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日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

今井紀明さん写真.jpg「商社辞めて、教育系NPO立ち上げのなぜ」 


今井 紀明
特定非営利活動法人D×P(今年6月法人格認可予定) 共同代表

商社マンから教育系NPO立ち上げへの挑戦
「なんで食肉原料トレーダーから教育に携わるNPOの立ち上げなの?」
 今月退職する会社で仕事の引き継ぎのための挨拶のときに驚いた表情で言葉を発した御客様。「いや、僕も自分で驚きなんですけど、信念持ってやっているんですよ」と僕は語っていた。


 確かに変わった経歴なのかもしれない。高校時代までは北海道で過ごし、九州で大学時代を過ごした。海外もよく回ったが、なぜか大阪の食肉専門商社へ就職。そして今度は教育関係のNPO法人の立ち上げ。


04年のイラク人質事件を契機に対人恐怖症に
 振り返ってみると僕は18歳のある時期を境に約4年近い期間、対人恐怖症に陥っていた。2004年4月にイラクで人質になった経験をしたのが原因だった。故郷である札幌の街など歩いていれば、知らない人から罵声を浴び、後ろから「おい、そこの"くそガキ"」と言われて叩かれたこともあった。いつの間にか、僕は人と話すのも嫌になってしまっていた。


"人とうまく話せない"、"死にたい"から、人から支えられて今の僕がある
 その体験をベースに僕はずっと「死にたい」と思っていた。しかし、大学時代に今も一緒にD×Pの共同代表として働いている朴基浩と出会ったことをはじめ、様々な後輩たちから支えられて精神的に回復した。そのときには就職を選択しなければいけない状況であったため、今の会社から内定を受けて入社した。

 その後、僕は「社会人になる前に、もう一度海外の国際協力の現場で働いてみたい」と思い、ザンビアの学校増築の事業を手伝うボランティアをした。小中学校で2000人規模、3部制の学校で僕は生徒たちと接しながら、「貧困やエイズの感染率が高かったりするのに、子供達はこんなに将来に希望を持っているとは」と驚きながら帰国する。


見えてきた問題 解決するための行動へ
 2010年4月、誰も知り合いのいない大阪で就職。ザンビアから帰国直後の電車で見た日本の暗い表情をした若者たちが脳裏に焼きついた。
「何か日本の若者たちの可能性を引き出すようなことができないか」とその頃から考え始めていた。

 僕は会社勤めと同時に、オフには学校を回ったり様々な若者たちと出会った。会社の仕事が終わった後や仕事が休みの日の時間をほとんど使って行動を起こした。そこで目の当たりにしたのは、日本ではいじめの経験や経済的な困難を持つなどいわゆる「しんどい子」たちと、非常に恵まれている環境で育ってきた高校生や大学生たちとの機会格差だ。
 富裕層の子たちほど、親から与えられる環境や親が持つ社会関係資本や文化資本に恵まれ、自分のやりたいことができる環境にある。それとは対照的に、経済的に困難を抱えている子供たちほど、様々な体験に触れる機会が欠如し、いじめや自分の過去に対してネガティブであること。自信がなく閉じこもっている彼らの姿と人とまともに話せなかった学生時代の自分が、そこで二重写しになった。


2高校でプログラムは採択され、今後は大きなチャレンジへ
 今の挑戦はここから始まっている。D×Pでは通信制高校の生徒を対象に、様々な職業の社会人や大学生たちが同じ生徒と向き合い、1年間という長期間お互いが信頼関係を築きながら学び合う「クレッシェンド」というプログラムを提供している。今年は2校で正式に採択され、今後は都市部でも地方でもその地域の若者が高校と関われるような仕組みを作っていく。私たちはミッションである「若者が自律する機会を創造し、社会的弱者を生み出すことを予防する」ことを主軸に事業を立ち上げながら、これからも一歩一歩進むつもりだ。


プロフィール
今井紀明
ブログ:http://blog.livedoor.jp/noriaki_20045/
Noriaki Imai Twitter: https://twitter.com/#!/noriakiimai
NPO D×P ブログ: http://yume-brainsto.jugem.jp/
※DはDream、Pは Possibilityを指す。

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