代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「枠組みのなかに組み込まれるのではなく、ギャップイヤーで自分の人生を切り開ける人間になる!」岩瀬さん写真.jpg


岩瀬 僚 
USP-ESL(南フィリピン大学附属語学学校)勤務
 

 2011年、フィリピンの地に初めて足を着けた。
東南アジア特有のも"あっ"とした熱気、交通渋滞と過剰な人口密度、轟くバイク音。
スーツケースをころがし、フライト中に読んでいた沢木耕太郎の「深夜特急」を片手に空港を出た。就職活動もせず大学を卒業した後だった。

 大学卒業後、会社に所属することが当たり前の日本では新卒を捨てるのは圧倒的なリスクになる。それでも大学を離れてしまうと、大学にいた頃に比べると気持ちがとても楽になっていた。そこにはもうレールの上を進まなくてよい自由があった。自分は自らレールを降りた。

 

もともと子供の頃から海外での生活に憧れていた。
日本の硬直化された制度、保守的な感受性、周りの目や声を気にする抑圧的な人間関係。
そういったものが昔から嫌いだった。
それでも東南アジア、その中でもフィリピンで生活することになるとは思ってもいなかった。

  なぜフィリピンを選んだのだろう。後づけだけれど、それには理由がある。

 フィリピンには貧しさが残る途上国という面と経済発展する新興国という面がある。
大学時代からNGOでインターンやボランティアしていたことから東南アジアにおける貧困に関心を持っていた。また成長する新興国で働く経験を持ち、ビジネスチャンスを見つけて起業したいという思いもあった。

 ちょうどその頃、インターネットでのオンライン英会話が流行っていた。
講師はフィリピン人だという。その時にフィリピン人の英語のうまさと性格のフレンドリーさを知ることになり魅力を感じた。

 今更ながら、日本は"企業社会"として成り立っている。
「karoshi」「sabisuzangyo」はアルファベット表記となり世界的に知られている。
戦後、会社が従業員の人生をまるごと抱え込むことで社会保障を補ってきた。それを前提に"新卒"という枠がつくられている。人材コンサルタントの城繁幸氏や社会学者の本田由紀先生など、日本の企業形態への批判がいくらあたっていても、その枠組みはそう簡単には変わらない。日本社会において「ギャップ」というのは必要ないものであり、あるべきではないものでさえある。
しかし、制度や仕組みは永遠のものではない。どのみちいずれ形骸化し変わらざるをえなくなる。

 僕はは人生の中で「ギャップ」を取ることを決意した。

 また、海外に出ることは日本を外から眺めることにもなる。日本を外から客観視することで、日本の素晴らしいところもおかしいと思うところもより鮮明になって輪郭をなす。
それによって何を変えるべきで、何を残すべきなのか徐々に分かり始めてくる。

 フィリピン社会で「外国人」として生活することで見えてくるものもある。
海外で生活することはそういった利点がある。異文化への理解と寛容さが育まれる。

 現在は大学附属の語学学校でフィリピンへ留学に来る方のサポートをする仕事を行なっている。フィリピンへ留学に来るのは日本人だけでなく、韓国人や台湾人も多い。
韓国人も台湾人もよく勉強し、目標に向かって励んでいる。

 戦後日本の若者は「何でも見てやろう」「荒野を目指す」という気概で何もない焼け跡から現在の豊かな日本を作り上げていった。そういった先人たちを受け継ぐ自分たちもグローバル化の波を乗りこなすことができると思っている。

 そのためにも、枠組みのなかに組み込まれるのではなく、「ギャップ」を取って自分で自分の人生を切り開ける人間になる必要がある。

 ギャップイヤーの浸透で日本の企業社会や海外への飛翔を躊躇う学生のマインドが少しでも緩やかになることを願っている。

Twitter:@iwaseryo
Facebook: Ryo Iwase(岩瀬 僚)

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