代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「高校3年生、今、自分らしさを求めて~私のギャップイヤー計画」阿部愛里さん写真.jpg


阿部愛里(宮城県気仙沼西高校 3年) 


「これまでの私」
 私は4歳の頃から和太鼓を習っています。

「頑張れば夢は叶うんだ!」
 いつも理想を話す監督の元、育てられた私たちは小学6年生で全国大会を優勝しました。その後、ベトナム公演、上海万博公演、北京公演の3つの海外公演を私はキャプテンとしてチームを引っ張りました。「これは全て私の実力!」なんてことは微塵もなく、ただただ素晴らしい仲間に恵まれ、運が良かっただけです。ベトナム公演で出会った、ベトナム戦争の枯葉剤の影響を受けた子どもたちとの交流で、私は大きな夢を持ちます。

『和太鼓を使った国際協力をしよう!そして、太鼓で世界を回ろう!』
親も周りもそれを全力で応援してくれていました。「この子はプロの太鼓奏者になるんだ」そう思い込まれて育てられたから、私にとってその道はベンチャーでも何でもない、自分の進むべき道だと感じていました。


「全てをひっくり返すほど衝撃的な出来事」
 私を変えて、私のふるさとを変えてしまった東日本大震災。
震災が起きたのは中学3年、卒業式前日でした。ワクワクしていた高校生活も、その影響で5月中旬スタート。それまでは瓦礫の山の中で暮らしていたから、ホッとできる時はあまりなく、いつも何かと戦っているような感覚でした。いざ、高校生活が始まっても太鼓道場は練習を自粛していましたから、家と学校の往復の単調な毎日に、太鼓という外の刺激を受けていた私にとっては息苦しくて仕方なかった期間でした。

「退屈な毎日を変えたい」
 高校2年生になって、そんな退屈な毎日を変えたいと、"勢い"でアメリカ短期留学に応募しました。勢いだけで受かって、夏休みの3週間をカリフォルニア大学で過ごしました。そこでの私は何かが弾けたかのように、熱心に人の話を聞いて、色んな人に話しかけ、毎日大きなピザを頬張って、心身共に自分を成長させていました。

 そこで「面白いことをしたら人はついてくるよ!」と言われた言葉に共感し、"地元"というフィールドで面白いことをしようと決意しました。帰国したその翌日から町案内の予定が入っていた私は、観光客と共に市場の周りを案内していました。

 「ここが市場です!あっちが観光施設でまだ復旧の目処は立っていません」・・・「あれっ?」って、私は気付いてしまったんです。復興の手が観光に回されていなかったことに。

 "高校生が楽しく話し合いながら観光を盛り上げていこう!"と、私は2012年9月に高校生有志団体「底上げYouth」を幼馴染と無理やり引っ張ってきた後輩や友達7人で結成しました。私の故郷、宮城県気仙沼市の観客数は震災前後で260万人から43万人に激減していました。私たちは震災をアピールするのではなく、震災があっても残ったものをアピールしようと「気仙沼恋人スポット」という観光リーフレットを作りました。このリーフレットはVol.1、Vol.2とシリーズ化していて、現在では総発行部数8600部。さらにこの活動に共感してくれた地元のお寺の方が、縁結びのお地蔵様をつくってくれるなど、多くの反響を呼んでいます!


「出会いが私を変えていった」
 3年生になってもこの活動を継続してきた私は、太鼓よりも「底上げYouth」の活動に力を注いでいました。その大きなポイントは沢山の人との出会いでした。毎週来てくれる大学生のボランティアとの出会いや、今の社会をよくしていこうと立ち上がるカッコいい大人達との出会い、それまで私の見ていた世界は小さかったと痛感し、「こんな生き方したってよいんだ!」と許される世界を知ってしまいました。それは、私の中のレールが大きく路線を「大学進学」へ変わろうとしていました。

 自分の周りの友達が進路決定をしていく中で、私はいきなり親に「大学に進学したい!」と切り出しました。しかし、返ってきた答えは「NO」でした。それは経済的な理由からで、震災で仕事を失ったため新しく就いた仕事は、以前の仕事よりも収入が低かったからです。納得がいかないまま、私はプロの太鼓奏者になることを半分強いられるような形で選択しようとしていました。


「高校3年生、今、自分と向き合って」
 そんな中の2013年8月、私の父がガンで亡くなりました。

 父は好きなことを思いっきりやる人で、子どもの夢を叶えるような活動をずっと続けてゼロから色んなことを生み出し、多くの人を巻き込んで生きていました。そんな父が突然亡くなり、初めて「死」を自分のこととして受け留めました。私は直感で「今は太鼓じゃない」と結論を出し、そして、自分が本当に何をしたいかを考え始めました。考えていくと私は太鼓でどうやって国際協力をするのかと自分の"欲"だけが先行し、実は何も知らなかったことに気付きました。

 「私はもっと知る必要がある。そして、まずは足元からだ。自分の地元をよくできなくて、国際協力で世界をよくするなんてできるはずがない。やっぱり納得いくまで地元をよくしたい」と確信を持ちつつも、「大学進学が無理で、普通に就職はしたくない、太鼓もなんか違う...」もうどうしたらいいのか分からなくなっていました。

 昨年暮れに、ある社会起業家の方とお話する機会がありました。「お金は何とかなる。もっと自分を大切にした方がいいよ」そう言われて、「お金は言い訳にならない」と大きなことを学び、私は自分らしい生き方をすることにしました。


「私のこれから」
 私はこれから1年間ギャップイヤーを取って、それから大学に進学しようと思っています。
私が今一番ワクワクすることはやっぱり「底上げYouth」の活動です。立ち上げてから1年頑張ってきましたが、今のこの状況に決して満足していません。私がやりたいと思ったことはまだ納得いく形になっていないからです。「私たちの姿を原動力に大人を動かしたい。そして、気仙沼の観光をもっと盛り上げたい!」まだまだやれることは確実にあります。

 ユースが考えたアイディアを実現するためのマネジメント、日本中どこを探しても気仙沼にしかない観光ツアーを継続して行い、自分の目指すものを納得いくまでやり続けます。気仙沼の観光は、今できていないだけで、組み合わせやアピール次第で"日本一の観光地"と呼ばれるようになると思います。それを高校生が創り実現し、ユースを卒業しても継続していく。これを想像するだけで私はワクワクしています。

 「もう好きにしなさい。私は何もできないし、何もしないし、やれるだけやってみなさい」――母親の言葉でした。

給付型の大学奨学金の可能性を調べ、それへの期待も加え、なんとか母を説得して、私は1年間ギャップイヤーをしながら、大学を目指すことになりました。大学入試に備えるため4月から関東に出て、働いてお金を少しでも貯めつつ、色んな人と出会いながら気仙沼の理想の姿を実現させる術(すべ)を学んでいこうと思っています。これからの私は綱渡り。下を見ないで常に前を向いて、自分を信じて進んでいくだけです。そして、自分らしさをずっと求めていきたいと思います。

 私が夢を叶える姿を見たいと思ってくれる人は必ずどこかにいると信じています――そして、そんな人たちへ。

「私が死ぬまで私から目を離さないで!」

これが今、私が考えていることすべてです。

プロフィール:
阿部愛里
Facebook: https://www.facebook.com/nonpock
Twitter:@Airi_abe

「底上げYouth」 ※高校生が「食」「お祭り」「恋人」とのテーマで、観光振興戦略を練っている。
Facebook:https://www.facebook.com/sokoageyouth

※JGAPからのお知らせ
留学や進路、生き方やキャリアを一緒に議論しましょう!
1/15(水)18時~ JGAPエッセイ"フロンティア・フォーラム欄"オフ会 「米国・ブラウン大学 小谷篤信さんを囲む会」http://japangap.jp/info/2014/01/11518jgap.html

JGAPが「翻訳・広報(編集企画、校正等)」の2部門で、ボランティア・プロボノ募集!(2014年1月16日締切)http://japangap.jp/info/2013/12/1031.html

フロンティア・フォーラム欄の150の記事リスト(右ナビ):
http://japangap.jp/essay/

記事一覧

フロンティア・フォーラムトップページへ戻る

アーカイブ