファンになった。

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