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日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「なぜ商社を辞めて、ウガンダなのか」近江佳永さん写真.jpg

近江 佳永(おおみ けい)
青年海外協力隊員@ウガンダ

-自己紹介-
 Oli Otya!(ウガンダの現地語でHow are you?)
今年1月から青年海外協力隊員としてウガンダに派遣されいます。
現在、ウガンダ中央西部に位置するムベンデ県で活動しており、ムベンデ県庁水事務所に配属されています。ウガンダでは水道が完全に整備されておらず、村落部の住民は井戸やため池の水を汲んで生活しています。その水源については、住民自身で管理しなければなりません。

 そこで、住民が継続的に安全な水を手に入れられる環境作りをお手伝いするのが、私の任務です。具体的には、壊れた井戸の修理や井戸を管理する住民組織の強化、衛生啓発などを中心に活動しています。


-なぜ商社の営業に?-
 さてタイトル通り、ウガンダに来る前は商社の営業ウーマンとして3年3か月働いていました。
マイペースでのんびり屋な性格の私。そんな私と商社の営業とでは、正直かけ離れたイメージ...。しかも就職活動時は、商社をいちばん毛嫌いしていました。「商社=ブラック社会」のような仕事と思っていたくらいです(笑)。

 たまたま大学の友人に誘われて参加したとある商社の説明会。これが入社した会社との出会いでした。前述の通り、「商社=ブラック社会」と思っていたので、失礼ながらあまり関心がない状態で出席したのですが、そこに参加していた先輩社員の方々がとてもイキイキとしており、年齢問わず社員同士の仲もオープンに見えました。直感的にではありますが、それまで見てきた会社とはどこか違う印象を持ち、この会社で働きたいと感じたのでした。

 そして縁があり、絶対に進まないと考えていた業界にたまたま足を踏み入れることになったのです。余談ですが、商社を第一志望にしていた友人たちからは、非難囂々であったことは言うまでもありません。(笑)


-社会人から協力隊の道へ-
 会社の同期や先輩方にも恵まれ、社会人時代は学ぶことが沢山ありました。国内のみならず、海外の商売にも携わることが出来、やりがいも感じました。就職前は暴力団みたいな仕事かと思っていましたが、それも大きな間違いと気づきました(笑)。働いた今となっては、商社としての役割や機能も認識出来たつもりです。

 しかし社会人になって2年半が過ぎた頃、自分の将来を考えたときに、ふとこんな疑問が浮かんできました。

「この仕事は誰のため?」
「この仕事の先にあるものは何だろう?」
「何のために仕事をしていきたい?」

 そう考えた時に頭に浮かんだのは、大学時代に海外の旅先で出会ったたくさんの子どもたちの笑顔。
大学時代は国際関係や国際協力に関心を持ち、バックパックでインドやチュニジアなどを旅したり、NGO主催の海外ボランティアでウガンダに3週間ほど滞在したりしたこともありました。そんな中、いつも気になってしまうのは子どもたちでした。

 瞳をキラキラさせながら、曇りのない笑顔の子どもたちの姿には、いつもこちらが励まされ、笑顔をもらっていました。一方、その笑顔の裏側には、通りすがりの私には見えない困難な状況があることも感じていました。

「あの子どもたちの将来の選択肢を増やしていけるような活動をしたい。」

 しかし、専門性もなければ、語学も不十分。そんな私でも挑戦できるかもしれないと思ったのが、青年海外協力隊でした。青年海外協力隊は日本政府のODAの一環で、派遣前には語学を中心とした様々な訓練もあり、制度的にも安心できるものでした。

 また、私が応募した「コミュニティ開発」という職種は、技術や資格が無くても、大学や社会人としての経験を資質として見てくれるため、自分次第で活動の幅を広げていくことが出来る点が魅力でした。

 そして青年海外協力隊への道に進むことを決断し、昨年6月に退職しました。送り出して下さった会社の方々には、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。


-すべての出会いを糧に-
 ウガンダに来て、約8か月。活動内容は、子どもの支援に直結するものではないですが、"Water is life."と言われるように、水はすべての人の命に繋がるものですし、水因性疾患で亡くなる子どもも未だ多いのが現状です。そうした状況を少しでも改善出来れば、彼らの未来も広がっていくと信じています。

 水に関する途上国での問題は、大学時代に関わっていたボランティア活動でも学ぶ機会があり、その時の知識も活かされています。また商社ウーマン時代に学んだ、物事の組み立て方や考え方もウガンダで活動する上で役立っています。

「地元のあの経験がなかったら...
大学であの人に出会ってなかったら...
社会人時代に学んだあの出来事が無かったら...
今の自分はいなかったのだろうなぁ。」

 そう思うときが多々あります。その時その時で、自分の心の向くまま、興味を持ったことにホイホイと手を出してしまいがちな私ですが、今まで出会ったすべての人・モノ・経験に感謝しながら、まずは残りの任期をウガンダ人とともに全力で活動していきます。

Weebale Nyo!(ウガンダの現地語で「ありがとう」)


プロフィール:
近江 佳永(おおみ けい)
北海道 芽室町出身。大学在学中にNGOの海外ボランティアでウガンダへ渡航、国内でのボランティア活動にも参加。卒業後は東京都内の商社に就職し、営業職として3年3か月勤務。2013年6月に退職後、2014年1月から2年間、青年海外協力隊員としてウガンダへ派遣。


(関連記事)
2012年1月11日付 フロンティア・フォーラム欄 No32:「アフリカの空の下、世界の時代と成長を感じる日々」 小林 正和さん(法政大学法学部国際政治学科4年=休学中、現在マケレレ大学ビジネススクールに留学中 ※当時)http://japangap.jp/essay/2012/01/-4.html

2014年1月14日付 フロンティア・フォーラムNo.152:「私がアフリカで裸になった理由」(nagi yoshida フォトグラファー): http://japangap.jp/essay/2014/01/-nagi-yoshida.html

2012年3月9日付 フロンティア・フォーラム No47:「商社辞めて、教育系NPO立ち上げのなぜ」 今井 紀明さん(特定非営利活動法人D×P共同代表):http://japangap.jp/essay/2012/03/npo6.html

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