代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

中上さん写真.jpg「アフリカ大陸南東部モザンビークでのボランティアで出会ったのは、『本当』の自分だった」


中上亜紀
(千葉大学法経学部3年後期から休学中)

後悔は無い、でも何かが足りない大学生活~「就活」を前に考え、ギャップイヤーを選択
 大学生活3年目の春。就職活動を目前に、焦燥感にかられるものの、どこか他人事な私を一つの疑問が支配した。「本当にこのまま就職していいの...?」

 将来、国際協力という分野で世界と関わる仕事がしたいと思っているものの、その気持ちだけが先行し、自分には知識や経験、計画性が足りなさ過ぎていた。具体的に何がしたいのか、どういう分野から問題にアプローチしていきたいのか。そして何よりも、中学生の頃からの夢であるアフリカの地を未だに踏んだことがないということが、ずっと胸にひっかかっていた。そしてその気持ちに正直に、知らない世界を見ることを決意。休学に断固反対だった両親には、自分が思い描く将来とそのために必要だと思うことを伝え、どうにか協力を得ることができた。そして2011年7月末にアメリカへ。ここから私の1年間のギャップイヤーが始まった。


米国NPOでのファンドレイジング(寄付金集め)で泣いた日
 この1年間の活動先として私が選んだのは、アメリカの、とあるNPO。半年間の研修を受けると、"開発インストラクター(Development Instructor)"という肩書きが与えられて、アフリカで残りの半年間NGO勤務という1年間のプロジェクトだ。多国籍なNPOで初めての共同生活。ここで一番苦労したのは、言語でも課題でもなく、アフリカに行くための資金を自分で集める募金活動(ファンドレイジング)だった。始めの半年のうち約2ヶ月を寮から離れてこの募金活動に費やしたが、街中で幾度と無く「死ね」「地獄へ落ちろ」と罵られ、数え切れないほど涙を流した。見ず知らずの人に罵声を浴びさせられ、何百人・何千人という人に募金を断られて培われた精神力は、自信にもなったし、これからの糧にもなると信じている。


夢のアフリカ大陸だったが、帰国を検討~選んだモザンビークで出会った「本当」の自分
 米国NPOでの半年間の研修を終えて、今年2月にモザンビークに到着。"結核治療啓発ボランティア"として活動する生活が始まった。英語が全く通じず、ポルトガル語が公用語の国、男性からのボディタッチと口説きに嫌気がさすのに加え、不衛生な環境、そして働かない現地ワーカー...。全てに準えて来たつもりだったが、序盤の2ヶ月はストレス性胃腸炎に苦しんだ。本気で帰国を考え、本気でモザンビークを嫌った時期だった。そしてこの時期に本当の自分に出会った。

 「私は心身両方の調子が整って、余裕がある状態じゃないと人をサポートすることができない。自分の生活が保障され、納得するリターンがないと自分は頑張れない。」

 そこにいたのは、我欲の塊で自分本位な私だった。ずっと夢だったボランティアも、その場の環境に任せてやる気を失った時期もあった。それだけ自分は弱くて甘かった。


葛藤の日々を乗り越えて、これからを考えた
 毎日オフィスか部屋に篭(こも)り、フィールドワークを避けて人との接触を絶った期間を乗り越えたきっかけが、活動開始から2ヵ月後の今年4月に出会った日本人だった。彼らに出会えたお陰でこの国の楽しみ方とオンオフの切り替えの仕方を覚え、それからの生活は見違えるように彩(いろど)りを取り戻した。共にフィールドに出るワーカーとのポルトガル語での会話、何時間も続く悪路をバイクの後ろに乗って孤立したコミュニティに行くことや、新しい結核患者を見つける工夫をワーカーと考えることも、全てが楽しく思えるようになった。

 そして自分のプロジェクトが終わりに近づいた頃、8月末に控える帰国後の自分の『未来』を考えるようになった。私にはまだ1年半の大学生活が残されていて、尚且つ『就職』『大学院進学』『ボランティアで海外派遣』という自分が望む全ての選択肢を選べる自由な環境がある。今自分が出来る事と出来ない事、そしてやるべき事を考え、自分なりに答えを出す期間がこのモザンビーク生活終盤の2ヶ月だった。


足りなかったのは、「知識」ではなかったか? だからこれから学びなおす
 この1年間の経験は全てが全て良い思い出だったわけではなく、何十回と帰国を考えたほど私には過酷だった。しかしその状況が、「世界に根強く残る貧困問題をどうにかしたい。モザンビークで出会ったような社会的弱者層を支えたい」という、渡航前から抱いていた感情が本物だったと証明し、自分の核を形成できた。次はこの気持ちを大切にし、仕事として関れるように自分の未来を選んでいきたい。また、今の私に圧倒的に足りないものは知識だと実感させられたこの1年。残りの学生生活は今まで身についていなかったことをもう一度学び、それと合わせて自分の経験を発信することで、更なる自分の成長へと繋げたい。

プロフィール
大阪の高校を卒業後、千葉大学法経学部に入学。パキスタン支援NGOインターン、国際協力団体『夢追人』1期千葉リーダー、インドでのボランティアなど、様々な活動をするものの、自分の経験や知識、計画性に納得がいかず、昨年3年の後期より1年休学。今秋、大学に戻る。アメリカNPO『IICD』で半年間の研修を受けた後、Development InstructorとしてモザンビークNGO『ADPP』で半年間『Total Control of the Epidemic(感染症蔓延コントロール)』プロジェクト-結核病感染予防・治療啓発部門の活動に従事。

中上亜紀
Twitter: @aki_peacemaker
Facebook: Aki Nakagami(中上亜紀)
Email: aki.peacemaker@gmail.com

【モザンビークひとくちメモ】
旧ポルトガル植民地であり、1964年から独立戦争を戦い、1975年に独立を達成した。独立後も1977年から1992年まで内戦が続いた。内戦終結後は好調な経済成長を続ける反面、HIV/AIDSをはじめとする感染症の蔓延が問題となっている。隣接国が全て英語圏の国家であるため、1995年から英連邦に加盟している。

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