代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「カンボジアに映画館をつくろう!」カンボジア1.jpg

教来石 小織
非営利団体CATiC代表


「カンボジアに映画館」の原体験とは?
 子どもの頃、映画からたくさんの夢をもらってきました。探偵の映画を見れば探偵になりたいと思い、警察官の映画を見れば警察官になりたいと思い......。小学6年生の時に、夢を与える側になりたいと、映画監督を志しました。

 大学時代は映画監督コースを専攻。大学3年生の時に、ドキュメンタリーを撮るために、一人ビデオカメラを持って、途上国の村でホームステイをしました。

 村で出会った子どもたちに将来の夢を聞くと、みんな答えられませんでした。
一人の子が「先生」というと、みんなが先生と言いました。
日本の子どもたちに聞くと、様々な答えが返ってくるのに・・・。もしかしたら、電気もテレビもないこの村では、身近な大人の姿からでしか、将来の姿を想像することができないのかもしれない。そんなことを思いました。

 日本に帰ってから、街に映画館を復興させることで、戦争で傷ついた街の人々が元気になっていくというストーリーの映画を観ました。

 もしも私がホームステイしたあの村に、映画館があったら。映画で様々な世界に触れた子ども達は、どんな夢を描くのだろう。「途上国に映画館をつくりたい」。それが私の夢になりました。

 けれども私は大学時代、その夢に向かって何かをすることはありませんでした。社会人になって、お金持ちになったら映画館をポンと作ろう。そんな風に思っていました。いや、自分自身との折り合いの中で、そう思い込もうとしたのかもしれません。
 それから10年間、その夢に対して動くどころか、すっかりその夢を忘れていたのです。

 社会人になってもお金持ちになることはなく、気づけば30歳を過ぎていました。

大学卒業後10年経って、夢を思い出す
 そうして2012年の夏。派遣社員の事務員だった私は、ある日突然、「カンボジアに映画館をつくりたい!」という想いに襲われました。社会人になって挫折したり自分を見失ったりと、いろいろあった末に溢れてきた想いは、大学生3年生の時に抱いていた夢と同じだったのです。

 カンボジアの映画館の数は14館(2006年ユネスコ調べ)。映画館があるのは都市部で、農村部に住む子どもたちが映画を観る機会はほとんどありません。映画を初めて観る子どもたちは、どんな表情で映画を観るのだろう。何を思うのだろう。映画からたくさんの夢をもらってきた私のように、カンボジアの子どもたちも映画をきっかけに夢を抱くことはあるのだろうか。

 エゴと言っても過言ではない私の想いは、非常に有難いことに、素敵なメンバーや優しい方々のおかげで、「カンボジアに映画館をつくろう!」というプロジェクトとして動き出しました。

 最初は「映画館」という"箱"を作ろうと思っていました。でも、より多くの子どもたちに映画を届けるためには、自分たちが映画を届けに行った方がいい。「カンボジアに映画館をつくろう!」プロジェクトは、発電機と上映機材を持ってカンボジア農村部をピックアップトラックで移動し、学校や広場を2時間ほど映画館に変えるという活動になりました。映画館は映画館でも「移動映画館」です。

映画には力がある!
 最初は、一度上映して、現地の子どもたちが迷惑そうだったらやめようと思っていました。でもどの村を訪れても、子どもたちも先生も大人たちも、私たちを歓迎してくださるのです。

 村に映画が来る日が一日間違って伝わっていたらしく、「昨日来るって言ってたのに来なかったね。待ってたのに」と、小さな男の子に可愛らしく恨みごとを言われたこともありました。大人たちがタイへ出稼ぎに行き、子どもとバラバラに生活せざるを得ない村では、初めて映画を観るという少年が、お母さんと主人公が別れるシーンで涙を流していたこともありました。

 子ども時代、映画からたくさんの夢をもらってきて、大学では映画を勉強した私にとって、映画は、人生に良い影響を与える力を持っているものと信じています。

 けれど映画は、生きる上で絶対に必要なものではありません。決して裕福とは言えないカンボジア農村部の子どもたちに映画を届ける活動は、「彼らのためになっている」と断言できないことが、時折ため息をつかせたりします。多くのNPOと違い、「社会問題を解決している」とは言い切れない活動なのです。

 活動を始めてから、ずっと問い続けてきたこと、それは、「映画は食糧やワクチンのように、人生で絶対に必要なものではないのに、映画を届けて何の意味があるのだろう?」ということ。

映画は生きる"目的"を与えてくれる
 時にミヒャエル・エンデの言葉に救われます。
「飢えている子がベートーヴェンのコンサートに興味を持つとは思えません。食べ物の方がいいと言うでしょう。しかし食事を取った後、つまりその基本的な身体的欲求が満たされた時には、人間には内面もあるということを思い出すべきだと思います」

 時に移動図書館の活動をされているシャンティ国際ボランティア会の鎌倉幸子さんの言葉にも救われます。
「食糧やワクチンは、生きるための"手段"。本や映画は生きる"目的"を与えてくれるものです」

 映画を届けて意味があるのか。
恐らく10年経たないと答えが出ない活動です。もしも大学生のあの時、夢を抱いた瞬間に動いていたならば、10年後の今は、その答えが出ていたことでしょう。夢のスタートは、お金がなくても切れたのです。

 10年遅れで走り始めた夢。今の時点で明確なのは、子どもたちが映画を楽しみに待ってくれていること。そして、映画を観ている子どもたちの表情がワクワクしていることだけです。

 もしかしたら、その日観た映画の主人公に憧れて、新しい夢を抱くかもしれない。ある子どもの未来につながるかもしれない。映画を観る子どもたちの目を見ていると、そんな淡い期待が止まらないのです。
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プロフィール:
教来石 小織(きょうらいせき さおり)
非営利団体CATiC(Create A Theater in Cambodia/キャティック)代表
HP: http://www.catic.asia/
Facebook:https://www.facebook.com/t.cambodia
Twitter: https://twitter.com/CATiC0901


(関連記事)
2012年2月8日付エッセイ集 フロンティア・フォーラム欄No41:「私のカンボジアとの出会いは米国留学からだった」 鎌倉幸子さん(公益社団法人シャンティ国際ボランティア会)
http://japangap.jp/essay/2012/02/post-11.html

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