代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

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【JGAP寄稿者短信"拡大版"】
「島根県津和野町長付 半年記~"よそもの"に何ができるか?!」 福井健さん(ICU一時退学中)

『よそものに何ができるのか?!』~"固定観念""のなさと"しがらみ""のなさの良さ
 国際基督教大学(ICU)を一時退学して、町長付として津和野町に来てから、約半年が経った。多くの課題を抱える町に入り込んで、町中で、町の様子を見る中で、気付いたことがある。

『当たり前のことを、当たり前に行えば、いいだけのことではないか』
 人口8500人の町には、お年寄りにも、若者にも、子どもにも、それぞれに役割がある。
人口が少ないからこそ、一人が担う役割が、都会に比べて大きくなる。その役割を、それぞれが全うすれば、将来のない町にはならないのではないか、そう感じる日々である。

 例えば、こういった過疎地域や、いわゆる田舎では『しがらみ』という言葉を頻繁に耳にする。『そんな大胆なことをすれば、どこどこのだれだれが反対する。そういった慣習だから。』というような文脈で、だ。しかし、僕は東京から来た『よそもの』である。『よそもの』は地の人に比べて、圧倒的に人間的な繋がりが弱い、これは、裏を返せば、『しがらみ』が無い、ということである。

 『固定観念』がないからこそ見えること、『しがらみ』がないからこそ、できること。
この二つをしっかり把握する必要がある。半年でそう感じた。

『よそもの』だからこそ見えること
 津和野なりの『固定観念』が無いと、いろんなことがクリアーに見える。例えば、役場内の体制。役場職員は今までの慣習通り、決まりきったことを淡々と行っているのであるが、僕の目にはそれが『消化試合を行っている』ように見える。また、町の人たち。二言目には『いや、確認した方がいい。もっと根回しをして、こうやらないと。』とか、『ほら、ここの事例はうまくいっている、これを真似してみればいいんじゃないか。』という声。僕の目にはそれが『時機逸失』や『思考放棄』に見える。これは、どちらの目が正しいというものではない。

 津和野視点と東京視点の折衷。臨機応変に田舎思考と都会思考を使い分けることで、初めてうまくいくのではないか。


『よそもの』だからこそできること
 『よそもの』には地の人には見えないものが見える。いや、見えてるものも違った見え方をする。把握する対象が変われば、それに対する取り組みも、アプローチも変わる。ここで、『よそもの』にしかできないことが発生する。例えば、町内の大物。町内だれもが、関わりたくないと思うような人物。そのような人物に対しても、気兼ねなく、歯に衣着せぬ物言いができる。いわば、町の人に代わって、泥をかぶることができる。『あいつはまぁ、よそものだからね。仕方がない」と言って、大目に見てくれることがある。この、『よそもの』ならではの特権を、町の人への利益還元に繋げることこそ、地域に入り込んで活動する中で気をつけないといけない部分であろう。

 ここでも、津和野の行動様式と、都会の行動様式の折衷が求められる。ある意味、町の人にしたたかに使ってもらうことが大事なのである。


『よそもの』は『よそもの』でしかない
 どれだけ津和野のことを"アツい"想いをもって考えても。どれだけ津和野のために日々粉骨砕身して取り組んでいても、『自分はよそものだ』という意識をなくしてしまってはいけない。

 『自分はよそものだけど、大好きな津和野のために意見する、ちょっとお邪魔します』という、ある意味での謙虚さがなくなってしまうと、それは傲慢と形容されるものになるであろう。完全に外部でもなく、完全に地元民でもない、少し浮いたポジションだからこそ、外の視点と中の視点とのハブになることができる。田舎に足りていないのは、外の視点ではない。外の視点は、行政コンサルや大学教授などが、嫌ほどもたらしてくれる。必要なのは、この外の視点と中の視点とを二つながら持ち合わせ、それらを接続すること。

 町に入り込んで、地元の人々と信頼関係を築いていく一方で、外部との人脈をつくり、外部資源をどんどん津和野の文脈にアレンジして、流入させていく。『よそもの』として、地元の人々の想い、願い、夢を受け止め、『よそもの』だからもっている外部とのコネクションを活用して、地元の人々の想いを実現していく。この感覚を忘れてはいけない、そう感じる日々である。


『そと』と『なか』との接続~"大学生"がいない現実って意外と大きい!
 実際にどんなことを行ったかを例示しておく。取り組みを把握するための前提として、津和野町には大学生がいない、ということを覚えておいていただきたい。この『大学生がいない』という事実はあらゆる場面で津和野町の欠点として作用する。例えば、高校生や中学生にとって、ちょっと年上のロールモデルが存在しないということ。

 みなさんも経験があると思うが、高校時代に大学生の先輩の話を聞くことで、将来やりたいこと、進路などを決める際にとても参考になることがあったと思う。それが、津和野町では起こりえない。そこに問題意識をもち、都会から大学生を呼んだ。十数名の大学生が、大阪、京都、東京、神奈川、広島、山口、島根から集まって来てくれ、高校生と『夢』について真剣に語り合った。

 高校生にとっては、年の近いロールモデルと出逢う絶好の機会であり、『夢』に向けての志を育み、学習の動機付けを行うための機会となった。では、大学生にとっては何の意味があったのか。

 一つに、津和野のような中山間地域の現状を肌で感じる機会になる。私がガイドをして町中を歩き、関係者と会合をセッティングし、町を『観光』以外の視点で観察することで、新たな見地を得ることができる。

 二つ目は、地元ならではの素敵なスポットに案内できるので、観光という側面から考えても、中身のある観光になる。

 そして、三つ目は、自分自身を活かせる場所を得ることができる。『大学生』という存在自体がすでに『必要とされるもの』であるので、特殊な技能や、知識はいらない。『あなた』という存在そのものが必要とされている場所で、活躍できるのである。

 あくまで、小さな取り組みではあったが、その後多方面から反響があり、現在、大分の短期大学、島根の学生有志団体、東京の学生団体と連携して、来年度以降の取り組みを組み立てている。


組織を動かす
 しかし、どれだけ個人レベルでの哲学を持っていようが、大きな組織を動かさないと成り立たないことも多く存在する。例えば、今わたしが取り組んでいる県立津和野高校の魅力化について考えると、まず津和野高校があり、県教育委員会があり、同窓会・後援会組織があり、町長がいて、役場内の課があり、町の教育委員会がある。それらすべての人間にまず提案をし、修正などの調整を行い、最終的に案を実行するまでに、かなりの労力を要する。時には、最後の最後で、すべて覆される形で取り組みが実行できないということもあり、徒労感だけを自分自身が得た成果として取り組みを終えることもある。

 こうした徒労感は、時に鬱になるほど、自分を追い込むこともあるが、こういった社会の理不尽さを目の当たりにし、どうにかしてそれを打ち破ろうとすることで、自分自身が成長し、足腰を鍛えられ、粘り強くなってきてるんじゃないか、そう考えると、こういった理不尽さはむしろ歓迎すべきであると考えている。

 また、私は総務省の制度を活用して津和野町で活動しているが、総務省の官僚と会う機会などがあり、意見交換などを行うが、この制度そのものに対する彼らの姿勢に疑問を感じることもある。こういったことは、いくら崇高な哲学を持っていても、一人では解決できない問題である。

 私は、これからもより多くの人たちにInnovation For Japanの取り組みに参加して欲しいと感じているし、これは若者にとっても、自治体にとっても非常に効果のある取り組みであると感じている。そのために、私が感じたこと、考えていること、得たもの、鍛えられたもの、あらゆるものをたくさんの人と共有し、より大きなムーブメントを起こすことで、大きな組織の重い腰を上げさせたいと考えている。


自分の将来と、町の将来との重なる部分を見出す
 島根県津和野町に来て、もう半年の月日が過ぎた。ここから、半年、何をしていくか。どう成果をアウトプットするか。これが、今のミクロな視点での目標である。しかし、もっと大きな視野をもって自分の活動を捉えるならば、自分の将来と、町の将来とが重なる部分を見出し、そこに全力で取り組むことが大切である、と感じている。『自分が将来したいこと』という個人的な欲求を『町の将来の姿』という社会的で、より多くの人間の価値観が反映されているものに接続していく。

 ボランティアでも、社会事業でもなく、自分の夢を『わがまま』に実現しようと突き進む、ただし、その夢が町に接続するように、と意識しながら。この文章を読んでいる方々、一人ひとりに、住んでいる"まち"があり、関わる人々がいて、守りたいなにかがあるだろう。
それと同時に、漠然としながらも、どういったことがしたい、という想いがあるはずである。それらを、二つながら両睨みして、その二つの重なる部分へアプローチしていく。

 一人ひとりが、そういった生き方をするようになれば、日本もそう住み心地の悪い、夢の無い国にはならないはずである。

 夢に満ちた、そして、それらが実現する、歓び溢れる豊かな国にしたいと願い、津和野町という小さなフィールドで、これからも全力で取り組んでいく所存である。


プロフィール:
福井健
「フロンティア・フォーラム」寄稿:No.78「なぜ東京の若者が島根・津和野で、"町長付"ギャップイヤーなのか?!」 http://japangap.jp/essay/2012/07/post-27.html
ツイッター:@kenyamyam
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メールアドレス:ken.f.0423@gmail.com

団体HP:http://innovationforjapan.org/
ブログ:http://innovationforjapan-tsuwano.blogspot.jp/

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