代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

法政3年高橋プロフィール写真.jpg「休学1年間=カナダ+西アフリカ+カンボジア=スタートライン!」

高橋昌祐樹
法政大学法学部国際政治学科3年(※9月より復学)

 はじめまして! 僕は昨年3年時後期より1年間休学し、この秋から大学に"帰還"しました。僕の休学生活を簡単にまとめると、10ヶ月半のカナダでの語学留学とインターン。40日間の西アフリカ、シエラレオネでのNGOインターンと"ミニ会社"起業。2週間のカンボジアでの小さなNGO活動です。これらは「留学・海外インターン・一人旅・国際協力」など、最近揶揄(やゆ)されることもある"意識の高い"学生のトレンドの組み合わせです。でも僕はまだ「何も成し遂げてない」し、世界の99%を知らないと思っています。


コンプレックスの英語と本気で向き合ったカナダ
 帰国子女でも高校留学組でもなく、更に付属校上がりの僕の英語力は、正直全然でした。「途上国に関わって生きていく」と自分の軸が見えてきていたにも関わらず、英語の出来ない自分に我慢ができなくなり、「就活」前という時期も要因になり、3年後期から休学しての留学を決意しました。

 「英語」が留学の全ての目的だったので英語に対してストイックに、簡単に言うと日本語を使わない生活をしました。でも僕は英語が好きなので、それは苦でなく、逆に楽しかったぐらいでした。しかし後半の約2ヶ月(2012年5~7月トロント)は10~17時半インターン、18~20時TOEFL夜間学校、その後24時近くまでカフェでアフリカ渡航準備をしていて、さすがに死にました。この時は人生で初めて体力と精神のリミットが同時に外れて、インターン先(iRISEmedia )にも若干迷惑もかけてしまいました。しかし語学留学生なのに週5で完全ネイティブ環境、また雑用でなくソーシャル・メディア・マーケティングを本場北米で、更に経営から人生の話までユダヤ系ITベンチャーで学べた経験はかなり貴重だったと思います。

 会社の専門はSEO(顧客のウェブサイトをグーグルの検索結果で1番上に持ってくるよう仕掛けること)とソーシャル・メディア・マーケティング。僕は後者の担当でしたが、この領域、実は北米でも確かなやり方がなく、手探りなところがあります。みんながやり方を模索していて最新情報はhttp://mashable.com/http://www.socialmediaexaminer.com/ にて毎日更新されるのでhttps://twitter.com/iRISEmediahttps://www.facebook.com/irisemediaの更新含め、毎日大量の記事を、まさに"速攻"で理解しなければならない日々でした。

 社員5名は皆「英語」ネイティブ状態。構成はカナダ人、アメリカ人、そしてアジア系ロシア人でアイルランドの修士卒インターン生が1名。社長のプロフィールはモロッコ生まれのカナダ育ち、ブラジルに惚れてポルトガル語も操る元弁護士、街として北米第1の成長率を誇るトロントでもかなり有名なIT社長です。と言っても社員みんなはユダヤ系でもあります。

 そのため、トロントのユダヤ人コミュニティ向けの特売サイトも事業の一つとしてやっていました。その一環として、僕はトロントのユダヤ人コミュニティ最大のイベントにも参加。ほぼ唯一のアジア人としてメイン会場中心で着ぐるみを来て踊り続けたのは、稀有な経験で、楽しかったですね。

 数万ドルをポンっと寄付してしまうユダヤ人の中、会場で最も目立っていたと聞いてかなり嬉しかったです。また最新ソーシャルメディアのPinterestを如何にビジネスで使うかのプレゼンも社員みんなの前でさせてもらえ、ネイティブの白人の中で仕事をするということへの抵抗はかなり減りました。他にも同僚との心の触れ合い含め本当に素晴らしい経験が出来て、本当に運が良かったと思います。

 社長に最後に言われた「マサはオフィスでカタカタ仕事をする人間じゃなくて、外で仕事を取って金を稼いでくる人間だ」を信じて、近い将来何か仕掛けます。


自分の限界を越えに越えた西アフリカ
 簡単に言うと「就活」前にアフリカに行ける最後の機会だと思い、予定をだいぶ変更(カナダ出国3ヶ月前ほどに決定)して「シエラレオネ共和国」(注1参照)に40日間いました。僕はチキンなので誰かシエラレオネに行ったことがある人をとTwitter上で探し、この「フロンティア・フォーラム」欄に書いている「やご君」を紹介してもらいました。彼に居候先を紹介してもらえなかったら、僕のこの形でのシエラレオネ滞在はありませんでした。

 HIV/AIDS関連の完全ローカルNGOである HACSA (HIV/AIDS Care and Support Association) にて寄付集めのHP代わりにFacebook Pageの作成と、その写真集めを兼ねてシエラレオネ内の5大都市をNGOスタッフの家に居候させてもらいながら旅をしました。

 平均寿命が男性46歳、女性49歳。衛生面の悪さからコレラで毎日300人は死んでいると言われる国。治安はよいがまさに世界の最貧困国の一つ。道で話しかけてくる現地人の10人に9人は「お腹すいたからお金頂戴」と言ってきます。道路も水も電気もネットも教育も全てボロボロで、更に色んなモノを平気で盗むし、警察も税関も汚職の嵐です。

 近所の人のEメール、Facebookを開設する小さな起業で自分が必死に稼いだお金(現地の平均月収程度)も通貨価値の差で日本から緊急で送ってもらったお金の足元にも及ばず、世界の不均等の現実に、心折られまくりました。しかし後5年10年したら間違いなくビジネスチャンスが来ると思うので、次は容赦なくビジネスをしに行きます。みんなフレンドリーで治安よくて素敵な国ですよ。


自身4度目、NGO2年目のカンボジア
 さて、日本に帰国する前の8月、シエラレオネからアジア最貧国の一つであるカンボジアに寄りました。シエラレオネで見た光景からすれば、カンボジアでさえ先進国に見えました。しかしNGO Cycle Beyond the Borders (CBB) での、「中等教育×チャリンコ」支援(昨年の記事)の一環で、ある貧困地域での12名の家庭へのインタビューを通して見えた現実、それは家族全員学歴が「小卒以下」、仕事がないというものでした。一定の給料の職に就くのは難しく、貧困の不のサイクルから抜け出せないリアルをまた目の当たりにしました。

 今年度は計13名に自転車の支援と、テスト問題が発表される課外授業代等への奨学金としての教育支援も一部行っています。ストーリーは山ほどありますが、とても字数に収まらないのでまたの機会に。こちらは大手日系「NGO ASACカンボジアに学校を贈る会」様に全面協力して頂いており、もうホント感謝のみです。


最後に
 僕の1年間、結果だけを見るとどこか中途半端。これからは「口・行動」だけでなく「継続・結果」によって何かを示せる人間になりたいと思っています。在学中に何か1つは成し遂げます。しかし、自分の限界を幾度となく越えて精神、体力双方で崩壊し続けたこの1年間は、失敗を重ねた1年間でもありました。この1年間という時間の投資は、本当に「良かった」の一言に尽きると同時に、関わってくれた世界中のみんなに感謝しています。僕は将来必ずデッカくなります。
ギャップイヤー終えて、また"スタートラインなう"です。

P.S. 帰国して1週間。僕が決めたのは後期からまた大学に通うということだけです。就活をするかどうかまだ決めていません。

プロフィール
No Passion No Life. 大学1年時よりNPO法人国際ボランティア学生協会(IVUSA)に所属、インドやカンボジアでの活動、「大学生のための社会貢献講座「SAT」等に1年時より作り手として参加。ほか留学生交流会、800人を動員した新入生向けの「報告会」等リーダーを務める。東南アジア一人旅の際のカンボジア小学校2校への文房具寄付の後、大学3年時に「中等教育×チャリンコ」inカンボジアのNGO Cycle Beyond the Borders (CBB) を友人1名と設立、活動中。

Twitter: @masa_masayuki https://twitter.com/masa_masayuki
Facebook: Masayuki Takahashi https://www.facebook.com/masayuki.takahashi.906
Email: masa.no.passion.no.life@gmail.com
ブログ: http://ameblo.jp/masa-no-passion-no-life/

【注1】シエラレオネ共和国は、西アフリカの西部、大西洋岸に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。北にギニア、南東にリベリアと国境を接し、南西は大西洋に面する。首都はフリータウン。
奴隷制から解放された黒人達の移住地として1808年にイギリスの植民地となり、1961年に独立した。かつて、約10年近く続いた内戦により、世界で最も平均寿命が短い国の一つとなっていた(現在はシエラレオネの平均寿命が伸び,エイズ禍が深刻な南部アフリカ諸国が平均寿命の下位を占めている)。(出所:ウィキペディアより抜粋)

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