代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

人との「ギャップ」を恐れるな! 青野さん.JPG

青野友香
青年海外協力隊フィリピン派遣

覚醒
 私が生まれて初めて海外に行ったのは、17歳の時でした。高校の交換留学プログラムに参加し、アメリカのメリーランド州で1週間ホームステイをして、現地の高校に通いました。自分では「英語は得意だ」と思っていたにも関わらず、実際アメリカに行ってみると聞き取れず、しゃべれず、理解できず・・・大きなショックを受けました。さらに、アメリカ人の自由さや発言力に圧倒され、アメリカ人の前に立たされると何も出来ない自分に対しても情けなさを感じました。
帰国して受験勉強を始めてみたものの、果たしてこのまま日本で大学に進学して、アメリカ人と渡り合える程の英語力や発言力が身に付くのか?という疑問が常に頭の中にありました。そして、恐れを知らない17歳の私は、日本の大学を受験することを辞めて、アメリカの大学に進学するという決断をしたのです。


アメリカでの大学生活
 ネブラスカ州にあるUniversity of Nebraska-Lincolnに正規学部生として入学しました。渡米当初は、英語が分からず授業についていけなかったり、アメリカ人のルームメイトともめたり、たった3枚のエッセイを書くのに一晩かかったり・・・とにかく苦労しました。それでも不思議とアメリカの大学に入学したことは一度も後悔しませんでした。卒業する最後の最後まで苦労の連続でしたが、アメリカの大学に進学したことは、私の人生における最高の決断だったと思っています。


帰国、そして就職
 アメリカの大学に進学し、一時はいわゆる「社会のレール」を外れた私でしたが、卒業後に帰国し、インターネット広告関連の会社に新卒として入社しました。主に海外の広告サービスを日本に導入するサポートを行い、アメリカで培った語学力を活かすことはもちろん、アメリカで4年間暮らしていたからこそ、異なる価値観や文化を理解・尊重して働くことを受け入れることができたと思います。ビジネスにおいては半人前でしたが、大学での経験そして仕事での経験を通して、高校時代に望んでいた英語力や発言力を得る事ができました。


青年海外協力隊としてフィリピンへ
 働き始めて3年が経とうとしていた頃、自分が本当にやりたいことは何だったのかを考え始めました。大学生の頃にアジアスタディーツアーに参加して以来、国際貢献・社会貢献に興味を持ち、広告を勉強して多くの人の心を動かすことで国際貢献につなげたい、といった思いがありました。そして青年海外協力隊の要請の中に、フィリピンでの観光プロモーションを通した経済発展サポートの案件を見つけ、迷わず応募しました。そして、現在私はフィリピンにいます。

 「社会のレール」から再び外れることに、恐れや躊躇はありませんでした。社会的地位や将来の保証がなくても、自分で決めた道を歩んでいれば、どれだけ苦労しても後悔することはないと今までの人生で学んで来たからです。そしてここフィリピンではやはり苦労の連続ですが、後悔はありません。


フィリピンでの活動
 フィリピン・ルソン島南部のメルセデスという小さな漁業町の観光課で、観光プロモーションやお土産品の制作などの活動を行っています。この小さな田舎町で、日本人は私だけ。仕事や生活面において、文化や価値観の違いでストレスが溜まることもありますし、それが原因で挫折しそうになることはたくさんありますが、フィリピン人の同僚たちと何かを成し遂げることはそれ以上に達成感があります。観光プロモーションの一環として、地域住民と協力し、町のプロモーションビデオを制作しました。
https://www.youtube.com/watch?v=fI4nWdbN8KI

一度きりの人生。明日死んでも後悔しないように、自分に正直に生きることが大切だと思います。

プロフィール
神奈川県小田原市出身。
University of Nebraska-Lincoln マスコミュニケーション&ジャーナリズム学部広告学科卒業後、インターネット広告関連会社勤務に3年間勤務。現在は、青年海外協力隊としてフィリピンで観光隊員として活動中。

ブログ「冒険女子」:http://bokenjoshi.wordpress.com/

※Facebookページでフィリピン・ライフの4コマ漫画を公開しています。
https://www.facebook.com/jocvdiary

冒険女子.jpgのサムネール画像

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