代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「ギャップイヤー~自分に"やすり"をかける時間」


木許裕介 Yusuke KIMOTO
(東京大学教養学部4年)


 僕が大学で休学を経験したのは、震災直後の2011年の4月からの1年で、「ギャップイヤー」という言葉が日本に広まり始める直前のことでした。ただでさえ浪人しているのにさらに休学をする、というと色々な方々に心配もされましたが、二人の師との出会いから、今この時間を取らないと一生後悔するだろうという予感に突き動かされて休学を決意しました。

 そして1年間の間に、指揮者・村方千之先生のもとで集中的に指揮を習い、ベートーヴェンの交響曲を一番から順にじっくりと教わる日々を過ごすことになりました。どのレッスンも忘れ難いものでしたが、とりわけ第三番「英雄」を教わった時のことは強烈に記憶に焼き付いています。87歳の師の身体から物凄い気迫と生命力が湧き上がり、棒の一閃で音楽が劇的に姿を変えて行く!指揮という芸術の凄みに絶句するほかありませんでした。

 同時に、ジャーナリストの立花隆先生のもとで助手として様々な講演会に同行させて頂いていました。日本の画家である香月泰男に関する講演会で山口までご一緒させて頂き、香月泰男美術館の館長室で深夜まで資料と格闘したことは忘れられない思い出です。香月泰男のシベリア・シリーズと呼ばれる一連の絵画(たとえば「渚 <ナホトカ>」)に出会った時の衝撃は言葉に出来ません。こうして感性と知性の二人の師のもと、ひたすら楽譜を読み、棒を振り、本を読み、文を書く日々を送っていました。

 復学してからは、19世紀のフランス文化史を専攻して卒業論文の執筆に力を注いでいました。僕が所属している教養学部地域文化研究学科フランス分科は、(大学の中でも他にあまり例がないと思いますが)伝統的に卒業論文をフランス語で執筆することが義務づけられています。

 第二外国語でドイツ語を選択していた僕にとって、論文をフランス語で書く、ということは相当にハードで苦労しましたが、最終的には、「人工光に対する新しい感性の誕生 - 1855年から1900年におけるパリ万国博覧会が果たした役割 -」(注1)という62ページの論文を書き上げました。このテーマに至るには、休学中に「週刊読書人」という会社で書評を書かせて頂くうちに出会ったいくつかの本が大きなヒントになっていますので、休学期間が無ければ書くことの出来ないものでもありました。

 一方、こうした学業と並行しながら、指揮者としての活動をしています。自分で立ち上げたオーケストラ(ドミナント室内管弦楽団)以外も客演指揮という形で共演させて頂く機会も増え、アマチュアオーケストラからプロオーケストラ、音大生や芸大生で構成されるオーケストラ、そして都内の中学校の吹奏楽指導など、様々なオーケストラや吹奏楽団体とステージをご一緒させて頂く幸せに恵まれています。

 振り返って思うのは、休学していた1年間は、大学から飛び出して沢山の人に出会ったのみならず、孤独に考え・読み・書く時間でもあったということです。「彼(エリック・サティ)はそこで自分を軽石で磨き、自分に反撃し、自分に"やすり"をかけ、自分の繊細な力がもはや本源から流出するしかなくなるような小さな孔をきたえあげたのだった。」と書いたのはジャン・コクトーでしたが、そういうふうな「自分に"やすり"をかける時間」として、僕にとって無くてはならない1年間でした。

 中学・高校・大学・就職と間断なく流れて行く時間に楔を打って立ち止まり、一体自分には何が出来るのだろう、何を学びたいのだろう、とゆっくり問い直してみること。社会人でもない、普通の大学生でもないという宙ぶらりんの時間の中で、揺れに揺れてみること。それはカルロ・マリア・ジュリーニの言葉を借りれば「高邁な怠惰 ozio elevato」のような日々であり、ひとつ年齢を多く重ねることになる以上の価値を持つ豊かな日々であったと信じています。

 ギャップイヤーという制度や概念がこれから日本にどのように根付いていくのかはまだ分かりませんが、少なくとも、20代前半というエネルギーに溢れた時期にこうした空白の1年間を手にする事はとても贅沢なことで、生き方の可能性を大きく広げてくれるのではないでしょうか。


注1:La naissance d'une nouvelle sensibilité à la lumière artificielle : Le rôle des Expositions universelles de Paris 1855-1900)


<プロフィール>
木許裕介 Yusuke KIMOTO
村方千之氏に指揮法を師事し、ドミナント室内管弦楽団、クロワゼ・サロン・オーケストラ、アンサンブル・コモドなど、様々なオーケストラで指揮者を務める。2012年度はドミナント室内管弦楽団とオール・ベートーヴェン・プログラムによるコンサートを開催、またコマバ・メモリアル・チェロオーケストラと、ブラジル大使館の後援を得てヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ一番」などを指揮。過去にはプロコフィエフ「古典交響曲」ストラヴィンスキー「プルチネルラ」組曲など、古典から現代まで幅広いプログラムに取り組みつつ、吹奏楽指導や青少年のための音楽教室の指揮でも精力的に活動している。1年間の休学を経て、現在は東京大学教養学部4年次に所属。 2013年春より東京大学大学院総合文化研究科に進学し、19世紀末周辺の比較芸術を専門とする。

ツイッター: @Artificier_nuit
ブログ Nuit Blanche: http://kenbunden.net/wpmu/kbd_kimoto/
メール:y.kimoto[at]ut-dominant.org
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