代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「ギャップイヤーで数理能力は落ちるか?!~私的体験的考察」数学.jpg

三原惇太郎(東京工業大学 数学科)


 1年前、僕は大学を休学してアフリカを旅していて、その時の経験をもとにしてJGAPのフロンティア・フォーラムにエッセイを寄稿させていただいた(下記参照)。帰国してから10ヶ月が経ち、JGAPから「『ギャップイヤーが数理能力に及ぼす影響』というテーマに沿って、記事を書いて欲しい」との依頼を頂いたので、この文章を書いている。要するに、「1年も学校を離れて好きなことばかりやっていたら、頭が悪くなるのではないか?」という問題である。

 僕は今大学の数学科で数学を学んでいて、日々数学書を読んでは内容の理解に頭を悩ませている。数学の概念というものは非常に抽象的で、それを理解しようとするときの「頭の使い方」は日常生活における「頭の使い方」とはその性質においてだいぶ異なっている。だから、数学を理解するためには「数学用の頭の使い方」の訓練が必要であり、その訓練は数学を学ぶ過程で頭を悩ませることによってのみ可能となる。これは筋肉のトレーニングにも似ていて、例えば速く走れるようになるためには脚の筋肉量が必要で、その筋肉を鍛えるトレーニングというのは、やはりひたすら走って筋肉に負荷を与えるに限る。

 長期間走ることをしなければ速く走れなくなってしまうのと同様に、数学を考えることから長い間離れていれば、当然その能力も低下する。実際僕自身、1年間のギャップイヤー中は数学から離れていたため、大学に復学した時には「数理能力の低下」を実感した。数学を頭の中でイメージするときに、そのイメージが以前と比べて明瞭でなくなったような感じがして、やはり1年のブランクがあると頭は鈍るものだなと思った。もちろんそれは数学的思考のトレーニングを再開することですぐに元に戻ったが、「もしギャップイヤーを選択しなかったら今頃」と仮定した場合と比べれば、確かなビハインドがあると思う。従って、最初の問いに対する答えは「ギャップイヤーは数理能力にマイナスの影響を与える」だ。

 しかし「マイナスの大きさ」にフォーカスしてその影響を考えるとき、どのようなスケール(尺度)を採用しているのかというのは極めて重要である。ここで、このビハインドを複数の視点から観察してみたい。わかりやすいように、簡単なグラフを用意した(上グラフ参照)。僕自身が感じた「ビハインド」の度合いを表現してある。

まずグラフ1。ここでは「数理能力の成長幅」に着眼している。「1年間大学で数学を学んだ場合」と「1年間ギャップイヤーを選択した場合」とのあいだには歴然としたビハインドが認められるだろう。(もちろん実際に両方を経験した訳ではないので、これはあくまで「もしも」を仮定した結果である。)

次にグラフ2。時間経過に伴う、数理能力の変化を表現してみた。数学的思考のトレーニングを怠っている1年間のあいだ、当然数理能力の向上は認められず、グラフは横ばいとなっている。このグラフを見ていると、ギャップイヤーなどにうつつを抜かしていては、周りの学生たちにどんどん先を越されてしまうことがはっきりと分かるだろう。事実、そうであった。

 しかしグラフ3。今度は時間の軸に2、30年分のスパンを与えてみた。すると、どうであろうか。

 何事においても、"大局観"が肝要である。3つのグラフは三者三様に真実であるが、僕が自身のギャップイヤーを振り返る時に抱くイメージはグラフ3だ。もしもグラフ1ばかりにフォーカスした結果、ギャップイヤーを躊躇している人がいたら、ちょっと俯瞰視点に切り替えてみてはどうか。

こんな堅い議論なんて馬鹿馬鹿しくなるくらい、素敵な経験が待っている。


2013年1月21日付 JGAPフロンティア・フォーラム欄 No.103:「アフリカで感じた『日々を営む悦び』」(三原惇太郎さん、東京工業大学 数学科※当時コスタリカ滞在中)
http://japangap.jp/essay/2013/01/post-41.html 


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