代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「なぜ旅をするのだろうか。なぜ僕は旅に出たのだろうか~1年間のアジア、アフリカ放浪を終えて」0306j青木伴晃さんgap エッセイ用写真.jpg


青木伴晃
(筑波大学国際総合学類3年休学中) 

■So......Why wander?
 「なぜ旅をするのか?」この問いは常につきまとっていた。日本を出るまでにいろいろなプロセスを経た僕にとってこの問題は常にあったし、それに海外で新しく知り合う人には必ずと言っていいほど聞かれた質問でもあった。「一体全体なんで君みたいのがこんなところにいるのか」、「何のために旅をしているのか」そんなことを言われ続けてきた。大学を1年間休学して旅に出ることを決断した時、自分の中にはそもそもシンプルな感情があった。

 「世界を見てこよう」それだけだった。そんなシンプルな感情が自分を資金集めに駆り立てていた。何よりそうして僕は日本を無事に出発することができ、アジア、アフリカを中心とする12カ国を1年間めいっぱい旅をすることができたわけだ。日本では1年間大学を休学して旅に出るなんていう人は大勢いる。今しかできないと思うことに一生懸命に取り組むことは素敵だし、それに何より自分自身がその真っ只中にいた。でも、それでもいつだって付きまとっていた。

「なぜ旅をしているのか」

そしてそんな質問は自分が自分自身に対して、ずっと語りかけてきたものでもあった。


■自分に偽りのない旅
 「目的のある旅をしよう」"なぜ"に対しての自分なりの答えだった。旅に目的を持たせてあげて、それを達成することで旅に意味を見出そうとしていた。だから何か目的を無理矢理探した。行くところ行くところでこの目的を果たそう。そういうふうに思っていた。でもしばらくして気が付いた。「目的を持つ」って一体何なんだ?自分の中でそのことが空虚に響いた。自分の中で、そういうことをすることが自分に対しての偽りにしかなっていないことに気がついた。そして自分自身の思う"なぜ"という問いにあまりにも短絡的に答えを出してしまったことにも気がついた。そしてそう考えているうちに、結局はその「目的」っていう自分の所有物に自分自身が縛られていると感じた。

 もし、そのことが本当に心の底からやりたいことだったなら、「旅」を手段にその「目的」を果たせばいいだろう。いろんな目的を持って旅をしている人はいるし、それは素敵なことだと思う。でも俺は違う。「自由」の意味を真剣に考えた。これからどうやって生きていくのか。そういうことを生まれて初めて真剣に考えた。その結果ただただ放浪をしていたにすぎない。観光にも土産巡りにもネット社会にも興味がなくなった。歩き旅を続ける日々、自転車旅を続ける日々、ヒッチハイク旅を続ける日々、自分のことを誰も知らない地での地域コミュニティ内での日々、言語が通じない地での日々の中に、ただ自分の身を置いたりした。そして結局はそんな日々に価値や意味を見出して思ったこと、感じたことを記し続けるといった日々を過ごしていたにすぎない。


■1つの物語
 日本を出て、世界ではいろんな経験ができた。誰かと一緒にいることも多かったから、心の底から楽しかったことはもちろん、でも辛くしんどい思いをしたこともたくさんあった。そんな笑って泣いての繰り返し。異なる価値観のなかで生きるということの大変さ。驚嘆にはじまり、孤独そして屈辱、涙まで。いろいろな世界で生きる意味も知ったような気がする。歩きやヒッチハイクで旅をしていた時は、果てしない時間や孤独を前にしていろいろなことを深く真剣に考えた。この1年間は思い返せば、本当にいろいろなことがあった。

 しかし、最後に予定していた国フィジーを目の前にして、日本に帰ることを決めた。チケットも買った後だった。一度渡航経験があり、どうしても行きたいと思い続けていた国ではあったが、日本に帰ることにしたのだ。なぜかと言うと、それは"今"というこの時期にやりたいことが見定まったから。自分を深く見つめて何度も何度も考えてきた結果そういう結論に至った。もうこれ以上の放浪は必要ない、今は旅を追求するより自分の故郷"日本"でやりたいことをしたい。だから今は日本に帰る。"目的"を見出しきれなかったものに対して、今度は"目的"をもって旅をやめることにした。新しい生き方へ自分を大きくシフトさせる時、これまでの自分は姿を消したようにも思えた。
 
 旅は例えるなら、新たな自分の"序章から最終章"。日本を出発して新たな世界へ飛び出していった時に新しい自分が生まれ、いろんな経験をして、そして今度は"目的"をもってその旅というある意味1つの物語、旅に出た20歳の時を終えることにした。


■旅を終えて―なぜ旅をするのか―
 "原体験"という言葉がある。旅に出た1年間はまさしく自分にとってのそれだった。今となっては自分の生きたい方向がシフトしているが、20歳の時のその1年間というのは21歳になった今も自分の中で生きている。すでに終えた物語ではあるけど、その時の自分がモチベーションとなって今の自分を突き動かしている。きっと今の自分は旅を元にした20歳の頃の自分によって作られてるから。
でも思う。
「あてもないこと」はやっぱり好きだ。
またいつか、旅に駆り立てられる日が来ることは間違いないと思っている。そうしたらその時はその時だ。そうしたらその時にまた考えればいい。今は今のことだけしっかり考えて、自分にできることをしっかりやるだけだ。

ところで「なぜ旅をするのか」

 そんなことは「なぜ生きるのか」ということと同義のように思えた。「なぜ歩いて旅をしているのか」「なぜ自転車で旅をしているのか」とかも同様だ。いろいろ考え続けても1年間、旅をしただけでは月並みな答えしか出せない。そんなことはこの先もずっとつきまとう問いなのだろうと思う。だから僕はまた旅に出ることになるだろう。ただ簡単なことを言うなら"好きだから"旅をしていた。新しく待ち受けている何か、今後考えていかなければいけなくなる何かに対して常にオープンでいた。そしてただ楽しんでいただけでもある。ただ楽しみたくて、僕はまた旅に出る。旅そのものについて答えは出せないものだが、旅に出始めるということはシンプルなものであっていい。

 自分の旅を生きた人にしか自分の旅の深いところは分からない。だから、どんな旅がいいかの優劣なんてつけられるものではないと思う。自分自身の旅ができるように、旅に出ることをためらっている人には、旅に出ることができるように、後押ししたいと思う。是非旅に出てみてください!

 最後にギャップイヤーをすることを決断するきっかけとなった文章も添付させていただきたいと思います。「海を見る自由」「立ち止まる自由」を得るために大学に行くものだとお話された立教新座高等学校の校長先生の言葉です。
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。


プロフィール:
青木伴晃(Tomoaki Aoki)
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