【JGAP寄稿者短信 "拡大版"】 「気がつけば、インドネシアで就職!」
釜我 昌武
※インドネシア・バンドゥン在住
気が付けば、インドネシアで就職、なんですね。夢中になり過ぎていたので、自分のことを客観的に見ていませんでしたが。
ただ、インドネシアで就職と言っても、いわゆる日系企業の現地採用という形ではありません。私は、インドネシアのバンドゥンにある私立大学にて、電気電子工学を教える講師となりました。使用する言語は英語及びインドネシア語のみです。
正直言ってしまうと、日本人であることがほぼ意味をなさない形での就職になります。主たる業務においては、日本語を使うこともありませんし、日本人と関わることもありません。インドネシアの地方都市バンドゥンというフィールドで、インドネシア人を対象に、英語及びインドネシア語で電気電子工学を教えます。
もちろん、日本の慶應義塾大学のようなレベルの高い私立の総合大学ですので、大学内には日本語学科もありますし、今後は大学のプロモーションの一環で、日本の大学生の受け入れなどに携わるかもしれません。せっかくですので、授業以外にも様々なことにチャレンジしていくつもりです! ※ご興味のある方がいらっしゃいましたらご連絡ください
待遇ですが、現地で生活するには十分というところです。本社からの駐在はおろか、日系企業の現地採用にも遠く及びません。東京の大学生のアルバイトの方がよっぽど稼ぎが良いぐらいです。私の様な健康体でしたら、現地で一応生活費が赤字にはならない、といった程度です。貯金などは当然できません。航空券代は出ませんし、もし健康を害したら、100%赤字でしょう。
まあ、ですので、やっと私が大好きになってしまったインドネシアのバンドゥンで生活する下地が、ギリギリ整った、というところです。
こんな状況でも嬉しくて嬉しくてたまりません!!
・・・この道のり、長かったです。
とてつもなく長かったです。
バンドゥンでの日々は、毎日、毎日、全ての瞬間がとても濃く、30歳にもなって、1日1日がこんなにも長く感じるとは思わなかったほどでした。
120%フィーリングで、何が何でもこの街(=バンドゥン)に住みたい!と思い立って、全く勉強したことのなかったインドネシア語の語学学校に通いながら、ボランティアベースでありとあらゆることをやってきたこの1年間でした。全て手作りなので、当然、先は見えません。
「日々、こんな道楽みたいなことをしていてどうなるんだろう?」なんていう根源的な葛藤と戦いながらも、「しかし、動かないことにはどうしようもない」と自分に言い聞かせ続け、無我夢中になって、一人の人間としてできることを愚直にやり続けて参りました。
土光さんの
「立って歩いてみろよ、4畳半だろうと6畳だろうと、立って歩けば、壁にすぐぶつかる」
という言葉にどれだけ励まされたことかわかりません。
ネットワークもない。
当然、言語もわからない。
インドネシアやバンドゥンについての事前知識もない。
ない、ない、ない!何にもない!!
そんな状態からのスタートでしたから、何がバンドゥンで価値として受け入れられるのかなど全くわかりませんでした。言うまでもなく、何をやっても、思い通りに行かないことばかりで、何度も何度も壁にぶつかりました。
ボランティアで日本語を教える
当然、私だって人間なので、毎度毎度落ち込みます。悩みます。しかし、その都度、その都度、信頼できる現地の優しい仲間たちに支えられて、力を振り絞って壁をぶち破って、道を切り拓いてきました。そんなサバイバルで生きていく毎日、苦労は絶えない反面、心が震えるほど感動する瞬間も無数にありました。「私、こんなに心の底から笑ったことなんてあったかな」、と思うこともしばしばでした。バンドゥンでの全ての経験が、かけがえのない私の宝物です。
そんな大好きな街バンドゥンにより深くコミットできるチャンス!
素晴らしい時間と空間を共有できた仲間たちとまた一緒に何かを始められるチャンス!
これからいよいよ面白くなってくるかな、と思っています!
まだまだ死ねませんね!
やるぞ~~!!
~~~追記(2013年6月7日12時35分)~~~
私はインドネシアに住みたいのではなく、バンドゥンに住みたいと思っています。なので、正直なところ、このバンドゥンというのは、首都ジャカルタほどには大きな産業がないので、ここで暮らすためには、大学で講師になる以外にはほぼ選択肢がなかった、ということから始まった無謀な試みでした。
一番の大きな問題は、というか、私自身心が痛かった問題なのですが、バンドゥンという街は、インドネシア人にとっても非常に魅力的な街なのです。バンドゥンの人だけではなく、ジャカルタやそのほかの島から出てきたような人々にとっても憧れの街です。そこで、現地の優秀な大学および大学院を卒業したインドネシア人たち、もしくは、日本や他の先進国でPh.Dを取ってきたような凄まじく優秀なインドネシア人たちも、同じようにバンドゥンに住みたいと考える人が多く、バンドゥンにある大学で職を探すんですね。私はすでに様々な大学と関わりを持っていますが、本当に過当な競争のようです。だから、ある意味で、私は、そんな凄まじく優秀なインドネシア人たちの職を奪ったというのもまた真実なのです。
ですので、その分、私は頑張らなければなりません!
バンドゥンの人々に、「カマガがいてくれて、本当に良かった!」と言われるようになければなりません!
頑張りますよ!
プロフィール:
釜我 昌武
工学博士/1982年08月より、東京生まれ東京育ち/東工大、千葉大での研究に明け暮れる学生生活の後、2011年09月まで(株)東芝の中央研究所のパワーエレクトロニクス・パワー半導体の研究者/現在はインドネシアに身一つで飛び込んで、電気電子工学や日本語、あるいは日本人の考え方を教えながら、インドネシアのリアリティを通じて文化などを勉強中/健康こそ最強の武器をモットーに、「楽しく生きる」を実践中!/野ネズミになる!/"かってに海外協力隊" 副隊長/
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