代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

最終回:「子連れ新興国海外駐在員シリーズ⑤ 社会人1年目にはトイレで泣いたことも。そこから得た「気づき」と『30歳までの5か年計画』とは?」


後藤 愛
国際交流基金ジャカルタ日本文化センター アシスタント・ディレクター

第5回:「社会人1年目にはトイレで泣いたことも。そこから得た「気づき」と『30歳までの5か年計画』とは?」

読者のみなさん、これまでの過去全4回をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、いよいよ最終回。
第1回では、ジャカルタに赴任してからの仕事と育児のセットアップについて書きました。
第2回では、「小さく100点を取るよりも、60点の環境で成長を続けよう」と書きました。
第3回は、「憧れ」を、「目標」に変えて、ひとつひとつハードルをクリアする方法をお伝えしました。
第4回は、アメリカ留学で遭遇した「2001年米国同時多発テロ事件」と、そこから得た自分の「原点」そして、就職活動に至るまでをお話ししました。(リンクは下記参照)
最終回となる今回は、仕事を始めてから、結婚と2度目の留学(修士号)を経て、ジャカルタへの子連れ駐在員に至るまでを書いてみたいと思います。


「今行かないでいつ行く?インドネシア~私の1学期交換留学記」It's Time to Go to Indonesia Now!! ~ My Experience Note During One Semester Exchange Program ~ 佐藤さん.jpg


佐藤 公治
東京農工大学工学部情報工学科3年

Koji Sato
Third -year student,
Department of Computer and Information Sciences,
Tokyo University of Agriculture and Technology


 インドネシアへの1学期交換留学(AIMSプログラム)が決まった。このプログラムの目的は,急成長中のASEAN を目の当たりにし,その中で発生する諸課題を協同で取り組むことができ,ASEAN と日本との架け橋になりうる「実践型グローバル人材」を育成することだ。
It was decided that I would study in Indonesia for one semester as an exchange student. The program name is AIMS Program which stands for ASEAN International Mobility for Students Program. The aim is to foster "practical global human resources" who can coorporate with the local people in order to try to solve problems and be the bridge between ASEAN and Japan after facing ASEAN's rapid growth.

 そんなスケールの大きい存在に,私がなれるのかという気持ちを胸に抱きながらも,がむしゃらにこの半年間挑戦した。その結果,それが可能なのではないかという強い動機付けを得ることができた。その要因を作ってくれた1人のインドネシア人と,自分が行った取り組みをこれから紹介したい。
While I was wondering whether I could be such a big person in the future or not, I did my best during the terms. As a result, I gained a strong motivation that I could realize that. I would like to introduce a person who made the factor and my approach which I conducted.


「子連れ新興国海外駐在員シリーズ④~米国同時多発テロの混乱、"やりたいことがわからない"を経て、"相互理解のための国際交流"との出会い」


後藤 愛
国際交流基金ジャカルタ日本文化センター アシスタント・ディレクター

第4回:米国同時多発テロの混乱、「やりたいことがわからない」を経て、「相互理解のための国際交流」との出会い

読者のみなさん、これまで第3回(下欄参照)までお付き合いいただき、ありがとうございます。
第4回となる今回は、アメリカ留学で遭遇した「2001年米国同時多発テロ事件」と、そこから得た自分の「原点」そして、就職活動に至るまでをお話ししたいと思います。

新着:「東大中退のドロップアウトエリートの描く、エシカル、プロボノ、"働く"と"働かせる"のフェアトレード」稲葉さん写真.jpg



稲葉 哲治
「『エシカル男子の会』をつくる会」代表


1)ドロップアウト→ニート→コンビニ→天職との出会い
 私は世間でいう「開成中学、高校、東京大学」と、いわゆる"エリートコース"を歩んできたのかもしれません。しかし、大学で先のレールが見えて飽きたというか、周りの友人も長い仲だと小学校の塾から、多くは中高大と一緒で、下手をすると将来の仕事も省庁や大企業で一緒かもと思うと嫌気がさしました。こんな内輪にいて世界が変えられるのかと・・・。

 もちろんそれだけが理由ではないですが、東大を中退し、街をフラフラして過ごしていました。ほぼニートですけど、ギャップイヤー期間ともいえると思います。

 25歳になって日銭稼ぎをと、コンビニでバイトを始めました。1個50円のコロッケを売って、商売を知りました。そうこうしているうちに社員並みの仕事をするようになり、バイトの高校生などの面倒もみるようになって、「人」に関わる仕事って面白いなって感じだしました。

 28歳で就活をした時には、本当は本に関わる仕事がしたくて出版社に内定をもらったのですが、突然セゾングループの人材会社の常務によばれて、「新規事業をやりたい、スーパーで惣菜を作る人材を教育したい。一緒にのり巻きを巻かないか。」と誘われました。

 直感的に「やります!」と答えましたが、運命の一瞬でした。思いもよらない仕事でしたが、振り返れば天職との出会いでした。


2)社内ベンチャー→起業→パラレルキャリア
 セゾンの会社では、新規事業をどんどんやらせてもらえました。NPOとの協働で若年無業者やシングルマザーの就労支援もしたし、キャバクラの研修なんかもやりました。

 そんな中、私鉄の駅ナカコンビニのアルバイト採用・管理の受託事業を企画していたら会社が合併してしまい、他の企業に移管して社内ベンチャーとして立上げました。事業責任者として死ぬほど働き、半年休みはなくて月の残業は200時間超。きつかったけど自分で作った事業なので、子供の面倒をみるようで楽しかったです。

 ただ、事業が落ち着いてきたときにもうちょっと広がりのあるサービスをしたいと思い、友人と起業しました。「若者が楽しく働くしくみづくり」をテーマに、学生団体と協働して、カフェに企業をよんで話をしてもらう「逆指名会社説明会」などを行ったりしていました。でもやりたいことはなかなか収益化せず、別の人材事業で収益を得る実情だったので、これはライフワークとライスワークを分けて活動したほうが双方安定するのでは、と思って、また会社員に戻って人事や人材コンサル等の仕事をしています。パラレルキャリアというか、ハイブリッドキャリアです。


3)学生たちに教えられた「エシカル」→EDAYAの「プロボノ」へ
 ライフワークの柱としては、EDAYAというエシカルアクセサリーブランドのプロボノをしています。「エシカル」はフェアトレードを行う学生団体に関わって知りました。学生のみんなからは、新しい社会潮流を教えてもらうことが多くあります。

 EDAYAはアクセサリーブランドという面だけでなく、文化継承や地方創生という広い幅をもつプロジェクトです。そんな点が気に入ったのと、代表の山下彩香さんと気が合ったのがもとで、プロボノとして営業や渉外などを担当しています。


4)「『エシカル男子の会』をつくる会」設立
 EDAYAや学生たちとの活動を通じてつくづく思ったのが、社会は変わっているし、それに応じて女性(やLGBT)は変化していく、でも男性は旧態依然、ということです。

 エシカルブランドも代表はほぼ女性、お客さんも女性。プロボノやパラレルキャリアといって興味をもってくれるのも女性が多い。性についても、妊活やリプロダクティブライツなど女性はいろいろ考えています。

 でも男性は昔のまんま。社会が変わっているのに昔のままだから歪みが大きく、男はつらいよになっている。自殺率も高いです。そんな状況に男性の側から声をあげたくて、「『エシカル男子の会』をつくる会」を立ち上げました。消費、働き方、セクシュアリティについて、「新しい男性のあり方」を声高にではなく発信していきたいと活動しています。

 "ライスワーク"としている人事関連の仕事ともリンクさせたいので、特に働き方の変化は促していきたい。人の働き方は多様化しているのに、企業の働かせ方は硬直していると思うので、そこを変えたいと思っています。
「働く」と「働かせる」のフェアトレードが、目標です。


プロフィール:
稲葉 哲治(いなば てつじ)
Facebook :https://www.facebook.com/tetsuji178
Twitter : https://twitter.com/InabaTetsuji
「『エシカル男子の会』をつくる会」:https://www.facebook.com/ethicaldanshi
EDAYA:http://edaya-arts.com/

(関連記事)
「エシカル」と「男子」 その可能性は?
http://alternas.jp/work/ethical_work/56140
「プロボノ」説明会、「社会性のある働き方」に大学生が共感
http://alternas.jp/work/ethical_work/57043

「棚からぼた餅〜インドへの道、そこから前にのびる道」柳沼.jpg


柳沼 真衣(Yaginuma Mai)
インド国立ホメオパシー大学・インド政府奨学生

 はじまりは、始まりはおそらく生まれたときからだけれども、インドにつながる道を選んだ時ははっきりと自覚している。それは2011年3月11日。

 わたしは、宮城県仙台市で生まれ育った。地震が起こるちょうど30分前に就活のため、上京し被災。仙台の我が家は山側だったので、それほど大きな被害はなかった。しかし3.11は地震、津波だけではなく、原子炉のメルトダウン、放射性物質の拡散とクライシスは今なお現在進行形。あの時、交通手段もなく、実家に戻って貴重な食糧を減らす訳にもいかず、わたしは祖母の住む東京に残った。「なにもできない」ただ無力感でいっぱいだった。4年制大学を満喫しまくって卒業したものの、これといった専門的かつ実践的な力を身につけたわけじゃない。「なにかできるようになりたい」小さな確かな火がついた。

 まだ幼い弟と妹を連れて、大学生活を過ごした沖縄へ避難。あの時、そして今もきっとどこかで続いている議論と葛藤「地元を見捨てるのか」と。
 「少しでも健康でいられるように。いつか地元で役に立てるように」そういうつもりで沖縄で過ごしていたはずなのに、やはり同じ国内でも遠ければ情報に疎くなっていく。気持ちが離れていく。いつしか自分の沖縄での日常でいっぱいになっていた。そんな時、わたしを初めて社会人として指導してくれた人生の大先輩の言葉。「おまえ、こんなところでこんなことしてる場合じゃないだろ」と。一発奮起。ずーっと心の中で小さくくすぶっていた火。風が吹いた。

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