代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「人生よ、ドラマチックであれ。」小谷篤信さん写真.jpeg


小谷篤信
米国・ブラウン大学2年


※JGAPからのお知らせ
留学や進路、生き方やキャリアを一緒に議論しましょう!
1/15(水)18時~ JGAPエッセイ"フロンティア・フォーラム欄"オフ会 「米国・ブラウン大学 小谷篤信さんを囲む会」
http://japangap.jp/info/2014/01/11518jgap-1.html


「俺の人生は俺が決めるんだ。他の誰かに決められてたまるか。」

 喉が切れるほど叫んだあの日の想いは今も胸の中を渦巻いている。2010年4月2日、もう3年半以上も前のことだ。
親に何も言わず、勝手に願書を書いて経団連の留学奨学金制度に応募した。一人で大手町の経団連会館に行き、一人で面接に臨んだ。そして4月2日深夜、塾帰りに家の玄関を開けると、父が仁王立ちで僕の帰りを待っている。彼を見るや否や僕は自分が先の制度に合格したことを察した。お祝いとして受け取ったのは、父渾身の右ストレート。「お前は東大に行くんだ。海外留学なんて調子に乗ったことを言うんじゃない。」という、愛情たっぷりのコメントも添えられていた。(注1)

 16歳。「今までの人生は全て他の誰かによって与えられたものだ」と気付いた。自分の学力も学歴も。親が塾や学校に投資してくれたことで、勉強に集中できる環境が確保され、自分の学力が向上し、麻布にも入れたのだと知った。親には今も昔もずっと感謝している。しかし、僕の意思や決断はどこにもなく、ただそこには世間的に模範とされる生き方があるだけだった。そう気付いてしまった時、自分が生きている価値などもはやないように思えた。自分の人生から『自分』が欠落していたのだ。なんて空っぽな人生だろう。僕はそれまでの16年間を憎悪し、深く呪った。「自分の人生を生きる。」既にそれは願望ではなく、生き残るための最後の手段だった。だから、高2の夏、麻布を辞めた。

 留学最初の4ヶ月で僕は8キロ痩せ落ち、奥歯は歯ぎしりで欠け、円形脱毛症になった。12月一時帰国した僕を前にして、母は「死人みたい」と呟いた。

 「あのまま日本に残っていれば安定した人生を歩めたかもしれない」という感慨は、英語力不足に悩む僕をより一層苦しめた。最悪―――でも僕にとって最高な時期でもあった。どれだけ苦しくても、それは確かに自分の、自分だけの人生だった。喜ばしいことじゃないか。自分の人生でこんなにも悩むことが出来る。こんなにも苦しむことが出来る。だったらもっと自分の人生を生きてやろうじゃないか。他人の生き方と自分の生き方を比べるなんて、もはや無意味なことに思えた。そうして2年後、僕はMIT(マサチューセッツ工科大学)とブラウン大学に合格した。東大を世界大学ランキングで遥かに上回るMITに対し、僕はなんの感情も抱かなかった。社会の価値観なんかに左右されない僕の人生が眩しい程にブラウン向かって伸びていたからだ。

「英語が話せないなら日本に帰れ。」
 ブラウン大学1年目、経営学の授業でのプレゼンテーション。蝶ネクタイがよく似合う、その先生は僕にそんな言葉を突き刺した。
 昨年10月、ブラウンでの生活は僕が想像していたより何倍も難しいものだった。たかが2年間の英語で、18年間ずっと英語を話してきた連中にどうやって太刀打ちできるのか。自分の英語力にコンプレックスを抱いていた僕は、英語を批難されただけにもかかわらず、あたかも自分の全存在が否定されているように感じた。「お前はここには必要ない」そう言われた僕はプレゼンの後、教室の一番後ろ、隅の席に腰を降ろした。深い茶色の床を見つめ、ただ必死に泣くのを我慢する。下唇は赤く染まり、自分の足は原型を留めずにユラユラと揺れていた。

 「もう日本に帰ってもいいんじゃないのか。」留学生活を通じて、その時初めてそう思った。わざわざこんな辛い思いをしてまでここに残る必要なんてない。そうだ、日本に帰ろう。それがきっと一番だ。

...でもそれでいいのか。僕はそんな生き方を選びたいのか。
 授業後、僕はその蝶ネクタイのところまで足を運んだ。自分の存在を否定した相手に立ち向かっていくのである。当然のように足は震え、過度の嗚咽感が僕を襲っていた。それでも彼の前に立ち、僕は彼の左腕を思い切り掴んだ。その瞬間、堪えていた涙は堰を切ったように溢れ出る。『負けない。』絶対に伝えたいことがそこにはあった。

 「先生、僕は知っています。僕は英語が話せません。このクラスで一番、いやもしかしたら大学で一番英語が話せないかもしれません。」目の前の彼を、僕は貫くようにまっすぐと見つめる。

 「でも、経営を学びたいという気持ちだけはこのクラスの誰にも、この学校の誰にも負けません。そのためだったら何だってします。誰にも書けと言われていないエッセイだって来週から書いてきます。」蝶ネクタイがふと、微笑んだようにその時見えた。

「だから、お願いです。僕に経営を教えてください。」

 僕はそう言って頭を下げた。気管が押されて息が詰まりそうになるくらい深く。すると彼は僕の右手をとって、彼の右手に持ち替えたのだった。そして手を強く握りながら僕を覗き込み、こう言うのである。

"Gladly."
喜んで。

 今年の夏休み、ブラウン生活1年目を終えた僕は東京の深夜バーで時給900円の皿洗いバイトをしていた。稼いだ3万円で列車のチケットを買い、北海道へ向かう。10代最後の1ヶ月にふさわしい一人旅。最低限の着替えとカメラと本一冊。バッグの中にはたったそれだけ。お金も携帯も食料も持たず、釧路へ向かった。そこから身1つ、東京まで帰ってくる、それが自分自身への二十歳、誕生日プレゼントだ。

 学歴、電子機器、金。全部を取り払った時、自分に一体何ができるのか。自分が本当は何者なのか、それをどうしても知りたかった。

 この旅を通して得た答えが僕の手から零れ落ちる前に、 本を書こうと思う。でも、それは日本語で書いてもつまらない。「自分があえて苦手だと思う英語で書こうと思っています。」蝶ネクタイに先週のお散歩中そう告げると、彼は嬉しそうにニヤニヤ笑っていた。

 英語、文学、2つの学部の教授陣全員、合計50人に向けてメールを送った。誰も「メールを送るな」なんて言っていない。「やってはいけない」と決めつけているのは案外他の誰でもなく、自分自身だったりするものだ。7人から返事がきて、そのうちの1人と共に来学期、僕だけのノンフィクション/トラベルライティングのクラスをデザインした。学びの場は与えられるものではなく、自分自身の力で摑み取るものだ。

 左頬の痛みを噛み締めて父に挑んだ時、髪から毛が抜け落ちていたあの頃、蝶ネクタイのスーツにしわをつけたあの瞬間。そして、今。人生のド真ん中には『僕』がいる。何かを成し遂げたわけじゃない。明るい未来が待っているとは限らない。だがそれがなんだ。今、自分にできることを全てやればいい。大学で本当に勉強したいことが学べない?講義要目を書き換えて、教授に直接突きつけてやれ。教えてくれるまで毎日会いに行くくらいの根性を見せろ。現状に文句をこぼすのは全部やり終えた、その後でも間に合う。くだらないプライドなんてさっさと捨てて、今この場所で手に入れられる全てを勝ち取ってみせろ。

それでこそ、自分自身の人生だ。


11月3日
プロビデンスにて

(注1)2013.11.5補足投稿
 この記事が投稿されたのをみて、自分はまだまだ青いと痛感致しました。記事を投稿された時の父や母の気持ちまで僕は汲みとることができていなかったのです。しかし、お伝えしたいのは、僕の胸にあるのは両親への揺るぎない尊敬と感謝の念であり、憎しみでは決してないということです。そこをしっかりと書ききれなかったのが自分の弱さであり、未熟な点だと痛感しています。

 父は今も昔も心から尊敬できる人です。僕が留学を決意した際、父は僕のことを誰よりも親身になって考えてくれていたからこそ大きな「壁」になってくれたのだと思います。彼こそが僕が父になったときになりたい父親像そのものです。いつか父が誇れるような人間に自分がなることができた時、直接この口から感謝の言葉を彼に伝えたいと思います。

プロフィール
小谷篤信
1993年東京生まれ。
2010年7月、高校2年次に麻布高校を退学。同年8月にUnited World College-USAに入学する(経団連奨学金)。2012年5月同校卒業、同年8月米国・ブラウン大学に入学。現在2年生。ブログ「ブラウンの熊たち」土曜日担当。来年5月から休学予定。活動内容は未定。

Twitter:@Atsunobu_Kotani
Email:Atsunobu_Kotani@brown.edu
ブラウンの熊たち公式HP:http://www.brownbearsjapan.com/
ブログ「ブラウンの熊たち」:http://ameblo.jp/brownujapan/entry-11547790960.html

【関連記事】
2012年1月1日  No27:「なぜ慶應をやめて米国ブラウン大なのか?」 熊平智伸さん(ブラウン大学2年)-エッセイ集 フロンティア・フォーラム
http://japangap.jp/essay/2012/01/2.html

2012年8月15日 No.81:「 慶應辞めて、オイルマネー沸き立つアブダビにある設立3年目の大学に入学します」(橋本 晋太郎さん、今年8月にNew York大学アブダビ校入学)-エッセイ集 フロンティア・フォーラム http://japangap.jp/essay/2012/08/-38new-york-university-abu-dhabi.html

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