代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

1230豊田さん ギャップイヤー 写真.jpg「3大学8年"寄り道"重ね、私は教師になります」


日本大学文理学部4年
豊田 浩樹

 ※このたびは拙稿をご覧いただき、誠にありがとうございます。
私の経験をお話することで、少しでもどなたかのお役に立つことができれば嬉しいです。他の執筆者もそうだと思いますが、あくまでも一個人の経験や意見なので、参考程度にご高覧下さい。


1.ギャップイヤーに至っ(てしまっ)た経緯
 「私は4月から教師になる予定です」
文章にすると簡単すぎますが、その就職に至るまでは波乱万丈でした(苦笑)。

  私は実は3つの大学を経験し、合計8年間通いました。1つ目は、教育系の大学だったのですが、入学して半年で環境が合わないという、完全に自分勝手で言い訳でしかない理由で退学。2つ目は4年間通い卒業。3つ目は2年次編入で入り、2012年3月に卒業します。

 大学に3つ行くなんて何をやっているんだ、と言われそうです。周りから批判を受けましたし、振り返っても不器用な選択だったと思います。2つ目の大学を卒業して再度大学に入る時は本当に悩みました。当時の取り巻く環境は"売り手"市場であり、みな就職を選んでいました。

 そこまでして再度大学に入ろうと考えたのは、教師という仕事に再挑戦したかったからです。私は2つ目の大学の際、部活指導のコーチを3年間経験しました。そこでの経験を通して、何もせずに教師という目標を早々捨て去った自分の愚かさに気づき、本気で目指してもいないのに諦めきれない、入り直して教職課程を取ろうと決意しました。正に、背水の陣でした。また、親の理解にも助けられました。
 ですので、私のギャップイヤーは、編入をして卒業するまでの3年間といえます。

2.ギャップイヤーで経験したこと、学んだこと
 親に全ての学費を出してもらうつもりはなかったこと、本気で勉強したかったので、特待生を目指しました。結果、特待生の数名に選ばれ、奨学金を得ることができました。そのお金の一部を使い、13ヶ国の青年たちが1つの船に集って国際交流をする内閣府事業の第23回世界青年の船に参加しました。また、Globe-Projectというスポーツで社会貢献に関わるNPOに参画し、1年間活動もしました。これらの活動が認められ、財団法人からも奨学金を得ることが出来ました。

 ギャップイヤー間で学んだことは、①ベクトルを自分に向けること ②運は目の前に潜んでいることの2点です。以下、それぞれの具体的なことを述べます。

 ①結果的に、大学を一度辞めたことがギャップイヤーを生んでしまったのですが、私は大学を辞めたこと自体は後悔しています。「変えられるものを変える勇気を。変えられぬものは受け入れる謙虚さを。そして、それらを見分ける知恵を」という言葉があります。勿論、全てを変えられるわけではないです。ですが、私は変えられるもの(=自分の心や行動)を変えず、環境のせいにしていました。自分が変わる勇気を持つこと、そうすれば未来が変わると、今も教訓にしています。

 ②例えば、講演会の時に質問をする。ダメ元で社長にメールをするなど。私の場合は、友人が世界青年の船に乗ったことを聞き、どうやって受かったのかを聞いたり、奨学金の案内がないか、大学の掲示板を毎日見ていました(笑)。目の前にチャンスはあります!そう思えるかは自分次第です。

3.最後に
 大切なこと、自分の心に従い、自分で考え決め、そこで何をして見て感じ学んだかだと思います。生き方は十人十色。自分の生き方を考え、最高の人生を選び、創って下さい。ここでは書ききれなかった内容を詳しく知りたい人は、ぜひ連絡を下さい。welcomeです!


豊田 浩樹
※ご参考
Globe-Project (http://globe-project.jp/)
世界青年の船(http://www8.cao.go.jp/youth/kouryu/data/swy.html)
Twitter: herotoyo
Facebook: Hiroki Toyoda

記事一覧

フロンティア・フォーラムトップページへ戻る

アーカイブ