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日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

兼清俊太郎さん写真prof.jpg「凡人なら動いて学べ。天才は居間で茶でも飲め!~   100冊の読書と留学と旅」

兼清俊太郎
専修大学法学部政治学科4年
※大学3年次以降大学を2年間休学してロンドンへ留学とアジアを一人旅


はじめに
 僕が大学生と名乗れる期間は残り半年もない。6年間の長い大学生活が終わろうとしている。今回、大学6年間の軌跡を簡略に記すことで、悩める大学生に現状を打破するヒントが与えられればと思う。僕自身、大学在学期間中に何ができるのか悩んだし、そういう学生は決して少なくないと思うからだ。


自分自身を凡人だと知ること
 僕の今までの人生は、社会の敷いたレールの上を歩いてない、と主張しながら、結局のところ、そう主張することで自分自身のアイデンティティを構築し、自分を欺き続けた人生だった。自分自身を周りの人間とは違う特別な存在だと意識し、そう意識することで自分を守ってきた人生だった。

 しかし、大学受験に失敗して、初めて自分自身を少しだけ客観視でき、自分自身をありふれた凡人なのだと認識することができた。僕は天才ではない、ただの凡人だ、凡人は自ら動いて、多くのことに触れて、挑戦し続けなければならない、そう感じて、僕の大学生活が始まった。

 僕はただ勉学に勤しんだ。毎朝8時迄には大学に来て、新聞を幾つも読んで、講義中も熱心に教授の言葉を聞いた。そうして、単位も落とすことなく大学の3年目を迎えようとしていた。僕は単位を落とさずに進学できることに満足していた。しかし、「このまま卒業していいのだろうか」という晴れない気持ちが僕の心に暗い影を落としていた。でも、僕には何ができるのだろうか。


1年間で100冊の読書と書評
 1年間で100冊の本を読むことに決めた。自分の成果を形として残したかったのでブログで書評を書くことに決めた。僕はとりわけ読書が好きなわけでもないし、ただ時間潰しの為に本を読む人間だったが、沢山の本を読めばきっと多くのことを学べると思った。大きな志なんてない、ただの自己満足。このまま卒業したらきっと後悔する、という気持ちが僕をそうさせた。

 1年間に100冊の本を読むなら、1週間に2冊、1ヶ月に最低で8冊は読んでおきたい。しかし、読書を習慣としていない人間が、同じペースを維持して本を読み続けるのは辛かった。たまに本を読まない日を作りたいが、後々辛い思いをすることのは明らかなので、無理矢理でも読み続けた。

 先人の「習慣は第二の天性なり」という言葉の通り、読書を習慣にして数ヶ月経つと、読書が辛くなくなっていた。読書を自分自身に強いている、という意識が軽減されたのだ。そうして読書が日常に溶け込み、僕にとって読書は特別な行為で無くなってしまった。そして、新たな挑戦をしようと、同年に卒業論文を執筆し、学内の懸賞論文で佳作を受賞するに至った。

 僕にとって1年間で100冊の読書と書評をすることも3年次に卒業論文を執筆することも挑戦だった。しかし、当初は大きな努力を必要としたものも慣れてしまえば以前のような努力を必要としないし、終えてしまえばそれを自慢するのが恥ずかしいくらいの気持ちになる。そう思えたのは、自分が成長したからに他ならなかった。僕は学び続けたい、という思いを強く感じた。そして、留学を決意した。


ロンドンへの語学留学で固定概念の払拭
語学留学の動機は単純である。TOEICで900点を超えたい、グローバル化に対応できる人間になりたい、といった高い意識をまるで持っていなかった。僕は単純に、海外で勉強をしたいと思ったし、海外で暮らしたいと思ったし、多くの外国人と知り合いたいと思った。そのための手段として英語を学ぶ、くらいの認識しか抱いていなかった。

 語学学校には講師を除いてイギリス人は当然居なかった。非英語圏の国から来た人達と授業を受け、昼食を食べ、授業後に街をふらふらし、時々パブでお酒を飲んだ。ある意味、こうした遊びは英語を通じて成立するのであるから、遊び、それ自体が学びたりえるが、それにしても気楽な学びであった。でも、クラスメイトと話し、彼らの国の文化の話をするのはとても楽しかった。

 知り合ったどの外国人も僕の抱いていた偏屈なイメージを覆した。僕はなんとなくイラン人を厳つく、怖そうな人ばかりだと認識していたが、どのイラン人も人懐っこく、とても親切だった。台湾人は想像以上に親日家だったし、タイの男性は細いジーンズを穿き、ファッショナブルだった。

 多くの外国人と知り合ったことで様々な国へのイメージが崩れさり、今までの僕は固定概念に捕われて世界を見ていたと感じた。本を読んだり、机に向かってする勉強は大切だけど、それでは不十分のように感じてしまった。自分の足、自分の目で世界を見て、今まで学んだ知識を自分の目で確かめたいと思った。


肌で触れる異国文化と貧困~インドで感じた"旅"の大切さ
 僕は、インド、ネパール、ベトナム、モンゴル、タイ、ラオス、中国、モンゴル、シンガポール、マレーシア、インドネシア、11カ国83都市を旅した。どの国も素晴らしい文化を持ち、暖かい人ばかりだったが、とりわけインドのある体験がすごく印象に残っている。

 「インドに行くと人生観が変わる」という言葉をよく聞くが、それはつまり、インドを訪れたら否応なしに剥き出しの貧困と対面しなければならないからだろう。観光地の路上には沢山の物乞いが横たわり、日本人が来たと分かれば、物乞いは服を掴んででも小銭を手に入れようとする。貧困は悲しいと学ぶが、悲しいと思っても、小銭をあげても、彼らの生活は何も変わりはしない、だから多くの日本人はインドで悩む。

 インドのアフマダーバードという大した観光スポットもない場所を一人歩いていた際、一人の野宿者を見つけた。彼は僕のことに気づいている様子はなく、彼の様子を数時間見続けることにした。しかし、彼は何もすることはなかった。眠ることもせず、地面を何時間も見続けていただけだった。何もしないで地面を数時間見続けることができるだろうか、僕にはできない。彼は僕の知らない世界を生きていた。

  翌日、同じ場所に彼は居なかった。僕は彼と同じ場所に腰を下ろしてみた。すると、今までインド人とは肌の色が違う僕がインドの街を歩けば、誰もが物珍しさに僕を見てきたのに、誰も僕を見ていないことに気がついた。まるで僕がそこに居ないかのように、彼らは僕の前を通り過ぎていった。哀れみや同情以上に無関心こそが人の尊厳を奪うと聞いたことがあるが、あの体験は僕の脳裏に強く、濃く、焼き付いている。

  印象深い体験を挙げれば際限がない。日本で触れることのない文化や習慣に触れ、それに適応して暮らし、様々な困難に遭遇し、それを克服していく、という過程は、紛れもなく僕を強くした。最初の1歩は怖くて怖くて辛かったが、1歩動けば後は進むだけだった。僕は大学生に何か1つ勧めることができれば、旅だと答える。何故かと尋ねられたら、その何故かを知るために旅へ出ろ、と言いたい。


座って学び、動いて学ぶ~大学生は動こうよ!
 大学は学問を究める場に他ならないが、大学生は学問を究めるためだけの身分だと僕は思わない。大学生ほど、自由に動けて、自由に学べる身分はないと思う。だから、勉強をするのは学生として当たり前の行為で、それにプラスアルファとして色々なことに挑戦するべきだと僕は思う。それが僕にとっては、100冊の読書と留学と旅であった。

多くの社会人は「大学生は色々なことに挑戦しろ」と口を酸っぱくして言うが、大学生の多くは自分自身が無意識に与っている恩恵に気づいていないから、その言葉は大学生の心を揺れ動かさない。どの大学生も、社会人になれば長期休暇を取ることは容易でない、と知っている。けど、何をすればいいのか分からない。先日、既卒未就業者の集まりである「既卒者カフェ(@kisotsusyacafe)」に参加してみて、多くの大学生は悔いが残る学生生活を終えてしまっていると感じた。

悔いが残らない大学生活は人それぞれの解釈によって異なるだろうが、僕の場合は自ら動いて、様々なことに触れ、挑戦することで、悔いが残らない大学生活を送ることができた。大学生の4年間は長いようで短い。その限られた期間をより今後の自分にとって意義あるものにするためにも、大学生には沢山動いてほしい。動けば失敗しても必ず何かを学ぶ、だから動いてほしいと僕は思う。

プロフィール:
兼清俊太郎
1988年生まれの24歳。神奈川県湯河原町出身大学3年次に1年間で100冊読書と書評をし、翌年から大学を2年間休学をして、ロンドンへ語学留学とアジア11カ国83都市を一人旅しました。以上の経験を生かして、大学生と進学予定の高校生に向けた文章を執筆中で、今後出版社を探す予定です。色々な方と交流したいので、よろしければご連絡ください。

Twitter:https://twitter.com/kanekitter (@kanekitter)
Homepage:http://www.kanekiyoshuntaro.com/
Email:kanekiyo0922 (at) gmail.com
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