代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「なぜ東京の若者が島根・津和野で、"町長付"ギャップイヤーなのか?!」 福井さん写真.jpg


※「続編」にあたる10月15日に更新した「島根県・津和野町長付 半年記~"よそもの"に何ができるか?!」はこちらです。
http://japangap.jp/essay/2012/10/post-30.html

福井健(ふくいけん)
国際基督教大学2年=一時退学中

※現在、島根県鹿足郡津和野町にて「町長付」として地域活性に取り組む。

 "点描画をルーペで拡大してみる。そこには、色彩鮮やかな絵の具の粒があった。
37,000,000分の1ではなく、8,300分の1で勝負する。
8,300のドットの中で、自分にしか出せない色を出す。"


自身3度目のギャップイヤー
 大阪生まれ、大阪育ちの私が初めて自分の意志で大阪の外へ飛び出したのは、高校入学前の春休み。一人でバックパックを背負ってタイへ行った。今まで知らなかった世界が、そこにはあった。タイでの感動が忘れられず、何も知らないところで生活してみたいという想いに駆られ、高校在学中に留学を決意し、高校を休学し1年間スウェーデンに留学した。初めてのギャップイヤーだ。その後、高校に留年復学し、同級生より1年遅れで大学を受験するも失敗。受験浪人する気も、実家にいる気もないと徳島県のホテルで働き始めた。結果的に、これが2度目のギャップイヤーとなる。就職して9ヶ月程過ぎた頃、ひょんなことから再び大学を目指すことになった。締め切り間近の決意で、国際基督教大学に出願し、ひと月程受験勉強し合格し、昨年2011年4月に入学した。そして2012年、やっとの想いで入学した大学を退学し、島根県鹿足郡津和野町で活動することを選んだ。3度目のギャップイヤーである。

 なぜ、大学を飛び出したのか。


本気で、社会を変える取り組み
 「50年後の日本を想像してみる」
 人口が1億人を下回り、若者が居ない超高齢社会。昔あった笑い声も消え、活気のあるコミュニティすらなくなり始めている色のない町。
 そう遠くない未来の日本の話である。
 同時に今の日本にも、この「50年後の日本」を象徴している地域がある。そのような地域で、大学生が本気で社会を変えるという取り組みを行おうとしているのが私が所属するInnovation For Japan(IFJ)である。IFJは、東京で意欲のある学生を募集し、彼らに「町長付」というポストを用意する、ただし、一年間休学して現地の役場で活動する、という条件付きで。私はこの制度を利用し、IFJの一期生として津和野町にやってきた。大学ではできない、"学び"のために。机の上、Macの中、本の1ページにはない、現場にしかない「何か」を求めて。

 しかし、なぜ、津和野なのか。なぜ、アフリカではなく、世界一周ではなく、政治家の秘書でもなく、田舎でのインターンシップを選んだのか。


大都市・東京vs山村・津和野
何千、何万という人間が街に溢れかえり、昼夜を問わず活動するまち、東京。
 かたや、駅前にすら人影が見えず、夜になると活動停止するまち、津和野。
たくさんのモノと人があふれかえり、望めば大抵のものは手に入れることができる東京から、好きなシャンプーさえ根気よく探さないと見つからない津和野町に来た。大学の友人は言う、「なんで、そんな何もないところへ行くの?」津和野町の町民にも言われる、「なんで、こんななんもないところへ来たんじゃ?」

「なにもない?そうじゃない。東京にあるものはないだけだ」


人の顔が見える感
確かに津和野町にはディズニーランドはない。デパ地下もないし、電車もあんまり走っていない。渋谷で日常の風景である"クラブ"なんてもちろんないし、コーヒーショップすらない。しかし、東京にあるもののうちで、津和野にないものを数え上げたところで、それは「津和野には何もない」という証明にはならない。津和野は、もっと言えば過疎が進む中山間地域は、本当に何もないところなのか。

 この問いに対する答えを、津和野で活動する3ヶ月程で見つけた。
「津和野には"人"がいる。"想い"がある。」
もちろん東京(首都圏)にも人はいるし、たくさんの想いがある。ただ、それらは、3700万分の1の一人であったり、37,000,000分の一つの想いであるのため、一つ一つと密に向き合うことが難しい。津和野の場合、それが8300分の1なのである。東京とは圧倒的に濃度が違う。

 人口が少ない故に、一人の人間が関わる他人との関係が密になる。これは、人口が少ないことの大きなメリットであると、私は感じている。一人の人間の発言、行動、感性、すなわち一人の人間の生き様が社会を変えていける規模のまち。一人ひとりの顔が見えるそんなまちの中で生きていきたい、そこで自分の能力を発揮したい、そう考え、大学を飛び出し、山陰の津和野に来たのである。


「若造になにができるんだ」
 津和野に来て、幾度となく言われた言葉がある、「若造になにができるんだ」という言葉。ごもっともな意見である。専門家でもなければ、大学すら卒業していない人間に、地域を活性化することができるのか、という疑問を抱くことは至極真っ当である。しかし、実は勝負は既についている。「若造になにができるんだ」と町民の方々に思わせた時点で、地域活性の第一歩が踏み出されたのである。「こんな若造に任せられるか」と町民が結束して奮起し、主体的にまちづくりに参画するようになれば、そしてまちの将来について真剣に考えるようになれば、"将来のないまち"になるはずがない。
 「津和野町町長付」という重い肩書を背負って、「よし、でかいことやってやろう」という姿勢で、まちの課題に対する答えを出すようではいけない。まちを作るのは、東京の学生ではない。そこに住む一人ひとりがつくるのである。
 自分自身が触媒なり起爆剤となり、議論の種となり、答えにたどり着くための手がかりとなる。最初から答えを求めるなら専門のコンサルに依頼する方が、大学生を呼ぶよりよっぽど早いしましだろう。「若いからこそできること」「若いからできないこと」をしっかりわきまえて、一人の町民として活動していくことが、本当の地域活性に繋がるのではないか、と感じている。


「当たり前」や「常識」に捉われない生き方
 私は3700万人の中で大学を卒業し、レールに敷かれた"就活"をして就職するよりも、8300人の中で自ら道を切り開いていくことを選んだ。一人ひとりと密接に関わる場所だからこそ、自分の哲学も試せる。多くの人がギャップイヤーや多様な生き方をし始めている時代。このフォーラムの投稿に憧れて、他人の真似をしているようでは、本当に「フロンティア」の中で生きているとは言えない時代になってきたのではないか。多様化する価値観、生き方、働き方のなかで、"自分はこれだ"というものを持って突き進んでいく。

 たとえ選んだ道が茨(いばら)の道であっても、茨にはほのかに香る小さな花も咲いている。
 一人ひとりが思い切って、「当たり前」や「常識」に捉われず、自分の人生を歩む。そんな地域を、まちを、日本を作るため地に足の付いた小さな職務を、津和野町で全うする。今の想いはそこにある。


プロフィール
福井健
ツイッター:@kenyamyam
Facebook:Ken Fukui
スカイプ:ken.gekko
メールアドレス:ken.f.0423@gmail.com
団体HP:http://innovationforjapan.org/
ブログ:http://innovationforjapan-tsuwano.blogspot.jp/


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