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多種才々なイノベーター達のエッセイ集

JGAP寄稿者短信"拡大版":「若者と社会について」

白井耕平
武蔵大学人文学部4年
 

 「同時代の若者について、気になること」
これが今日のテーマだ。2011年に僕が大学へ入学してからよく目にした言葉を今の若者に関係するキーワードとして挙げておきたい。

「社会を変える」
インターネットでこの言葉を検索すると159万件のページが表示され、「若者 社会を変える」で検索しても114万件はひっかかる。該当したウェブサイトのタイトルだけでもパラパラ見ていくと、このテーマに関する書籍や論文、もしくは活動団体のHPやイベント告知、そしてネット記事などが出てくる。

関連するキーワードの欄を見てみると「日本を変える若者」「世界を変える若者」「若者 社会参加」「若者 社会問題 貢献」などが表示されている。

ふと自分自身の周りを思い返してみても、そのようなことを言っている人は少なくない数でいたような気がするし、僕自身もその言葉を声に出した記憶がハッキリとある。ただしそれは全ての若者に当てはまるような心情ではないだろう。それでも何かそうした雰囲気に、もしくは「社会を変える」という言葉に影響を受けている若者は一定数いるだろうと思うのである。

そこで今回は、このキーワードを観点に若者や学生の周辺を切り取ってみようと思う。あくまで僕が見聞きしてきた経験と、薄っぺらな知識を使ってだが、それでも何か書けるだろうか。書いてみよう。


・<社会>を変える?
若者たちによる社会的な活動は、以前にも左翼的な活動や反戦運動として行われていた。例えば全学連やベ平連などがそれにあたると思う。しかし一方で現在の方はどうかというと震災関係や貧困問題もしくは教育分野など、そして最近では政治的な問題を扱う団体も目立っているようだ。

こうして全般的に見てみると、核となる問題意識として「大きな国家・社会体制」を想定するのではなく、どうやら相対的に「小さな問題」に着目しているのだと思う。しかし不思議なことにそうした人たちは口を揃えて「社会を変えたい」と言う。

僕が思うのは、その<社会>なるものが一体何なのか分からないということである。「○○で社会を変える」と言った時、○○の部分は具体的で分かるのだが、大文字の社会はあやふやで見えてこない。

そもそもの話、その<社会>とは一体どこにあるというのだろう。社会とは何だろう。それについて考えてみたが、要するに各々が見えている世界のことを指して言っているのではないだろうかと思う。

一方で社会人類学者のレヴィ・ストロースが言うには、社会とは人・物財・言語の交換関係そのものであるらしい。仮にその説で話を進めるなら、交換関係の構造そのものを一部の人間の手によって変容させることは果たして可能なのだろうか?という疑問に行きつく。

それか別の路線で、マルクスの唯物史観を採用するならば下部構造、すなわち生産諸関係によって上部構造(つまり社会諸関係)は規定されているわけだから、資本主義自体が問題となる。

それともルソーの社会契約論に基づいて、前提である自然状態から各個人が協力関係を求め、個人の全てを一つの道徳的共同体に譲渡し、人民主権の根幹である一般意志を形成するところに現れる社会だろうか。ついこの最近「民意を問う」選挙が"民主主義的に"行われたばかりだが。

あえて話を大きくしてみた。というのも、今の若者の「社会を変える」というフレーズとは、社会全体を良くも悪くも変えてしまうような思想や理念が内在している標語なのではなく、単なる表層的な記号ではないだろうかと、失礼を承知のうえで疑ってかかってしまうのだ。

実際には限定的でしかありえない自分の活動範囲を遥かに通り越して、何か大きな社会なるものの全体性と接続しているということの、その自己肯定的な意味を記号としてこのフレーズは示しているのではないだろうか。

急いで付け加えなければならないが、べつに若者の社会的な活動を非難したり、無意味だとか言いたいわけではない。ただこの記号を消費するだけに陥ってしまうことを恐れているだけである。ありとあらゆる物事が交換可能な象徴的記号へと包摂されてしまうこの現代社会において、流行に対して過敏になりがちな若者は特にそれを自覚することは難しい。これは自戒という意味合いも込めている。

そして月並みな意見を述べるなら、社会は変わらないのではなく、むしろ変わっていくものだと思う。ただ大抵の場合には「勝手に」もしくは「不特定多数の手に」よって変わるものだと考えているのだ。ただそれでも若者が社会的な活動をするということは、社会における部分的な問題に対して関係する不特定多数の一部に何らかの影響を与えるためなのだろうと思っている。

でもそこからが重要なのであって、つまり実質の不明瞭な<社会>に囚われるのではなく、具体的に「誰に」、どのような「状況」において、どんな「目的」のために、自分たちの影響力を行使したいのかを考えるべきだと思う。そしてそれをスローガンとして掲げている団体はたくさんあると思うし、そうであるべきだと思う。


・それでも「社会」を考えてみる
 ここからは個人的な内容になるが、僕の大学に哲学科はない。しかし僕は一人で勝手に哲学科を名乗っている。その理由はとても簡単で、先ほどの意見に矛盾するように思われてしまうかもしれないが、それでも「社会」や「世界」を考えたかったからだ。もう少し言えば、国家や社会の枠組みにおける個別の問題に留まらない何か根源的な問題があると、休学中の旅を通して感じたからだ。

 根源的な問題、つまり個人の手には負えないような、無数の集合体によって顕在する世界的な問題でありながら個体的な問題でもあるような問題。それはもちろん多岐に渡るが、僕の場合は各国で見られる様々な貧困がその入口だった。

例えば、アジアやアフリカ諸国の現在はポストコロニアルな状況によって多極的な問題に直面していて、具体的な例を挙げればアイデンティティ・ポリティクスをめぐる争いは尽きないし、それによって国内の政治や経済は大変なことになっていたりする。

他方の日本国内はといえば「一億総中流」という共同幻想が日本社会で共有された時代は知らないが、一方の今日では「相対的貧困」と呼ばれる現象が起きていることは知っている。もしくは少子高齢化に伴う労働人口の減少と、その埋め合わせのために導入されつつある労働市場のグローバル化が引き起こす問題については関心がある。

 前述したように、自分の行う活動は身体的な限定性を必ず伴うので、社会全体に接続するということは不可能だ。ただしかし考えることはある程度で自由だと思っている。原理的なことを言えば、人の認識や思考が物事の全体性を捉える事は不可能だと思うのだが、少なくとも実際の活動の範囲に比べれば考えられる範囲は広い。

 それにそもそも僕は学生である。腐りきった正論を言うようだが、学生は学ぶことが本分だから考える事もそこには付随するはずだ。それに活動=実践は一つの車輪でしかないようにも思う。つまり知識や理論といったもう片方の車輪もないと、何をやるにしても上手く進まないのではないだろうか、というのが休学を経て考えたことである。

 寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったが、あれは違うだろうと僕は思うのだ。まず町は大きな書であり、それに劣らず書も大きな町であり、そのどちらの世界も行き来する事が重要なのではないだろうか。なるべく多くを経験するために、横断的に歩むことが大事なのではないだろうか。僕はそう思っている。


(関連記事)
2012年6月8日付エッセイ集 フロンティア・フォーラム No.69:「『生き方』を変えていく旅~3月11日生まれの僕」 白井耕平さん(武蔵大学人文学部=2年次休学中、世界一周中 ※当時)http://japangap.jp/essay/2012/06/311.html

2014年9月19日付JGAP寄稿者短信"拡大版":「休学とこの時代」(白井耕平さん、武蔵大学4年)-エッセイ集 フロンティア・フォーラム http://japangap.jp/essay/2014/09/jgap4.html

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