代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「"ありがとう"の言葉の意味を教えてくれた僕のギャップイヤー」児玉祐介さん竿燈.jpgのサムネール画像


児玉祐介
国際教養大学国際教養学部3年
※現在中国湖北省の武漢大学に留学中


 みなさんは「ありがとう」という言葉のもつ意味について考えたことがありますか?

「ありがとう」との最初の出会いは高校時代
 地元兵庫県の中学校を卒業し、僕は野球をするために親元を離れ宮城県の聖和学園高校に入学した。毎日朝から晩まで野球をしていた日々は、今思えばいい思い出である。

 聖和学園では、週に一度「勤行」という仏教の時間があった。お経を唱え、仏教歌を歌い、校長先生の法話を聞く時間だ。当時の友人たちとその話をすると、決まって毎回数十分間の正座がつらかったという話になりがちだが、それ以上に印象に残っている法話がある。それは「ありがとう」という言葉についてだ。

 「ありがとう」という言葉は「有り難う」と書き、"有ることが難い"、つまり「滅多にない」ということである。普段僕たちが何気なく使う「ありがとう」という言葉には、身の回りに起こるすべての事は実は滅多に起こりえないことで、その滅多に起こりえないことが起こったということに感謝しなければならないという意味が込められている。その"事"が起こったこと、そこに自分が居合わせたこと、突き詰めていけば自分が生まれたこと、それらは何千何万分の一、それ以下の確率なのだ。

 当時高校生だった僕は、実はこの話の意味をよく理解していなかった。
ちなみに余談だが、僕は何の宗教も信仰していない。入学して初めて聖和学園が仏教系の高校だと知ったぐらいだ。


ギャップイヤーの始まり
 高校を卒業し、僕は秋田県にある国際教養大学の9月入学試験(ギャップイヤー)を受験した。4月から入学までの5か月間を大学側にプレゼンし、自由に使ってもよいというこの制度は、なんでもしたがりの僕にとっては格好でとても魅力的に映った。僕のギャップイヤー活動は主に二つ。一つはオーストラリアでのホームステイとボランティア。もう一つは東南アジアの一人旅だ。以前から沢木耕太郎氏の『深夜特急』を読んでいた僕は、国境で見ず知らずの旅人とすれ違いざまに親指を立てて「Good Luck!」と言い合うシーンに憧れていた。オーストラリアでの活動を終えた僕は、そんな憧れとバックパックを背負い東南アジアへ飛び出した。ありきたりなことを言うが、この出発がその後の僕の人生観を変えるものになるなんて、このときは思ってもみなかった。


東南アジアで貧困の一つの姿をリアルに目撃する
 人生で初めての旅が18歳での東南アジア。すべてが刺激に満ち溢れていた。国ごとに変わる雰囲気はもちろん、国境を超えるための賄賂の支払いが当たり前なのには驚いた。夜明け前のカオサン通り、なぜか手足のない人、危うくマリファナに手を出しそうになった夜、たくさんの驚きと刺激を日々体験する僕だったが、一番心に残っているのはラオスでの出来事だった。

 とある場末の食堂で昼食のチキンを食べ終わり休んでいると、子どもが2人やってきて、僕が食べ終えたチキンの骨を"ひょい"と持って行った。2人は足早に食堂の店主に怒鳴られながらも逃げ通した。見送る僕は彼らに向かって親指を立て「よくやった、頑張って逃げろよ」なんていう気持ちだった。しかし、この出来事が衝撃的なことだとふと気付いたのは事が過ぎ去った後だった。話には聞いていた貧しさ、僕にはそれまで漠然だったが、それはリアルな貧困の現場の目撃だった。生きるため、観光客や旅人の残飯を盗んで糧(かて)にする彼らの日常は、"発展途上"と呼ばれるこの国の貧困の一つの姿----それを目(ま)の当りにし、実感した瞬間だった。


「ありがとう」の本当の意味
 この時、僕は唐突に高校の校長先生が言っていた「すべては本当に有り難い事」という「ありがとう」という言葉の本当の意味を初めて理解した。自分が日本で安全に豊かに暮らしているのは、決して当たり前のことではなく本当に"有り難い"ことで、感謝すべきことだということ。普段摂(と)っている食事も実は有り難いもので、動植物の命をいただいていることや、そこに関わる人々、すべてがあるからこそ僕は食べられるということ。この世に生を受け、守られながら今生きていること自体有り難い事なのだと、異国で感じた。


海外を知り、そこから興味の視点は"秋田"に!
 国際教養大学の中嶋学長の言葉に"Be a Leader in the Global Society"という文言がある。この文言にも惹かれ、なんとなく大学入学前は世界を股にかける仕事をしたいと考えていた。ギャップイヤー活動を終え、ほかの学生より半年遅れて9月に学した僕は、秋田の伝統である竿燈(冒頭の写真)や名産秋田米、人々の温かさなどの様々な秋田に触れてきた。秋田という新しい土地を知っていくにつれ、僕はまだ日本のことを全然知らないことに気づき、世界を知る前に自国のことを知る方が先だと考えるようになった。

 秋田での大学生活、そして現在の中国への留学は、自分の将来やキャリアを再び考えるきっかけとなった。現在は、たまたま出会った魅力ある秋田を盛り上げるような仕事をしたいと思っている。世界中で活躍することだけが国際社会のリーダーの役割でないだろう。秋田を知り、秋田を世界に発信すること、それも国際社会のリーダーの役割だと今は感じている。


「何か」をより良くするための挑戦
 ギャップイヤーは、すべてのことに「ありがとう」と感謝するという大切なことを気づかせてくれた。かと言って感謝することがなぜ大切なのかと聞かれると、簡単に答えられるものではない。しかし感謝をすることで「何か」が変わるのではないかと思う。その「何か」がどんなものなのかは、今の僕にはわからない。それは優しいものかもしれないし、悲しいものかもしれない。

 嬉しいとき、悲しいとき、今この一瞬、これからもすべてのことに感謝して、「何か」がより良いものになるように僕は挑戦していきたいと考えている。


プロフィール
児玉祐介
Twitter: @aiu6_5

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