代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「子連れ新興国海外駐在員シリーズ③~新興国で仕事にも家庭にも全力投球という働き方」


後藤 愛
国際交流基金ジャカルタ日本文化センター アシスタント・ディレクター

第3回:「憧れ」を、「目標」に。中学時代の「素敵!」を温めて、大学の交換留学決定まで


皆様、明けましておめでとうございます!

第1回では、ジャカルタに赴任してからの仕事と育児のセットアップについて書きました。
http://japangap.jp/essay/2014/12/post-90.html
第2回では、「小さく100点を取るよりも、60点の環境で成長を続けよう」をテーマにしました。
http://japangap.jp/essay/2014/12/post-91.html
第3回となる今回は、時間を少し巻き戻して、国際的な仕事に興味を持ち始めた中学の頃から、大学3年のときの1年間のペンシルヴァニア大学交換留学までを書いてみたいと思います。

振り返ってみると、私のこれまでの人生は、単純な「憧れ」を、具体的な「目標」に落とし込み、それを実現するための実に地道なステップを踏んできたことの繰り返しだったと思います。そして、今、現在も、このステップを繰り返して、成長し続けたいと願っています。

これからそうした「憧れ」を「目標」に変えていき、そしてもちろん、「達成」していかれるであろう、皆さんの参考になることがあれば、とても嬉しく思います。

それでは、時間を巻き戻して、書いてみましょう。

「大学進学時の挫折がアフリカにつながる」金城さん写真1.jpg

新年明けましておめでとうございます。

僕のことを知らない方がほとんどだと思いますので、ざっくりと自己紹介から始めたいと思います。

僕は1981年に沖縄県で生まれました。

高校卒業までは沖縄県で過ごしています。

通っていた高校も普通科の高校でしたので、可もなく不可もなく普通の高校生だったと自負しています。


そんな普通の生活が一変したのは、ありがちな進路の悩みでした。

僕は将来公務員になりたかったんですよね。

市役所とかで働いて、定時に帰る様な人生を歩みたかった。

ところが、学力的に国立大学に行けないことが徐々に判明したのです。

そして、僕の家は兄弟が多くて私立大学に行くことは問題外。

進路問題で大きな壁にぶつかってしまったのです。

ただ、きっと一般的な日本人と違っていたのは、僕の置かれた環境です。

僕の父親は沖縄の米軍基地内の電気工をしていましたし、高校は普天間高校という基地のすぐそばの高校です。

つまり、身近に外人さんがうろちょろしている環境。

そんな環境で育っていたので、外人さんに対するアレルギーはすごく小さかったんですよね。

だから、

「国立大学も私立大学も行けないんなら海外の大学に行こう」

「しかも途上国の大学ならきっと学費も生活費も安いはず」

という考えのもと進路探しを開始しました。

紆余曲折あって、僕は韓国にある大学に進学します。

僕の学力で行けて安いところっていう条件に合ったんですよね。

その大学に入学後の2003年に僕はビジネスを開始します。

僕が韓国に行った後にミスったと思ったのは、生活費が安いところはバイトしても給料が安いという事実に気づいていなかったこと。

当然生活費はぎりぎりの状況を強いられます。

なので、しょうがないから自分でビジネスを始めました。

大きな野望があったり、素晴らしい志があったわけでもなく、生活のためにビジネス開始です。

当時は韓国の車をアフリカのアンゴラという国に送っていました。

アンゴラに送った理由も、一緒にビジネスを始めた友達がアンゴラ人だったからという単純なものです。

そのビジネスが今に繋がって、僕は現在アフリカ9か国(タンザニア・ザンビア・マダガスカル・ベナン・トーゴ・コートジボワール・ニジェール・ブルキナファソ・カメルーン)で50社ほどを持っています。

自分で書くのもなんですが、僕は普通の人とはかなり違う人生を歩んでいると思います。

いいところだけを切り取ると、多くのビジネスを立ち上げ、大臣から表彰され、現地大学の理事になり、社会的にも経済的にも成功した人というカテゴリーに入るのではないでしょうか。

でも、重要なのはそういった結果ではなくて、そこに至る過程や原点だと思います。

僕は海外に対するアレルギーが無かったことが人生を大きく変えたんじゃないかと思っています。

正直、隣の県に行くくらいの感覚で海外に出たんですよね。

今振り返ってみても、海外なんてそんな気持ちで出るくらいでいいんじゃないかと思っています。

肩肘張って行くもんじゃない。

僕なんていまだに日本語しかしゃべれないのに1年のほとんどを海外で過ごしていますから。

海外に一度でも出てみると、海外に出るというハードルの低さに気付くと思います。

それはビジネスも同じですね。

一般的に考えられているよりずっとハードルは低いと思いますよ。

そんな僕の今後していきたいことは日本への恩返しです。

高校卒業からずっと海外で主に生活してきた僕にとって、日本はある意味遠い存在になっているんですよね。

その日本に対してほとんど何も貢献できていない。

ビジネスでの絡みもすごく少ないものです。

今後はこの状況を少し改めて、出来るだけ日本に関わっていければと思っています。

あと、欲を言えば、うちのスタッフやマネージャーの中から経済誌の表紙になるような人が出てくると嬉しいですね。

で、その雑誌を僕が何部も買い漁って、人に配りながら自慢話をするという未来が来れば最高だなーと妄想しています。

金城拓真
2015年1月元旦
金城さん写真2.jpg


世界へはみ出すサロン
http://ameblo.jp/africabusiness/entry-11959073085.html

単行本:「世界へはみ出す」
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%B8%E3%81%AF%E3%81%BF%E5%87%BA%E3%81%99-U25-SURVIVAL-MANUAL-SERIES/dp/4799313207

「プータロー、アフリカで300億円、稼ぐ!」
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%A7300%E5%84%84%E5%86%86%E3%80%81%E7%A8%BC%E3%81%90%EF%BC%81-%E7%9F%B3%E5%B7%9D-%E7%9B%B4%E8%B2%B4/dp/483872375X


プロフィール:
金城拓真(きんじょうたくま)
アフリカ起業家
1981年沖縄県北谷町生まれ。2003年よりアフリカビジネスを開始。現在ではアフリカ9か国(タンザニア・ザンビア・マダガスカル・ベナン・ニジェール・ブルキナファソ・コートジボワール・トーゴ・カメルーン)で50社以上の企業経営(各種貿易取引、農場経営、不動産、タクシー、運送業、金鉱山、ホテル、中国製品の卸売、土地開発、広告代理など)に携わる。2012年には内閣国家戦略担当大臣から表彰されるなど、アフリカンビジネス第一人者の一人。
20代にして「年商300億円」を実現した。日本における「アフリカン・ビジネスの第一人者」の一ひとり。

「子連れ海外駐在員シリーズ②~新興国で仕事にも家庭にも全力投球という働き方」後藤さん2.jpg


後藤 愛
国際交流基金ジャカルタ日本文化センター アシスタント・ディレクター

第2回:リスクとは、私たちが成長するチャンスのこと~自分を成長させるための基本姿勢とは?


100点と60点、どっちがいい?
「テストで100点取るのと、60点取るの、どっちがいい?」

―――こう聞かれたら、あなたはどう答えますか?

もちろん、100点がいいに決まっている、と思いますか?それとも、60点くらい取れてれば十分なんじゃないのと思いますか?

もう少し問題の意図を考えてみましょう。
何点を取れるのかは、「テストの難しさによる」でしょう。

では、上の質問を、言い換えてみます。

「あなたは簡単なテストで100点を取るのと、難しいテストで60点を取るのであれば、どちらがいいですか?」

一瞬考えてしまいますね。どちらの方がいいのかな、と。
これでも、多くの人は、「100点を取りたい。100点を取りたいから、簡単なテストがいい」と思うのではないでしょうか?

実は、これこそが、多くの日本人が、誤ったゴール設定をしてしまっている大きな原因ではないかと、私は考えています。

つまり、「100点を取りたいから、簡単な問題ばかりに挑戦しよう」と無意識のうちに思ってしまっているのです。

そして、その結果、難しい問題、すなわち、今の自分には手におえない問題には、手を出さなくなります。

そうした選択を続けてゆくと、新たな問題に挑戦して60点を取りながら自分を成長させてゆく機会を、得ない人生になってしまうのです。

それは、短期的には、失敗がない、間違いがない、安心な人生でしょう。

けれども、長期的には大きな成長ができません。何よりもったいないのは、本人が潜在的にもっている能力を思う存分発揮させることもできないのです。


発想の転換:「やったことないから、できません」から、「できないから、やってみる」へ。
実際、私も、この両者の違いを目の当たりにする経験をしました。

社会人になって2年目の25歳のころ、自分が手掛けていたワークショップの企画で、先輩と2人で東京の、ある民間財団の役員の方に、彼女のこれまでの経験を活かして、モデレーターになっていただきたい、とお願いをしにうかがったことがありました。東京のある寒い冬の午後のことです。

私たちが依頼しようとしていたこの女性は、ワークショップの日に先約があり、残念ながら、その役目を引き受けられないことが、打合せの席でわかってきました。

すると、その女性は、一緒にいた部下の当時30代後半くらいの男性に、その場で、こう振りました。
「そうねえ、私、行けないけど、おもしろそうな企画だし、あなたやったらどう?」と。

その男性は、一瞬驚き、顔の前で手を振りながら、こう答えました。
「いやー、自分はとてもできませんよー。だって、そんなお役目、やったことないですし。できません、できません!!」とひたすら固辞しています。謙遜半分、本当にできないと思っている半分といった感じでした。

依頼している私たちから、ひとこと、「ぜひお願いします」と言うべきかな・・・と迷った次の瞬間。
役員の女性が、「あなた、何言ってるのよ!できないから、やるのよ!決まってるでしょ!!」と一喝。

今の自分には、まだできない。そう思っていることにこそ、挑戦してゆくべきだと、その方はおっしゃりたかったのです。ともすると守りに入りがちな私には、衝撃の一言でした。

この方の迫力に圧倒されて、その場の流れでこの男性は断りにくいと思われたのか、とりあえず、このお話を受けてくださいました。

後日、このワークショップでは、この男性にモデレーターを務めていただきました。緊張しながらも、しっかり下調べと準備をしてくださったモデレーターぶりで、参加者満足度の高いワークショップを実現させることができました。

初めての試みにも、「できないからこそ、やる」の精神で挑戦した彼の一念発起は素晴らしかったですし、そして、そもそも「やればできる」と叱咤激励した役員の女性の読み通りだったともいえます。

自分が、そのような選択肢を取るだけでなく、部下にも、リスクを成長のためのチャンスととらえるような考え方をこうして示していた彼女は、今でも私のなかで、密かな憧れのキャリア女性です。

「子連れ海外駐在員~新興国で仕事にも家庭にも全力投球という働き方(第1回)」後藤さん.JPG


後藤 愛
国際交流基金ジャカルタ日本文化センター アシスタント・ディレクター

第1回 インドネシアでの仕事と生活ってどんな感じ?

―手探りの中、毎日が意思決定。これだから、新興国はおもしろい。―

私は今、インドネシアのジャカルタに、国際交流基金本部からの派遣職員(企業でいうところの海外駐在員)として滞在し、仕事をしています。

2012年2月に、当時1歳9か月だった息子を連れて、赴任しました。

仕事と生活に欠かせないインドネシア語ができたわけでもなく。

これまでインドネシアに留学や居住した経験があったわけでもなく。

すべてが、手探りのスタートでした。

このままでは、仕事も生活も健康もすべてうまくいかないのでは、と一人大きな不安に襲われた夜もありました。

渡航から、半年から1年がたつと、語学ができるようになったり、友達ができてきたりと、軌道に乗りました。

2年9か月が経とうとしている今、ふりかえってみると、あのとき、ちょっと(かなり?)無理をして、背伸びをし、リスクを取って、インドネシアに飛び込んで本当に良かったと思っています。

自分の体験がどこまで役に立つのかなと気持ちもありましたが、JGAPからの寄稿依頼のなか、学生さんや若手から中堅の社会人で、海外留学や海外での仕事を躊躇している人がいるとすれば、
何かの参考になることも、もしかしたら、あるかもしれない。そう思い、書かせていただくことにしました。


全4回シリーズの連載を予定しています。何かの参考にしていただければ、嬉しいです。

「途上国の子供たちに給食を提供する新ビジネスを立ち上げました!」城宝さん.JPG


城宝 薫
立教大学3年=株式会社テーブルクロス代表取締役


 社会貢献に対する意識をもっともっと変えながら、多くの人を巻き込み、参加する人が増える仕組みをつくるためにも、テーブルクロスでインフラをつくることに決めました。今回着目したものは、飲食店の広告です。テーブルクロスはグルメアプリで、飲食店に対して集客のお手伝いをします。そして、1人の予約が途上国のこども1食の給食になります。実際には、集客できたら1人につき180円の広告費を飲食店側からいただき、売上の一部が途上国のこどもの給食になります。ユーザーには金銭的な負担が一切かからず、さらに、こどもたちが食事をしている様子を伝えることで、自分が支援している実感をもちテーブルクロスのファンを増やします。


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