代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「みんなが毎日着るものだから、少しの意識で大きな幸せが生まれると思う。〜ファッションの持つキラキラしたエネルギー」6月30日.JPG

上原未知加
(東京大学法学部3年)


服が好き
 小学校3年生、私は初めてファッション雑誌を手に入れました。そのティーン向け雑誌では、見たことのないようなキラキラしたモデルさんたちが、キラキラしたお洋服に身を包み、都会的な景色を背景にとにかく輝いていました。「お洋服は人を輝かせる」、そんなことを初めて思いました。

 以来、私の服への愛着、もはや執着のような気持ちは今日にいたるまでモクモクと大きくなっています。どうしたら私もキラキラしたモデルさんみたいになれるのか、毎日着ていく服を真剣に選びました。決してオシャレではなかったし、モデルさんとはほど遠いけれど、そこには常に何かの意味を込めた選択がありました。自分で意味を込めた服を着ていると、ガラスに映る自分の姿を見て、自分が着ている服がいかに自分を輝かせてくれているか、そんなことを感じて嬉しくなりました。これは今でも変わらない、私にとってのファッションの一番大切な価値です。


ファッションってキラキラじゃなかったの?
 「服が好き」「ファッションの持つパワーが好き」、そんな強い気持ちを胸に、大学進学と同時に上京して、アパレル販売員のアルバイトを始めました。憧れのキラキラした業界、お店にいられるだけで幸せ。そんな毎日でしたが、もちろん辛いこともたくさん。とにかく人件費を抑えて、商品価格を抑える。その構造は私たち販売員の負担になっていただけでなく、そのもっと前の段階、素材が布になって、布が服になるその過程でもたくさんの犠牲を払っていたのでした。

 いわゆるファストファッションが、なぜこんなにも早いスピードで、こんなにも低価格な商品を提供してくれるのか。ファッションは、実はキラキラした表とは裏腹に、その供給過程においてとても目を向けられないような構造があるのではないか、そんなことを思っていたちょうどそのころ、あるドキュメンタリー映画が公開されました。バングラデシュの縫製工場が倒壊し、1000人を超える犠牲者を出した事件をうけて、その周辺にある悲惨な事実が映し出されていました。

 私がこれまで「キラキラ」だと思って着ていた服、自分を輝かせてくれるとても素敵なモノだと思っていた服が、こんなにたくさんの犠牲の上で成り立っていたなんて。私たちが何も知らず、安ければ安いほど喜んで、たくさんの服を買っていたことで、なくなるはずのない命が1000という想像もつかない数で失われてしまったなんて。あまりに衝撃的で、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。


エシカルファッションとの出会い
 それから考えるようになった「では私には何ができるのか」ということ。調べていくうちに、エシカルファッションという考え方を知りました。環境に配慮した素材を使った服だったり、作っている人の労働環境に気を配ってできた服だったり。今持っている服を大切に長く使うという考え方もエシカルファッションです。

 それを知って私が思ったのは、「お気に入りの服って、そんなこと言われなくても長く着ちゃうよね」ということ。本当に自分をキラキラ輝かせてくれる服は、「安いから」買った服、「流行ってるから」買った服ではなくて、「どうしてもかわいい、どうしてもコレが欲しい」と思って選んで買った服。そしてそういう服は意識せずとも長く着てしまう。つまりエシカルファッションとキラキラしたファッションは、本来矛盾しない考え方なんだ、そう思いました。


エシカルファッションの捉え方を変えてみる
 エシカルファッションは高い、高いものは余裕のある層しか買わない、その層向けに商品を作る。現在のエシカルファッションに関しては、こんなイメージがあります。私たち若年層は、確かにそんなにお金を持っていないけど、「かわいい」「すてき」と思ったものにかける熱意はとても強い。だから、そこに訴えかける見せ方にしたら、もっと身近に感じるのではないか。

 そんな仮説を検証すべく、今は2つの活動に取り組んでいます。1つ目は、エシカルファッションスナップ。今あるエシカルファッションブランドさんから衣装をお借りして、18歳から23歳までの若者に、普段着ている私服と混ぜて着てもらい、スナップ写真を発信しています。エシカルファッションは、若者のリアルクローズになりうるのか。これからも続けてみようと思っています。

 2つ目は、エシカルファッションブランドの立ち上げです。無いのならば作ればいい。若い子が、思わず「かわいい!」と言ってしまうような、例えばshibuya109にお店があっても浮かないような、そんなエシカルファッションブランドを作りたいと思っています。今現在は、ラオスの手織りシルクを素材に、長く使えるジャケットを製作中です。


服を愛する者の使命
 もっと多くの人が、気づいてくれたら、そして少しでもエシカルファッションを実践してくれたら、私たちにキラキラしたファッションのパワーを提供してくれる人たちも、もっとハッピーになれるんじゃないかな。少なくとも、無意識のうちに命まで犠牲にしてしまうことは、もう二度と起こさないよう、私たちが努力しなきゃいけない。自分ができる限られたことであっても、全力でその役に立てることをしていきたいなと思っています。


プロフィール:

ブログ:http://ameblo.jp/jessica05/
Facebook:https://www.facebook.com/michika.uehara
Mithical fashion snap : https://twitter.com/shopnista2

「世界一幸福な国、デンマークで『自分だけの軸』を創る」banrisan.jpg


林 万理(はやし ばんり)
命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部4年生、ペンハーゲン大学経済学科に交換留学中


あなたは何をしている人ですか?
 初めて出会うデンマーク人に必ずと言って良いほど聞かれる質問だ。その次の質問で、『なぜそれをするの?』と聞かれるのである。留学を開始した昨年の夏には、この2つの問いに自信を持って答えることができない私がいた。なぜならば、自分が勉強していることについて、自信をもって語ることができなかったからである。


コペンハーゲンという都市で育む幸福感と自分だけの軸
 2015年の8月下旬より、私はコペンハーゲン大学の経済学部で交換留学している。コペンハーゲンはデンマークの首都であるが、人口は74万人と東京の5%程である。小さいながらも、街には音楽や芸術、様々な国から来た人々で溢れている。キャンパスで、デンマーク人のみならず、様々な国から留学に来ている友人との交流から、知的好奇心を掻き立てられ、彼らの多様なライフスタイルに触れることができる。それを観察することで、改めて自分自身のライフスタイルを様々な角度から見つめ直すようになった。

 日本にいた時、「非日常的で大きな出来事」で幸せを感じようとしていた。しかしながら、今は「日々の生活」の中で、小さなピースのように散りばめられた幸福を感じている。例えば、私はカメラを持ち写真を撮りに街に出ることや、ジムで汗を流すこと、素敵なカフェでコーヒーを飲んでいる時に、自分の感性が研ぎ澄まされ、たくさんの小さな幸せを感じるのである。このように、コペンハーゲンという都市で、心身共にリラックスし、自分のライフスタイルだけではなく、専門分野や将来のキャリアについての「自分だけの軸」を見つめ直すための環境をデザインすることができるようになった。


北欧研究所でのインターン
 コペンハーゲン大学以外に、デンマークでの私の活動拠点はもう1つある。それは、北欧研究所(Japanordic)である。コペンハーゲンに拠点を置き、北欧諸国に関する研究・コンサルティング機関で、私は昨年の9月から現在にかけて、ここで学生インターンをしている。

 北欧研究所の主な業務内容として、クライアントである日本企業から頂いた委託調査、視察支援、通訳・翻訳、レポート執筆、個人的な調査活動等であるが、そこでのインターン活動の一つの個人調査として、私はデンマーク人の幸福観について研究している。例えば、 デンマーク人の幸福観について、インタビュー活動を行い、記事を執筆した。インタビューという「対話」を通して、彼らの幸福観やキャリアについて考え方について話せたことは、それらに関する私の価値観に見つめ直す良い機会となった。


デンマーク人のギャップイヤー
 デンマークでは、高校卒業と大学進学の間に1~2年間のギャップイヤーを取ることが一般的である。例えば、彼らは、その期間、国内でアルバイトをした後、旅行や海外ボランティア等をする。私のデンマーク人の友人の中には、日本でワーキングホリデーをした者もいれば、語学学校で日本語を学んだ者もいた。

 デンマーク人は、特に明確な目標を持って、ギャップイヤーを取るわけではない。リラックスして、その期間の旅行やインターンシップを通して、自分が本当に学びたい学問や進みたいキャリアを見つけていく。そして、その中で彼らは、自身の思考や言動の源となる「自分だけの軸」を創り上げていくのである。


デンマーク人から学んだこと
 冒頭の質問に戻ろう。 『本当に勉強したいことは何?』、『なぜ、それを勉強するの?』、留学を開始してから、これら2つの質問を自問自答するプロセスにおいて、私は、いかに「自分だけの軸」を持つことが重要であるかに気づいた。

 それは、他者との無意味な比較から生まれるものではなく、自身の好きな物事に対する内発的・実存的動機によって生まれるものである。例えば、私の場合、幸福に関する自分なりの新たなアイデアを生み出した時に最も自分が生き生きとしている瞬間だと感じる。

 そして、自分が調査していることが自分の幸福観だけではなく、私の北欧研究所で執筆する記事を読んだ周囲の人々の幸福観にプラスの影響を及ぼすことに大きな喜びを感じる。自分と他人を比較し、劣等感や虚無感で暗い気分になるのではない。他者を気にせず、自分が本当に没頭できることを通して、人は大きな喜びやエネルギー生み出すことができるのである。だからこそ、「自分だけの軸を創る」、それが「幸福」へのステップだと、デンマーク人は私に教えてくれた。


プロフィール:
林 万理(はやし ばんり)
1993年生まれ。山口県出身。立命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部4年生。2015年8月下旬より、コペンハーゲン大学経済学科に交換留学中。興味のある分野は、デンマーク人の幸福観、デンマークの社会福祉モデル。趣味は、フィットネスとカフェ巡り。
個人ブログHP(L!FE IS CRAZY): http://banrihayashi.com/
Twitter:@banrihayashi
北欧研究所HP:http://www.japanordic.com/

「新卒でアフリカ、ルワンダへ。全ての人にチャンスがある舞台を創る。」yabe.jpg


矢部寿明
慶應義塾大学商学部4年


 2016年4月27日。大学生5年目、卒業まで10か月。私は内定をもらっていた企業に断りの電話を入れた。別にどこか他会社から声が掛かったからでもなく、かといって自暴自棄に陥ったわけでもない。ただ夢を追うのに、それが最善ではないと判断しただけだった。


<国際開発の舞台へ>
 大学1年生の時、ユニセフの講演を聴いて途上国開発を知った。どうすればいいかわからず、悩み悩んで「この舞台で活躍するには最低限英語が必要」という真っ当な結論に辿り着いた。英語はできなかった。親戚家族に海外に関わりのある人間などもいなかったので、死に物狂いで1日10時間、1年勉強を続けてニューヨークの大学に編入合格した。学費が払えないと言われ交換留学に落ち着いたのだが、、

 アメリカでは国際開発の第一線にいる様々な人に話をきき、自分の進むべき道を見定めていった。特に、ユニセフの畠山さん。23歳から世界銀行、ユニセフでキャリアを積んできたこの人の話を聞いたときに、素直にかっこいいと思った。"国際開発に携わる上での夢は仕事がなくなること"。この時、どのアクターかわからないが国際開発の舞台で一生踊り狂っていきたいと強く感じたのだった。


〈アフリカでの決意 ~若年層の失業問題解決~〉
 留学から帰り、就活や欧米の大学院受験準備を進めつつ、アフリカでの金融包摂プロジェクトを実施しているアライアンスフォーラム財団でインターンを始めた。

 今年の2月から3月にかけて、そのプロジェクトで初めてアフリカを訪れ、兼ねてから強い関心のあったルワンダに赴いた。キガリを散策中、ある若い女性が偶然にも私に声をかけた。

「I WANT JOB、 NOT MONEY」

 衝撃的だった。お金じゃない。仕事がほしい。色々な国や場所で物乞われたことはあるが、仕事を乞われたのは生まれて初めての経験だった。調べてみるとアフリカやルワンダにおける若年層の雇用問題は根深く大きな障害だと理解できた。

 4月に入り、私は決心した。就職するのでもなく、欧米の大学院で学ぶわけでもない。二者択一に凝り固まっていた思考を少し自由にして、新たな選択をすることを。働く意欲があるにも関わらず仕事がない、大学までの教育を受けたにも関わらずまともな職につけない、そんな状況を変え彼/彼女らが輝くためのステージを創る。起業だ。


〈目指すべき世界〉
 高校から慶應で8年間過ごす中で、世界に対するある理想が芽生えていた。

誰にでも選択の機会が等しくある世界

 周りの友人に比べて我が家はなぜ、と狂言を吐くことも多々あったが、世の中的にみれば私はとても恵まれているのだ。翻ってアフリカ、途上国を見れば、選択の機会を得ていない人は五万といる。私よりも国際開発の舞台を目指すに相応しい人もたくさんいるだろう。ルワンダで物乞いをしてきた女性もその一人だ。ならば、そのような人々を支え、舞台へ飛び上がる手助けをできないだろうか。これからルワンダで創めるのは、そんなとてつもなく大きな理想への第一歩である。

 私にできるのか。そんなことを問うこと自体に意味はないように思う。大事なのは誰がではなく、何が成されるのかである。それが真に必要であるなら、私ではなく、これに流れができる。そのため私ができることはいくらでもあるはずだ。友人には見切り発車と言われ、親には呆れられてしまったが、決して独りでできるなどと自惚れてはいない。声が小さいだけで、同じ問題意識を持っている同志はたくさんいる。彼/彼女らと力を合わせていけばいい。私なんかよりも輝く人は星の数ほどいる。そういった人たちのために、私は舞台を創っていきたい。


 詳細な計画やルワンダ、アフリカに関心があるひと、一緒に考えてくれるひと、ご連絡いただければ嬉しい。

プロフィール:
矢部寿明
慶應義塾大学商学部4年。1993年生まれ、慶應義塾高等学校出身、大学3年時にアメリカのThe University of North Carolina at Chapel Hilへ交換留学。2017年3月の大学卒業後、ルワンダで起業するために準備をしている。

Twitter: @yabeeeee1207
Facebook; Toshiaki Yabe (https://www.facebook.com/toshiaki.yabe.77)
Blog: http://yabe.hatenablog.com/
CAMPFIRE: https://camp-fire.jp/projects/view/6519

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