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日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「子連れ海外駐在員~新興国で仕事にも家庭にも全力投球という働き方(第1回)」後藤さん.JPG


後藤 愛
国際交流基金ジャカルタ日本文化センター アシスタント・ディレクター

第1回 インドネシアでの仕事と生活ってどんな感じ?

―手探りの中、毎日が意思決定。これだから、新興国はおもしろい。―

私は今、インドネシアのジャカルタに、国際交流基金本部からの派遣職員(企業でいうところの海外駐在員)として滞在し、仕事をしています。

2012年2月に、当時1歳9か月だった息子を連れて、赴任しました。

仕事と生活に欠かせないインドネシア語ができたわけでもなく。

これまでインドネシアに留学や居住した経験があったわけでもなく。

すべてが、手探りのスタートでした。

このままでは、仕事も生活も健康もすべてうまくいかないのでは、と一人大きな不安に襲われた夜もありました。

渡航から、半年から1年がたつと、語学ができるようになったり、友達ができてきたりと、軌道に乗りました。

2年9か月が経とうとしている今、ふりかえってみると、あのとき、ちょっと(かなり?)無理をして、背伸びをし、リスクを取って、インドネシアに飛び込んで本当に良かったと思っています。

自分の体験がどこまで役に立つのかなと気持ちもありましたが、JGAPからの寄稿依頼のなか、学生さんや若手から中堅の社会人で、海外留学や海外での仕事を躊躇している人がいるとすれば、
何かの参考になることも、もしかしたら、あるかもしれない。そう思い、書かせていただくことにしました。


全4回シリーズの連載を予定しています。何かの参考にしていただければ、嬉しいです。

* * * * *

海外での責任は、国内の10倍のイメージ!
インドネシア語がほとんどできないままに着任した私。

2012年2月。オフィスでの最初の挨拶も、仕方がないので、日本語と英語でさせてもらいました。

ちなみに、オフィスの公用語は、インドネシア語です。

会議や、日々の連絡のEメールはすべてインドネシア語で届きます。

それらを単に理解するだけではなく、インドネシアの文化を理解し、自分がイニシアティブを取って、スタッフにビジョンを示し、指示を出し、皆を動かしていかなくてはなりません。

それまで、東京で仕事をしていたときは、いわゆる「平社員」として部下もおらず、単に自分のタスクを管理し遂行していればよかったので、そのときから比べると、インドネシアでは、感覚的には責任は10倍くらいになった感じでした。

加えて、保育園がなく、かつベビーシッターさんも派遣会社のようなものは発達しておらず、ひとづてに紹介してもらい、自分で面接し、この人を雇って、信頼して子どもを預けるのか否か、自己判断しなくてはなりません。自分の判断が、子どもの安全に直結しますので、真剣そのものです。

最初のころは、ひとづてに紹介してもらって面接に来てもらっていましたが、私がインドネシア語をほとんど話すことができず、何曜日の何時から何時に来てほしい、といった基本的な会話すら成り立たず、あきれてシッターさんが帰ってしまう、といった失敗もありました。


住居、幼稚園、シッター探しが、生活環境安定の"3大要素"
最初は、英語のできるシッターさんをインターネットのマッチングサイトで見つけ出し、なんとか、夫と実家の母が入れ替わりで助けてくれました。当初1か月間の間に、「住居、幼稚園、シッターさん」、という生活環境安定の大事な3大要素を探し、選定し、決定するところまでを終えることができ、生活の基本系ができあがりました。

これが定まるまでの最初の1か月間。生活のセットアップができるのか、総勢10数名の部下を持つ管理職という責任ある仕事を、しかもインドネシア語ですべて指示も出し、会議も仕切って、こなせるのか。

周りの日本人駐在員は、駐在2度目で合計10年に届こうかという人が2人、駐在5年目が一人。みな、インドネシア語での日常会話や業務遂行はもちろんのこと、大学での講義までしているレベル。あまりの経験とスキルの差に、重圧に押しつぶされそうになりました。


「子がいると、親は強い!」という激励
でも、ある人が言ってくれたんです。

「あなたね、お母さんは、強いよ」と。「この子のためにがんばらなくちゃ!って思うでしょ。お母さんのその思いは世界で一番強いんだから。あなた、大丈夫。しばらくしたら慣れてくる。もうちょっとの辛抱だよ。大丈夫、大丈夫」と。

そうはいっても、日本でようやく保育園にも慣れていた息子を、その環境から引っこ抜きインドネシアの地に渡ってきましたので、子どもにとっても初めての英語の幼稚園、耳慣れないインドネシア語、そして初対面のシッターさんという新しい環境に放り込まれ、それは大変だったと思います。日本にいたころはそろそろ夜は1、2回起きるくらいになっていたのが、インドネシアに来てから、夜泣きも再開していました。

また日中私に会えないからでしょう、夜中2時から4時まで息子の「夜遊び」に付き合わされて遊び、明け方に気づいたら自宅リビングの硬いタイルの床で2時間くらいうたた寝して、痛い背中と重い瞼で翌朝また仕事に行く・・・なんて日々が半年ちょっと続きました。インドネシア語が分からない、夜は寝てない、仕事もゼロから慣れなきゃ、という三重苦で、とにかく最初は大変でしたね。笑

実はまだお目にかかったことがないのですが、ジャカルタにも日本人ワーキングマザーが数名滞在しているようです。がんばり、活躍する日本人女性がいるのだな、と、まだ見ぬ仲間を意識して、勝手に嬉しくなったり、励まされたりしています。

また、熱帯という自然環境の厳しさでは、家族含め健康管理がすべてです。毎週水曜夜は水泳の日と決め、外にあるプールで夜仕事が終わってからだと夜7時過ぎになってしまうのですが、寒い中、ひとりプールに飛び込み、「あの子のために自分が健康で強くならなくては!」と自分に言い聞かせて必死で泳ぎました。

今振り返ると、ほかにも運動の手段はあっただろうに、と、必死すぎて笑えます。その後は夜の水泳はやはり寒すぎるので、週末の朝のテニスと、平日夜のジム通いに切り替えました。

こう書いてくると、「子連れ赴任なんて大変すぎる」と思われるかもしれません。でも、私にとっては、独りで渡航した大学や大学院での留学よりも、今の子連れ海外駐在員の方が、充実して、自分らしく、暮らせている気がしています。子どもがいることで生活範囲が広がります。仕事上でも、人間味をアピールする題材にもなって、文化や国籍を超えた共感ポイントにもなりますので、けっこう得したりもするんですよ。

息子を経由して知り合ったインドネシア人の"ママ友"に、バリ出身のモデルさんがいます。40を超えているというのに、背が高くスレンダーで、まさに、美魔女。いつも颯爽として、姿勢が良く、笑顔が本当に魅力的。

聞くと、「パーソナルトレーナーに来てもらって、筋トレしているの。いいわよ。」と。

ミーハーな私は、さっそく近所のジムにいたパーソナルトレーナーと思しきインドネシア人のお兄さんに声をかけました。今では、1~2週間に1回、身体全体を見てもらい、筋トレに付き合ってもらっています。

(こういうやりとりには、やはりインドネシア語が必須。言葉ができるようになると、活動範囲が一気に広がります。)


海外生活での醍醐味って、何?!
新興国での仕事は、何と言ってもダイナミックでやりがいが大きいです。

若年層の拡大、中間層の拡大、市場の拡大、民主主義の進展、貧困層対策の拡充・・・今のインドネシアは、とにかく勢いがあり、新しいことをどんどんやっていこう!というハングリー精神に満ち溢れています。

インドネシアの人たちは、若い人からお年寄りまで、「よりよい明日」を見据えて、明るく、そして力強く、歩んでいます。

インドネシアに来るとたくさん耳にするインドネシア語に、「ティダ・アパアパ!」という言葉があります。「大丈夫!!」という意味で、人からごめんなさいと謝られたとき、スケジュールの変更を告げられたとき、ジャカルタの悪名高い渋滞にはまってアポイントに遅刻してしまったときなど、さまざまな場面で、「全然いいって!気にしないで!」という意味で、非常によく使われるのですが、見ていると、自分の失敗についても、「ティダ・アパアパ!」の精神で、気軽に乗り越えていっているようで、実にたくましいです。

他人の失敗も、自分の失敗も、いちいちくよくよしないで、どんどん水に流し、前へ前へと進んでゆく―――。社会の変化は激しく、他人からの批判や、ささいな失敗を恐れている暇などないのです。



いかがでしたか?おもしろそう?それとも、大変そう?

どちらも真実でしょう。おもしろいけど、大変。大変だけど、おもしろい。

それが、海外へ行くことの醍醐味なのだと思います。

成長したい人。今の世界よりも大きく、そして新しい世界を見たい人。
よくわからないけれど、今のままじゃいけないとモヤモヤしている人。

そうした人みんなに、海外に出てみることはお勧めです。

新しい世界で、きっと、大きく成長できるはずです。


第2回では、インドネシアで私が気付いたマインドセットについて、書いてみたいと思います。


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(注1)写真は2014年9月。インドネシア、フィリピン、インドのオフィスから集まったスタッフ達と。アジアの若者がアートを用いた防災教育について学ぶプログラム「HANDs!Project」でジョグジャカルタにて。中央が筆者

プロフィール:
後藤愛 国際交流基金ジャカルタ日本文化センター アシスタント・ディレクター
一橋大学法学部卒。大学3年の1年間を米国ペンシルヴァニア大学にて交換留学生として過ごす(国際関係論専攻)。留学1週目に2001年9月の米国同時多発テロ事件が起こったことから異文化間の相互理解に携わることを志す。2003年大学卒業と同時に国際交流基金に就職。日米センター知的交流課にて、米国の大学やシンクタンクとの学術交流事業の助成金管理、セミナーなどのイベント企画・広報に携わった後、2007年~2008年フルブライト奨学生としてハーバード大学教育大学院留学(教育学修士、Ed.M)。帰国後、同基金日本研究・知的交流部欧州・中東・アフリカチームにて欧州、中東地域との知的交流事業に携わる。2010年長男出産。産休・育休を経て2011年職場復帰。日本で約10か月間ワーキングマザーとして働いた後、2012年2月よりインドネシアのジャカルタに1歳9か月の長男を連れて子連れ海外駐在員。

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