代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

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岩城 義之
チェンマイ大学 社会科学部修士課程 
メコン地域持続的開発研究所所属

はじめに
 現在チェンマイの大学に籍を置き、ラオス北部の古都ルアンパバーンをフィールドに社会学的見地から日本人バックパッカーの研究を行っています。ルアンパバーンと言えば1995年に世界遺産の街として脚光を浴びて以来、New York Times誌"Places to Go"のランキングでトップになるなど、今や30万人もの観光客を引きつける東南アジアの代表的観光スポットとして脚光を浴びつつあります。

 日本人観光客も毎年1万人前後が訪れており、国別順位でも10位以内には常に入っているほどです。正式な統計はないのですが、現場での参与観察から判断すると、その半数近くは独力旅行者いわゆるバックパッカー的旅の実践者であると見受けられます。その証拠に、南北2km、東西500mほどの小さな空間にゲストハウス、旅行代理店、屋台、ネットカフェ、レンタルバイク屋、雑貨屋、マッサージ店など個人旅行者のニーズを満たすものがひしめき合っているのです。このようにコンパクトな街の構造に加え、ほぼ毎日日本人バックパッカーと出会うことができ、さらに山と川に囲まれた穏やかな環境も手伝って、ゆったりとスムーズに聞き取り調査を進めることができました。

 最終的に、ルアンパバーンをベースに55名の日本人バックパッカーの方々から話を伺う機会を得ました。老若男女、学生・社会人・離職者・ニート、短・中・長期の旅、一ヶ国集中型・アジア周遊型・世界一周の旅、リピーター、セクシャルマイノリティ、弱視・ガン・持病を抱えている方、ワーホリ帰りの寄り道、アフィリエイトやFXで生計を立てながらの旅、自転車・バイクの旅、ハネムーンバックパッカー...と実に様々なバックグランド、パターンで旅している方たちでした。このルアンパバーンにおける日本人バックパッカーという小さなクラスタを切り取るだけでも多様な日本人像を窺い知れた事実は、大きな成果だと思っています。


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多様なバックパッカーが交錯する街  ラオス・ルアンパバーン



日本人バックパッカーの背景
 そもそもバックパッカーとはどういう人たちを指して言うのか?具体的に描写し定義することは難しいと言えますが、その背景を日本の文脈に平行させ俯瞰してみたいと思います。

 バックパックの旅はかつてのヒッピー文化に源流があるとされますが、反社会的行動の象徴としてのアウトローな姿ではなく、近代化や工業化が進む中で経済至上主義のもと一方的開発や集団的発展、価値観の偏向化に疑問を持つ者たちの国家や社会に対する示威的実践のあらわれとして登場してきたと言えます。
 その中で、「リアルな世界」と「ホンモノの価値観」を求めた行動結果として、新たな旅の文化が醸成されてきました。この目的を体現するために、人の一方的かつ集団的流れを生み出すマスツーリズムという従来の因習を脱し、そのカウンターカルチャーとしてより個に根ざした自由でグローバルな旅の形態であるバックパックが誕生したのです。

 日本において、そのマイルストーンとなるのが『地球の歩き方』の創刊であり、この自由旅行者のバイブル的ガイド本が出版された1979年頃を日本人バックパッカーの黎明期と位置づけることができるでしょう。国家という枠組みを外れ海外各地を、経済活動に従事せず貧乏旅行を実践するというバックパックの旅が若者の共感を生み徐々に大衆化されていったのです。
 社会背景に視線を移すと、1979年は若者を外界から隔絶し個の世界に引き込むソニーのウォークマンが発売され、日本だけでなく世界に向かって生きて行こうというメッセージが込められた『銀河鉄道999』がリリースされ、今や数々の作品がグローバルに越境する村上春樹氏が作家デビューを果たした年でもあります。個という価値観が受け入れられ世界への飛躍希望を予期させる時代に、日本の若者たちも自分の力で海外に旅立つようになったのです。

 余談ですが、ツーリズム研究の権威であるイスラエルの社会学者・人類学者であるエリック・コーヘンはまだバックパッカーという言葉がない時代の1970年代、同義的に個人で世界を旅する若者を「ドリフターズ(drifters:漂流者の意)」と呼んでいましたが、ほぼ同時期に日本の「ザ・ドリフターズ」が大ブームを起こしていたのも偶然ではないように感じます。日本人漂流者の出現ブームをまるで予言していたかのように思えてくるのです。

 このバックパッカーのような自由度の高い自己実現を目指す旅のパターンがさらに加速的に支持されるようになったのは、バブル崩壊や経済の行き詰まりに照らし合わせると、自然の流れと言えそうです。経済至上主義的に同じベクトルで是認し絶対的に信じてやまなかった価値観やイデオロギーがもろくも崩れ去っていったのです。貧乏は恥だとみなされていたバブル時代、その終焉とともに軽蔑的イメージであった貧乏旅行にも新たな意味付けがなされ、一定の若者たちの支持を集めるようになる。
 『進め!電波少年』での猿岩石によるユーラシア横断ヒッチハイクの旅(1996年)が一種の社会現象を巻き起こしたのも、時局を鑑みると必然であったように思えます。ただ、この現象により日本社会全体においてバックパッカー像の正しい理解促進につながったかどうかは疑問の余地が残ります。

 2000年以降もバックパック型の旅は続いて行きますが、今もってその割合は全海外旅行タイプのうち1割ほどにすぎないと言われています。では残りの9割はどのような旅のタイプか?それは大手旅行社が打ち出すパックツアーとスケルトンツアー(航空券・ホテルの骨組みをセットにして販売し、中身の観光計画は自由に決められるもしくはオプションで補うもの)が占めているのです。いわゆる旅を商品化・半商品化して売り出した形であって、旅行会社同士の競合が激しいため価格競争が起きます。この低価格を実現するために、需要が見込める目的地・プランに絞られ、旅が均質化・画一化してしまう。秘境ツアーなるものも出ていますが、需要が低いためどうしても高価な商品となってしまい、とても若い層には手の届かない価格設定となっている場合が殆どです。

 内容や目的地はともかくとして、とにかく激安というインパクトに引かれバックパッカーのポテンシャルがあった層をもこれらのツアーに巻き込んでしまっているのかもしれません。安さは若者たちにとってはやはり魅力です。しかしこの安いけれどパターン化されたおもしろみに欠ける旅、というのが近年の若者たちの海外旅行離れを引き起こしている一因となっていると危惧されます。
 旅の商品化の功罪といでも言うのでしょうか。猿岩石ブームの1996年は20代の若者たちの海外旅行のピークでしたが、その後10年あまりで半減しているのです。大部分が同じ場所を訪問し、似たようなプランを消化し、均一な経験を得るだけになってしまう...この傾向は日本の旅の質を衰退させかねません。

 同様の流れはガイド本もしかりであって、バックパッカーのバイブルとされてきた『地球の歩き方』も、雨後の筍状態に出現した旅行商品ありきの観光ガイドに同調する形でその競合枠組みに入っているように感じます。スケルトンツアーの中身を埋めるための定番的観光・グルメ・ショッピング中心の内容が盛り込まれたり、どの層にターゲットを当てているのか分からない高級から格安までのホテルやレストラン、買い物スポットの情報が羅列していたりと、当初のコンセプト(実際現場で経験したバックパッカーたちによる種々雑多な投稿)は姿を潜め、無難に売りやすいガイド本・観光のお手本としてのマニュアル本へと変容してしまいました。リアル、ホンモノ志向のバックパッカー達が敬遠するようになったのも必然と言えるのでしょう。
 逆に、開拓精神あふれる従来の元祖型からマニュアル・安心型の一人旅、世界一周から国や地域を絞ったとりあえずちょっと一人旅のような層まで、バックパッカーにも質的変化・分散化が起こっていることを示唆しているのかもしれません。

 だからこそなのです。バックパックの意義を再考すべき時が来ていると。近年のグローバル化と情報化の波が社会への危機感と不安を募らせ、その中で生き残って行くために、自分らしく生きていくために、本質的な何かを手にしたい。経験値を上げたい。コスモポリタンな感覚を身につけたい。そのために独力で旅に出るという選択肢はアドボカシーが得られるかもしれない。『深夜特急』が未だに支持され続けるのも、そこに「リアルな世界」と「ホンモノの価値観」を見出しているからなのだと思うのです。
 またバックパックの旅が民主化され、社会においてバックパッカーが市民権を得られるようになれば、量的拡大と質的多様化の可能性があるかもしれない。バックパッカーが日本の旅のあり方をよりおもしろく若者たちにとっての魅力的な文化としてこれからも発展し続けるかもしれない。国家や社会がバックパッカーを認識し受け入れる土壌を広げ、人々がそのユニークな存在意義を確信し、バックパッカー自身も価値と自信を勝ち得ることができる、その道程は長いけれどチャレンジし続け議論を尽くす意味はきっと大きいでしょう。
 

日本人バックパッカーの展望
 これまで仕事と旅はオンとオフの関係に考えられてきました。がむしゃらに働き、その溜まった疲れやストレスを旅で癒す。その両者には明らかな区別がありました。旅をするために仕事をする(お金を貯める)もしくは旅をしたいために仕事を休む(辞める)というのがこれまでの形であったと思いますが、インターネットやソーシャルメディアのおかげで両者の境が曖昧になりつつあります。「仕事をするために旅をする」実践者たちが出て来ているのです。グローバル化の流れに便乗し旅人になれば世界市民となれると考え、インターネットと端末さえあれば日本であろうがどこであろうがつながっていられる。
 しかも日本のパスポートを保持していれば世界約170ヶ国にビザなしで入国することができます。何かを始めたいと思った時に、SNSで仲間を募り新しいプロジェクトやボランティアを始める方もいますし、旅の途中で起業なんてことも起こっています。旅を自分のブランディング化に活用しブログで発信している人もいれば、旅先のネット環境を利用しアフィリエイトやFXをもとに旅している人もいます。

 そもそも英語の"Travel"の語源は仏語の"Travail"(仕事)と同様「苦労を伴うもの」であり、旅は仕事のように一生懸命に取り組み学びや成果を生み出すものと考えられていました。「可愛い子には旅をさせよ」ということわざがあるのもうなずけます。上記のような旅と仕事の融合は自然の流れと言えるようなのです。
 今や、キャリアに就いたあとも離職して世界一周の旅に出るというのも決して珍しいことではありません。(聞き取り調査をした55人中28人が無職の状態でした)興味深いことに、この28人の中で、看護師の職を辞して旅をしている人が5人もいました。皆、嫌だから辞めたのではなく看護師としてのグローバルな素養を高めるというのがその背後にあるようです。一様に帰国してからは看護師として復帰すると答えていました。

 また、大学を一年休学し、もしくは長期休暇を利用してバックパックの旅に出ている大学生も多いです。高校の卒業旅行でアジア一周の女二人バックパックの旅をしている人もいれば、高専の最終学年を上海からシンガポールまで自転車の旅に充てている若者もいます。彼ら彼女らは一様に、旅から得られる学びと経験を建設的に捉え、将来の進路やキャリア、ネットワーク作りに活かそうというインセンティブがありました。ツーリズム研究者のP.L.ピアース&F.フォスター は 372人のバックパッカーとの対話を通じた研究論文で「バックパックの旅とは"旅大学"といったものだ。
 教育のチャンスと様々なスキル向上の可能性に満ちあふれている...(中略)...現代の若者の旅は21世紀型トラベラーを志し達成することに一生懸命であるばかりでなく、実社会における有用価値・応用価値をも兼ね備えることなのだ。」と結論づけています。また、作家の永倉万治氏も「貧乏旅をすれば、大学を二つ出たようなものだ。」と述べています。このような意義をあらかじめ知悉し、バックパッカーとなる学生たちがいるのです。

 他にもルアンパバーンで出会った人たちの中には、医学生・工学部生・電子機器工・大工・教師・介護師・整体師など休学や休暇を取りにくいであろう人たちもバックパックの旅を前向きに実践していました。概して途上国で見られる社会格差や不公正、インフラ整備や医療技術、教育・情報獲得機会の重要性、環境や命に対する問題意識が高く、旅を通じた実体験として知識を獲得しようとしていたのです。
 彼ら彼女らにとってバックパックの旅とはオフ期間ではなく、学びやキャリアの一環としてのオン状態のようなのです。他にも、自分の将来の仕事を見据え、テーマのあるバックパックの旅を実践している人も増えてきているようです。世界で活躍する日本人起業家と出会う旅、Couchsurfing を利用して世界各国の家庭料理を研究する旅、旅ときどき社会貢献と題したソーシャルトラベルの実践者などです。そのテーマ性を売りに企業からのスポンサーを取り付けたり、クラウドファンディングで資金を募り旅を実現させている人も出て来ています。

 一方、旅とは仕事や日常から脱した気晴らしを求める娯楽的活動であるという従来の考え方から、なんとなくおもしろそうと思って旅に出た人やとにかく環境を変えたいという一心で日本を飛び出した人、目的を持たず漫然と旅を続けている人がいるのも事実です。これが現実大多数だと思います。最初は気分高揚だった旅もだんだんとルーティン化し、刺激が薄れ、非日常がいつの間にか日常に変わってしまう。スタンプラリーと化した旅に嫌気がさし、ある者は帰国しある者は沈没してしまう。
 自分にやりたいことが見つかり積極的意味で帰国する人。新たな刺激を求め学校建設等のボランティア活動に参加する人も出てきます。日本社会から逃れて「リアルな世界」を探し求めて彷徨ってきたものの、結局は見つからず、最終的に日本に戻って何かすべきでは?と決心する人もいます。帰国後の再就職に不安を抱えている人もいます。世界一周なんぞやっても自分は変わらないだろうし、変えようとも思わないと最初から割り切って旅を続けている人もいます。実にさまざまなのです。

 こうして現在のバックパッカーのサイコグラフィ(価値観マップ)を俯瞰すると多様であるという一言に尽きます。冒頭で紹介したルアンパバーンで出会ったバックパッカー達もその事実を物語っていました。この混沌とした社会状況において、居場所としての空間をバックパックの旅が創出しているようにも感じます。コスモポリタンやグローバル観点の価値ある舞台としての旅という側面もあります。目的を持たない旅が悪く、テーマを持った旅が良しとされるという問題ではないように思います。
 両者も日本を飛び出しバックパックの旅を実践しているということに変わりなく、日本で得られないかけがえのない経験を積んでいるからです。青い鳥は結局身近な所にいましたが、外の世界に飛び出たからこそ気づけたのであって、ずっと同じ場所に留まっていたら見つからなかったのかもしれません。日本社会でバックパッカーという文化がすでに30年以上も続いてきたという事実があります。みなさんにとってのバックパッカーとはどんなものですか? 官産学民まずは関心を持つことから始め、バックパッカーとは一体どのような人たちなのか、議論していくことが肝要なのではないでしょうか。


プロフィール:
岩城義之 
福岡県出身
大学卒業後、英語教師@日本→5年半のボランティア活動@アフリカ(ニジェール&マダガスカル)→バックパッカー研究@チェンマイ   ※最初の写真は、ニジェールにてボランティア時のもの
【twitter】@yoshiaspiration
【facebook】https://www.facebook.com/yoshiyuki.iwaki.1

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