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日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「ボンクラが世界へ挑む~タイに招かれたサムライ~」久田泰士 写真 タイ留学.jpgのサムネール画像

久田 泰士
カセサート大学 工学部産業工学科修士課程


なぜ、タイの大学院なのか!?
 「泰」という字はタイ国を意味し、「士」という字はサムライを意味する。僕の名前は泰士。まさにタイで生きるジャパニーズサムライなのだ。そんな勘違いからタイ留学を決意した。タイは本当に笑顔が溢れる素敵な国である。毎朝、変てこなラジオ体操を踊るおばちゃんの奇声が僕の部屋の目覚まし時計である。まぁ、スッキリしない目覚めである。

 小春日が差し込む季節、当時大学生だった僕は、いつものように大学内をふらふら歩いていた。何気なく向かった場所で、僕のタイ留学は始まった。偶然、いや、運命の出会いだった。とてもユーモアな先生に出会ってしまったのだ。就職活動がいよいよ本格化する時期に、国際感覚を持ったその先生は僕にタイ留学を勧めてくれた。目的は英語留学で、あわよくばタイ語を含めたトリリンガル。日本はもう駄目だから、もう片方の足をタイの地に着きなさいと言われた。僕はその話を聞いた翌日に留学することを伝えた。海外という未知の世界は確かに魅力的で、僕の好奇心を掻き立てた。世界へのドアを開けることでワクワクする冒険が始まるが、その反動の大きさが頭を過ぎる。不安はあったが、考えたって何も始まらない。僕はその扉を力強く開けた。

 カセサート大学大学院へは、推薦によって入学した。工学部産業工学科(略称:IE)、今迄勉強してきた機械工学とは大きく異なる。タイへ降り立った当初、何もかも分からず、知り合いのタイ人に大変お世話になった。タイ人は酔っ払いを除きお世話好きだ。僕はIEのインターナショナルコースに入学したのだが、留学生は僕を含めて10人中、たったの2人。このコースに留学生がいること自体、珍しいと言われた。授業形式は欧米式で、問題を生徒に投げかけディスカッションをし、企画・仮説を立てるというのが一般的だ。


タイでは仲良く、グループ行動!
 ある授業で、タイ国内で産業発展に伴う問題をテーマに、グループ毎にプレゼンテーションをしたのだが、そこである種の驚きがあった。全グループが題名こそ違う、交通渋滞についての内容である。タイ人は友達同士皆仲が良いことは知っていたのだが、自分の知らないところで話し合っていたのか、テレパシーで通じ合っていたのか、未だわからない。他のテーマでも皆似通った発表内容で、大体予想がついてしまう。タイは外交上手の気質を持ち、良い物は外界からどんどん取り入れるが、新しい物を生み出す力が弱く独自の製品は少ないのだ。その代わり、面白さを追求するタイは楽しい。授業中は笑いが絶えなく、笑いがないと皆瞑想に耽る。授業後は、宿題や復習でわからないところを教え合う。食事を皆で食べ、夜は危険だからと車所有者が家の近くまで送ってくれる。グループ行動が原則で小学生の頃を思い出す。

 学校は教育にとても熱心で、学生は勤勉。勉学に励む彼らの姿が大学内のいたるところで見かけられる。野外でお喋りしながら勉強するスタイルが特に好まれているが、僕はどうも馴染めない。蚊が外国人の血を渇望し寄ってくるのだ。
 しかし、良質な教育を受けるには、お金が必要だ。高所得者は質の高い教育を受けて有名大学へ入学し、上場企業へ入社する。低所得所は満足な教育を受けることができず、自分と自分の家族の生活の為に幼少の頃から働かなくてはならない。そしてタイには累進課税・相続税がないため、その格差はどんどん大きく広がっていく。日本の貧困は東南アジアより目立たなく、最悪施設が用意される。日本は豊かな国であると感じるのは僕だけだろうか。


日本の常識に縛られていてはつまらない!
 留学は楽しいことばかりではない。留学したての頃、英語がろくに話せず、授業中一番前の席で眉間にしわを寄せていた。数ヵ月が過ぎても、英語が全く上達しない。タイの公用語はタイ語で、英語が話せる機会はとても少なく、その機会があったとしても簡潔な英語しか理解してもらえない。トリリンガルへの道はそう容易ではないのだ。今では英語よりタイ語のほうがうまいのではないかと思う。

 タイの常識は日本のそれとは異なる。例えば、あいさつを毎回すると嫌がられる。授業に遅刻しても先生は怒らず、先生もよく遅刻をする。授業中ご飯を食べるし、電話もその場でしっかり出る。突っ込みどころ満載だ。タイの常識が理解できず悔し泣きをし、辟易した時もあったが、留学を決めた僕は後には戻れないと自分に言い聞かせた。しかし、周りを見渡せば理解を深める場はたくさんあった。僕はバンコク市街地へ引っ越し、できるだけ人と接し異文化を理解しようと努めた。

 年越しは日本へ帰国せずに友人であるタイ人の地元へ行き、現地の知り合いという知り合いに飽きるくらい会った。そしてバンコクへ戻った日、何かが変わっていた。僕に対するタイ人の反応が明らかに変わっていたのだ。愛想笑はなくなり、道端で人に話しかけられるようになった。うれしかった。だがそれでも未だに彼らの深い部分には入りきれていない。まだまだぁ。

 2年間の海外大学院留学で英語をビジネスレベルまで向上させることは難しく感じる。ましてやタイでは短すぎる。しかし世界への挑戦は想像以上に広がりを見せている。日本の常識に縛られていてはつまらないと思う。もしあなたが日本の非常識な世界へ飛び出した時、何を思うだろうか。是非聞かせて欲しい。

プロフィール:
久田 泰士 (ひさだ やすし)
1988年生まれ
愛知県名古屋市出身

Twitter : @tyhisa
Facebook : https://www.facebook.com/yasushi.hisada

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