代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「何気ない毎日を大切に」~無謀にも海外に山我拓也さん写真.jpg

山我拓也(流通経済大学 4年目休学中@豪州) 
 

東日本大震災
 家ですさまじい光景のニュースを見て、ボランティアに行こうと決めた。"万が一"、ということもあるからすぐに踏み出したわけではない。私が「被災地」とされる場所に立ったのは、それは数か月も先の話だった。

 私自身、小学校からバスケをしていて正直バスケ以外の世界を見たことがない。しかし、なぜバスケしかしてこなかった人間が、違う世界に踏み出そうとしたのか。それは「新潟県出身」であり「大学生」だからということ。それは何を指すの?と思うのは普通だ。それに関連してくるものは「中越地震」。中越地震が起こった当時、私は中学生だった。当時のことは全く覚えていない。だって新潟県って広くて、私自身は全然被害がなかったから。それに私は中学生。バスケ少年だったしそんな社会の事なんて興味はなかった。

 でも覚えていることが1つだけあった。「全国各地、いや全世界から新潟県のために支援をしてくれている人がいる」ということだ。
 だから私は新潟県民として、「恩返し」がしたかった。そして自分が大学生で誰よりも、自由が効く人間だったからだ。


そこで何を見て、何を感じたのか
 私は大学を休んだり、春休みを活用したりして合計4か月間ボランティアに携わった。途中からはボランティアを受け入れる側の人間としても動き続けた。

 その4か月、生々しい話を多く聞かされ沈みかけたこともある。それと同時に、日々光が差し込む石巻市をみるのが気持ちよかった。その4か月内である女性から深い話を聞いた。それは、かいつまんで言うと「自分たちは神様に生かされたのだ」ということだ(「自分を探すな(いろは出版)」参照)。その話を聞き、「いま、生きていること」の大切さを気付かされた。

 そう、3月11日に命を奪われた人は、いきなり命を奪われるなんて1日前までは、いや数分前までは想像もしてなかっただろう。そんな世界を今の自分たちも生きている。だから「何気ない日々を精一杯に生きろ」と。


茨城県北条地区竜巻被害
 2012年4月、ボランティア団体のLL(リーダーリーダー)を卒業して何気ない大学生活に戻った。と思いきや、大学のある茨城県内で竜巻。それもかなりの被害。冒頭に書いたように、東日本大震災の時はなかなか踏み出せなかった。それを自分自身の中で後悔していたのか、翌日には北条地区でボランティアをしていた。「自分変わったな」って思う。


「何気ない毎日を大切にしろ」と言いつつ海外?!
 今度こそ何気ない大学生に戻ったぞ。よし・・・・。教師を目指して勉強しなきゃ。と思う中、「このままでいいのかな。」と思った。頭に浮かんだこと「海外に行って海外の学校の制度を見よう」え?なんで?いきなり。その時の勢いから浮かんだことだ。親からは「あと1年なのだから、卒業してからにすれば?」と。でも今じゃなきゃいけない理由ができていた。「卒業したら、教員採用試験に落ちていたとしても講師として採用される。そしたら講師とはいえ教師。そうなると、自分が目指していたものを投げてまで海外に行きたいとは思わないだろう」と、今考えれば「それだけの気持ちなの?」って思われてもしょうがない。でも本気でそう思った。


イングリッシュ?オーケイ?・・・・ノー。
 親を説得し、大学からも休学をもらった。でもある不安が。「イングリッシュ」。私は高校時代とことん英語は赤点。大学では英語なんてやってない。喋れるわけがない。でも気付けばそこはオーストラリアの地に立っているじゃないか。

 英語のしゃべれない私がオーストラリアで何をするのか。小学校の日本語の授業の先生のアシスタントだ。今は3つの小学校と、1つの日本語学校でボランティアをしている。週6で仕事、じゃなくて「ボランティア」を。英語はしゃべれないから会話なんてできない、何を言っているかもわからない。それが現状だ。


言葉?それって大事なの?
 今ここにいて思うこと、「言葉がすべてじゃない」。先ほども述べたように全く英語が話せない。話せたらもっといろいろなものが見えてくることも事実。でも言葉を交わすだけがすべてじゃないと思うようになっていた。災害ボランティアでは被災者とされる方たちは「言葉」を求めていたわけじゃない。隣にいる温かさとぬくもり、そして人としての信頼、繋がりだ。

 それは言葉を通して作り上げるものなのでは?と思うだろう。でも今の私の経験からしてそうじゃないと思えるようになった。喋れなくても、日々そこにいることに意味がある。日々一緒に一生懸命に生きることに意味がある。それが言葉以上の大切なものなのじゃないかと今思えるようになった。それは自分自身の中にある常識がひっくり返ったような現実でもある。

踏み出してみたことで、世界が変わる。

プロフィール:
フェイスブック:山我拓也(takuya yamaga)
ツイッター:@takuyamaga
参考図書:「自分を探すな」(いろは出版)

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