「弱さとギャップイヤー~弱すぎるからこそ得られるものもある」
なむ@numu_86
ギャップイヤーという言葉がある。
人生の寄り道、みたいな意味で、一旦レールから降り、そこで非日常的な経験を積む。そこで得たものを日常に持ち帰り、その後の人生に活かす。といった感じ。若者や学生を対象にした言葉で、具体的には、大学生が休学して世界一周やボランティアに取り組むことを、意味するようだ。
一応、俺もギャップイヤー経験者かもしれない。
高校を中退し、17歳~19歳の時期は、どこにも属してなかった。完全にレールから外れていた。
留学したわけじゃないし、家に引きこもっていただけだが、正規のレールから外れていたという意味では、ギャップイヤーと言えるだろう。
引きこもっていただけ、と言ったが、文字通り何もしていなかったという訳ではない。
むしろ、必死に足掻いていた。外に出れるようになるために。人と会話が出来るようになるために。堂々と街を歩けるようになるために。必死だった。恥を掻きながら、もがいていた。
自己肯定感に関心を持っているのは、この頃の経験があるからだ。
自分なりに分析や反省を繰り返した結果、自分に自信を持てないことが全てのボトルネックになっていることに気付いた。
まともに人と話せず、飲食店に入るだけでビクついているような惨めな青春時代だったけど、あの頃の経験があったからこそ、自己肯定感の重要性に気付けた。自分に自信を持つことの大切さに、自覚的になれた。
『ガンパレード・マーチ』というテレビゲームのセリフに、「敵を見抜くことが出来るのは、『本当に強い者』と『弱すぎる者』だけだ」というものがある。うろ覚えだが、なぜか印象に残っている。(*1)
ギャップイヤーと称して、大学を休学して海外ボランティア、世界一周、ベンチャー企業でインターン、などをしている学生は、間違いなく「強者」だろう。そんなことに挑戦できる時点で「意識が高い」し、就活などのヒエラルキーでも上位層に位置していると言える。
対して俺は、圧倒的な弱者だった。インターンなんてやろうともしなかったし、海外に行くという発想もなかった。大学時代の俺の課題は、「キャンパス内で知り合いを見かけたら逃げずに声をかける」「ユニクロでビクつかずに服を買う」ということだった。弱すぎる。(*2)
でも、弱すぎたからこそ得られたものもある。
自己肯定感への関心だけでなく、今の自分の行動原理や価値観などは、あの頃に培われたものだと思う。
行動こそが全てであること、いくらマニュアルや解説書を読んでも実践しなければ何の意味も無いこと、批評だけしていても何も得られないこと、いろんな意味での「バランス感覚」が大事であること、きちんと順を追って考える必要があること、目標を立てそこから逆算して考えること......。
あまりにも弱すぎたからこそ、生きるために必死にならざるを得ず、その結果、自分なりに大切な経験や糧を得られた。
どうしても派手なことをする学生ばかりが持て囃されるし、それはそれでもちろんいいんだけど、それだけが「正解」ではない。低い位置で必死に足掻くからこそ得られるものも、たくさんある。
休学や退学をして引きこもることも、立派なギャップイヤーになり得るのだ。
*1:正確には、「我らに近づくということは、戦闘本能が強いか、あるいは極端に弱い人間なら出来る。なにが敵で、敵でないか、それを見分けるのは、強い生物と、弱すぎる生物なら出来る。」のようです。
*2:こんな俺でも就職できたのは、売り手市場のおかげ。リーマン・ショック前でよかった。
プロフィール:
なむ
フリーのライター、ウェブクリエイター。マイペースな働き方を目指し、悪戦苦闘中。ひきこもり/対人恐怖症/高校中退/うつ病/失業 いろいろ経験してきた。今は上々の人生。
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ブログ「正義と微笑」:http://d.hatena.ne.jp/numb_86/20130714/p1